と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

Should I Get Married?

2018年06月26日 14時51分23秒 | 英語動画2018

私、結婚するの?

 

わはははははっっははははははははははは・・・・これってホンネでしょうなぁ

 

Should I Get Married?

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なるほど、つきあいの長い家人のおっしゃるとおりでございましたですなぁ~~

2018年06月26日 10時21分21秒 | とーま君の流儀2018

午後から快調・快調。ゴカイチョウでありましたですよん。

 

 

昨日体調がおかしかった。珍しいことである。医者に行こうかと思ったが、家人が反対した。それくらいのことで病院に行くバ*があるかというわけだ。

確かに言われてみればそのとおりである。結局行かなかった。正解であった。けろりと治ってしまったからである。

ちょっと病気に対してナーバスになっている。エコノミークラス症候群で某大学大学院を退学してから、実におっかなびっくり生きている。こりゃアカンですなぁ。

それに論文に対する姿勢も鈍っている。鈍っているのは元々だけど、やる気がいまいちなのだ。こりゃあ困る。なんでか。定年後の生活の柱であるからだ。他にやることもないのだから、ゴミと言われようとなんとしてもメゲズニ打鍵することだよん。

やりたいことはたくさんあるのだから。

で、午前中は明日行く通信制高校の授業準備をしていた。パワーポイントで作っていた。これが実に楽しいのである。根っからの教師根性をしているのだなぁ、ボキは。漱石の「こころ」の教材を作っていた。スクーリング専門の非常勤講師であるから、時間的な制約がある。だから準備だけは怠らないのである。

今は図書館にいる。そうなのだ。朝、ブログの原稿を打鍵している暇がなかったからである。それに、歴史の会に提出する論文原稿をそろそろ完了しなくてはならないからである。来月の14日までには提出したいと思っているからである。

それにしてもダンダン充実してきている。実感である。ありがたいものである。まさかこんな定年後の生活が待っているとは思ってもみなかった。感謝である。

おそらくは再雇用をしてもらって、どっかの学校で生徒に嫌がられながら授業をやっていたんだろうよん。でもそれは長男が許してくれなかった。ボキと同業だから嫌がったのである。

結果的にはこれで良かったのだ。非常勤とは言え、週に水木金と副業をさせていただいているからである。やることがあるだけシアワセというもんじゃよ。もっとも水曜日は夜に中国語講座を受講している。それに月に一度は千葉市民会館で行われる歴史の会主催の文化講座と古文書講座も受講している。あ、もっとあった。太極拳講座を日曜日に受講している。こっちは毎週である。素敵な先輩たちに教えていただいている。太極拳は、10月で終わるので、そのあとは土曜日に道場に通うことにした。そのほうがいい。覚えられないからである。

楽しんで生きることである。

そして、家人を大事にしながら生きていくことでありますよ。(笑)

捨てられらおしまいですからなぁ。

 

わははっははっははっはははっははははっははっはははははっはは。

 

(@^^)/~~~

 

 

 

 

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6月25日(月)のつぶやき

2018年06月26日 06時18分24秒 | とーま君の流儀2018
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Scientists agree: Coffee naps are better than coffee or naps alone

2018年06月25日 16時50分16秒 | 英語動画2018

コーヒーや昼寝だけじゃ目が覚めない?ならコーヒーで昼寝を試してみよう!

なるほど、カフェインがきき始めるまでの20分だけ寝るってかぁ~~~~~。

目から鱗ですなぁ。

(^0^)

 

Scientists agree: Coffee naps are better than coffee or naps alone

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怒りと体調は密接に結びついているようでございます(^0^)

2018年06月25日 08時39分22秒 | とーま君の流儀2018

怒ってばかりいたら体調を崩してしまう。ちょっと先週はいろいろあってねぇ。アカンですな。アカン。

 

 

怒りをどうやってマネジメントしていくか。現役時代の課題でもあった。いくつかあった仕事人時代のいろんなトラブルで怒ったことがたくさんあったからである。

しかし、もう懐かしい思い出でしかない。

そうなのだ。ボキは、トラブル無縁のジジイになったからである。

まずトラブルが予想されるときには、その場にいなくなっている。いなくても良いからである。いてもいなくても結構毛だらけなんである。こいつは気楽である。

もう用済みになったのだ。それに決断を迫られることもない。

誰もボキの言うこと、考えることなんか聞いてこない。

わはははっはははっはっはははっはははっはは。

それに、名前も呼ばれることはめったにない。呼ばれるとすればそれは「病院」だけ。

病院の受付からとーま君さ~んとでしか呼ばれない。だから、嬉しくなってしまう。ああああああ、今週初めて名前を呼ばれたワイってぇ具合である。

家人も、長女も長男もその子どもたちもボキの名前なんか呼ばない。もしかしたら、知らないのではないのかと思ってしまう。

ボキも時々忘れてしまう。あ、ボキは本名をナント言ったっけ。そういうことになる。

つまり名字の方は時々呼ばれる。問題なのは下の方である。つまり名前。

ボキの名前は、現代風でおよそジジイの名前ではない。甚左衛門とか、文衛門とか、時代がかっていたら素敵だったろうになぁと思ったことはある。それほど、時代錯誤の名前が好きだった。

