女性の洋服のサイズが異常に小さい理由って?
貧困層をモデルにしたから?
え?ってなりますなぁ。
Why women’s clothing sizes don’t make sense
貧困層をモデルにしたから?
え?ってなりますなぁ。
Why women’s clothing sizes don’t make sense
不真面目な受講生である。しかしである。太極拳の魅力がボキをとらえてしまったのだ。楽しいからである。しかも柔道とは真逆のスポーツだからである。こいつは長い付き合いになりそうだ。
今日は午後から太極拳講座がある。毎週である。ところが、先週も休んでしまった。長女の義父の葬儀で。さらに、トルコにも行っていたから、まったく欠席の多いジジイである。しょうもない。
さらに、覚えが悪いときている。中国語講座と一緒である。
もっとある。それは柔道と太極拳はまるっきり対極にあるからだ。ボキの柔道はパワー中心であったからだ。柔道ではナカッタ。剛力頼みの「剛道」であった。50代前半で、100キロは楽々あげていたベンチプレスであった。40代はもっとあがった。140キロはいっていた。
だから感覚として、違和感があるのだ。太極拳の方にである。チカラを抜いてと師匠に何度も言われた。しかし、楽しみである。手取足取りご指導をいただくのが実によろしい。先輩の方々にである。しかも女性である(^0^)
ま、それは冗談として、これまで柔道をやってきて、その取り組み方が間違っていたというのがある意味ショックであったのだ。
これはボキの過去を全否定しているようなものである。
そこで気がついた。ボキの過去なんてぇ言ってもたいしたことはねぇってことに。
ボキは最終学歴もお粗末なもんだし。中退である。柔道だって、32歳で四段になってからまったく昇段していないではないか。
そういうことをこれまでは、マイナスととらえていた。
ところがである。
柔軟に考えてみれば良いのだと気がついた。
「柔軟に」である。
自他の区別をやり過ぎてきた。自分も他人も混在一体、自他共に発展していけば良いのである。嘉納治五郎先生の言われた「自他共栄」である。こういう簡単なことがわからなかった。あくまで他人との闘争、闘いが主眼であった。自分さえ良ければそれで良かったのじゃよん。
これじゃぁクタビレテしまう。
学士、修士と取ってきて博士を目指したのもボキには闘いであったのだ。他人との比較の上でなりたっている欲望であった。
そういうことを知っただけでも、ありがたいと感謝すべきことなのであろう。
なんという遠回りな人生だったのだろうと思う。思うが、これからのボキは違う生き方をしていく。黄金の15年間と言われる定年退職後の生活を、楽しんでいくつもりだからである。
海外旅行ばかりが趣味ではなんとも寂しい老後である。
働けるうちは、たとえアルバイトであっても働くことである。小遣い稼ぎだと批判されてもいい。
それにボキはゼニをバカにしない。清貧を気取って、ゼニを馬鹿にしているとゼニの方から逃げていってしまうからである。ゼニはあっても困らない。無くなってしまったら、かなり困る。大事につきあうことである。ゼニをバカにしていると運気が下がってしまうのだ。これ以上下がってしまったら、ボキもいたたまれない。
わはっはははっははっはっははっはははっはは。
朝から雨が降っている。
昨日、Gymで卓球大会をやっていた。午後四時過ぎに行ったのに駐車場が満杯であった。遠くの駐車場にクルマを置いて歩いていった。傘もささないで。帰り、市の職員が見かねて「傘を貸してあげましょう」と言ってくださった。雨の中、彼も向こうから歩いてきたのだ。ただし、傘をさしていたけど。知人の市職員である。ボキのことを知っている。
ありがたかった。でも感謝しつつお断りをした。だって、ボキが傘を借りたら、知人が濡れてしまうではないか。ボキは、アタマに直接雨が降ってくるだけでなんということはない。タオルで拭けばいいだけである。知人はちゃんとした格好をしていたし。
でも、ありがたいものである。こういう方がおられるということに感謝してきた。
さ、今日もどんな出会いがあるんだろう。楽しみである。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ
それはそれは忙しいですなぁ~~~~~と揶揄されているけど(^0^) goo.gl/Pdruu5
— Waishan Richunan (@tym943) 2018年6月23日 - 07:25
What Happens After You Die? goo.gl/gs9UWz
— Waishan Richunan (@tym943) 2018年6月23日 - 20:56