と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

古今和歌集東歌メモ

2013年02月22日 23時03分03秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

あづまうた)
みちのくの歌

1087 阿武隈(あぶくま)に霧立ちわたり明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし(1733)

1088 みちのくはいづくはあれど塩竃の浦漕ぐ舟の綱手悲しも(1734)

1089 わがせこを都にやりて塩竃のまがきの島のまつぞ恋しき(1735)

1090 をぐろさきみつの小島の人ならば都のつとにいざと言はましを(1736)

1091 みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木(こ)の下露は雨にまされり(1737)

1092 最上川のぼれば下る稲舟(いなふね)のいなにはあらずこの月ばかり(1738)

1093 君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなん(1739)

相模歌

1094 こよろぎの磯たちならし磯菜摘むめざし濡らすな沖にをれ波(1740)

常陸歌

1095 筑波嶺(つくばね)の此面彼面(このもかのも)に陰はあれど君が御陰にます陰はなし(1741)

1096 筑波嶺の嶺の紅葉葉おち積もり知るも知らぬもなべて悲しも(1742)

甲斐歌

1097 甲斐が嶺(ね)をさやにも見しかけけれなく横ほり臥せる小夜(さや)の中山(1743)

1098 甲斐が嶺を根越し山越し吹く風を人にもがもや言伝てやらん(1744)

伊勢歌

1099 おふの浦に片枝(かたえ)さし覆ひなる梨のなりもならずも寝て語らはん(1745)

冬の賀茂の祭の歌             藤原敏行朝臣

1100 ちはやぶる賀茂の社の姫小松万代経(ふ)とも色はかはらじ(0598)


 

◎古今和歌集を一番最後からみなおしてみると、実におもしろいことがわかってくる。メモにしながら毎日眺めていきたい。

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余裕のない最近の我が国ですねぇ

2013年02月22日 09時34分04秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 最近思うことがある。なんでもかんでも、オールマイティでなくちゃいかんのかねって。

 なんだか余裕の無い我が国になっていると感じるのだが、いかがか。全員が、スーパーエリートを目指し、ちょっと落ち着きがないとアスペルガーと言い、成績がふるわないと学習遅進児と言い、これでいいのかね? 昔なら許容範囲内であったものを全部病気にしてしまっている。昔から、怠け者はいたし、暗い人もいたし、社交的で無い人もいたし、酒乱もいたし、けんかが好きな奴もいたし、学習の遅れているのもいたし(学習についてはオレも当てはまるけど)。そういうのを全部病気にしちゃっているんだが、それでいいのかね。そう思いませんか? 

 今朝のNHKで、人前で話しすると震えるのも病気だとやっていたが、あれってちょっといかがなもんか。それもこれも病気だとするんなら、オレなんかまったく人前でも震えないからこれも反対側の病になるってか? あ、震えてしまうのはちょ~美人の前であるけれど。そんな人には会ったことないし。昭和の美人女優原節子様くらいの方なら話しは別だが。ははははははははは。

 なんか全部余裕が無いと思うのだが。

 成績が悪かったら、それはそれでなんとか生きる道があったのが、日本だったのだと思う。成績がいいことはそれはそれでなかなか結構なことであって、だからといって農業がやれるかとか、土手をつくるのが得意か、家を建てられるか等々と聞かれたら、全部否定型で答えるしか無かったのではないか。持ち場持ち場で活躍する場はいくらでもあったのだが。それがなんでもできて当たり前、できないのは病気っていうのはひでぇ話しだと思うのである。

 事実、愚生の中学の同級生には、七男というのがいたし、まったく彼は好ましい人柄で、成績なんかまったく気にしなかった。オレは中学出たら、汽車に乗って上野駅にいって、それから手に職をつけると言っていた。言うついでに、愚生にも励ましてくれた。と~まよ、勉強がんばれよん!って。今、思い出しても涙がでる。だって、まったく勉強の成果が出ていなかった愚生であるから。(今もだけど) それよりも、経済状況を自覚していて、愚生のようなあふぉ~にあたたかく激励をしてくれたというその心意気に感謝しているのだ。ある意味諦念があったのだと思う。一緒に野球をやったし、実にうまかった。彼の剛速球はなかなか打てなかったのだ。そういう生き方を許容していたのだ、昭和三〇年代は。だから懐かしいのである。いい時代であったのだなぁと思う。

 高学歴社会が来て、もう学部卒では大学のセンセにはなれない時代が来てしまっている。若いセンセでも、博士号持っておられる方々はたくさんおられるし、凄い時代になったもんだと思っている。修士もたくさんいる。中国の大学のセンセは、学士とか修士程度では話しにならない、教授になるには博士号がないと退職だとクラスメートに聞いたことがある。アメリカのようだと愚生は思った。今日のTwitterでちょっと拾ったのだが、教育職で食い扶持をいただけないのなら、研究で食っていくしかないというのがあった。リツイートしておいたが、このことは重要な問題である。つまり、老いた生涯学習者なら、それでもいいだろう。研究一筋で。しかしである。若い人はどうするのだ?と思ったからである。いくらなんでも餓死するまで研究をしておれというのでは、国力が衰える。食えないというのでは、別の手段を選ぶしかないではないか。

 高学歴社会というのも眉唾ものである。だいいち、愚生が少年のころと大学数もまったく違う。だからそれなりのリスペクトを受けたのである。大学そのものも。学部卒だというだけでも。

 このことは決して忘れてはいかんことである。それを忘れていたら、ただのあふぉ~である。もっとも、愚生も人のことは言えないがねぇ。そもそも、教育に生涯学習が導入されてきた時から、まったく変質してしまったのだと愚生は思っている。

 教育は「よく生きる」ためのものであって、官吏になるためとか、就職のためにとかという経済的諸条件の実現のためにやっているのではないと思うのだが。あまり書くと叱られそうだから、これくらいにするけど。

 だからもうけるために学校を経営しているのでは無いはずであるし、そもそもそういうことでは学校の存在意義がない。「よく生きる」ためにいろいろな学校を彷徨しているから、愚生の履歴書の学歴欄は足りない。あははははである。大学はこれで四つめであるから。しかも最終学歴はこれからも変化していく。在籍校を終わったら、ある大学の学部から再スタートをするつもりである。入れるかどうかは、天のみぞ知る。

 目標90歳!

 

 こういふ老人もあれか?

 ビョウーキだってか?

 ははははははは。

 ナントでもいいたまえ!

 

 (^_-)-☆

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2月21日(木)のつぶやき

2013年02月22日 04時32分15秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今、在籍校の院生室で資料を作っています。土曜日に武蔵野大学に行かなくちゃならんので。昨日は別の大学にいたっけ。ああああ、混乱してきますな。あっちいって、こっちいって。。。。自嘲ですわん。


これで今日は帰宅しまひょ。定期券があるから気兼ねなく通学できます。車だと、環境汚染になるから。


配偶者が社会教育の講座で、東京に行っていますので、洗濯物を取り込みに帰らないと、はははははそれだけ近いんですよ。在籍校と自宅が。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/