だから今風の名前につけてくれたのかも知れない。亡父が。

それでも、完全に今風の名前で最先端を行っていたらこれまた抵抗があるんだろう。

中には、マンガの主人公とまったく一緒という赤ちゃんまでいるから楽しい。ゲームの主人公と同じというのもいるそうだから。

ま、好きでつけているのだからナニを今さらである。ボキは好き勝手にやれば良いと思っているだけで、なにも文句を言っているのではない。

好きなように生きる。

まさに今のボキである。

死ぬまでは生きているのだから。

後悔せんようにやっていきましょうや。

お互いに。

 

今日はちょっとおとなしくしているつもりである。

 

体調が良く無いからだ。気合いが入っていないからだ。

 

変なジジイだからなぁ。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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6月24日(日)のつぶやき

2018年06月25日 06時32分30秒 | とーま君の流儀2018
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Why women’s clothing sizes don’t make sense

2018年06月24日 18時43分34秒 | 英語動画2018

女性の洋服のサイズが異常に小さい理由って?

 

貧困層をモデルにしたから?

え?ってなりますなぁ。

 

Why women’s clothing sizes don’t make sense

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今日はこれから太極拳講座がある。ルンルンと行ってくる。師匠はおっかないけど、女性の先輩たちが親切だし(^0^)

2018年06月24日 07時50分06秒 | とーま君の流儀2018

不真面目な受講生である。しかしである。太極拳の魅力がボキをとらえてしまったのだ。楽しいからである。しかも柔道とは真逆のスポーツだからである。こいつは長い付き合いになりそうだ。

 

 

今日は午後から太極拳講座がある。毎週である。ところが、先週も休んでしまった。長女の義父の葬儀で。さらに、トルコにも行っていたから、まったく欠席の多いジジイである。しょうもない。

さらに、覚えが悪いときている。中国語講座と一緒である。

もっとある。それは柔道と太極拳はまるっきり対極にあるからだ。ボキの柔道はパワー中心であったからだ。柔道ではナカッタ。剛力頼みの「剛道」であった。50代前半で、100キロは楽々あげていたベンチプレスであった。40代はもっとあがった。140キロはいっていた。

だから感覚として、違和感があるのだ。太極拳の方にである。チカラを抜いてと師匠に何度も言われた。しかし、楽しみである。手取足取りご指導をいただくのが実によろしい。先輩の方々にである。しかも女性である(^0^)

ま、それは冗談として、これまで柔道をやってきて、その取り組み方が間違っていたというのがある意味ショックであったのだ。

これはボキの過去を全否定しているようなものである。

そこで気がついた。ボキの過去なんてぇ言ってもたいしたことはねぇってことに。

ボキは最終学歴もお粗末なもんだし。中退である。柔道だって、32歳で四段になってからまったく昇段していないではないか。

そういうことをこれまでは、マイナスととらえていた。

ところがである。

柔軟に考えてみれば良いのだと気がついた。

「柔軟に」である。

自他の区別をやり過ぎてきた。自分も他人も混在一体、自他共に発展していけば良いのである。嘉納治五郎先生の言われた「自他共栄」である。こういう簡単なことがわからなかった。あくまで他人との闘争、闘いが主眼であった。自分さえ良ければそれで良かったのじゃよん。

これじゃぁクタビレテしまう。

学士、修士と取ってきて博士を目指したのもボキには闘いであったのだ。他人との比較の上でなりたっている欲望であった。

そういうことを知っただけでも、ありがたいと感謝すべきことなのであろう。

なんという遠回りな人生だったのだろうと思う。思うが、これからのボキは違う生き方をしていく。黄金の15年間と言われる定年退職後の生活を、楽しんでいくつもりだからである。

海外旅行ばかりが趣味ではなんとも寂しい老後である。

働けるうちは、たとえアルバイトであっても働くことである。小遣い稼ぎだと批判されてもいい。

それにボキはゼニをバカにしない。清貧を気取って、ゼニを馬鹿にしているとゼニの方から逃げていってしまうからである。ゼニはあっても困らない。無くなってしまったら、かなり困る。大事につきあうことである。ゼニをバカにしていると運気が下がってしまうのだ。これ以上下がってしまったら、ボキもいたたまれない。

わはっはははっははっはっははっはははっはは。

 

朝から雨が降っている。

昨日、Gymで卓球大会をやっていた。午後四時過ぎに行ったのに駐車場が満杯であった。遠くの駐車場にクルマを置いて歩いていった。傘もささないで。帰り、市の職員が見かねて「傘を貸してあげましょう」と言ってくださった。雨の中、彼も向こうから歩いてきたのだ。ただし、傘をさしていたけど。知人の市職員である。ボキのことを知っている。

ありがたかった。でも感謝しつつお断りをした。だって、ボキが傘を借りたら、知人が濡れてしまうではないか。ボキは、アタマに直接雨が降ってくるだけでなんということはない。タオルで拭けばいいだけである。知人はちゃんとした格好をしていたし。

でも、ありがたいものである。こういう方がおられるということに感謝してきた。

 

さ、今日もどんな出会いがあるんだろう。楽しみである。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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6月23日(土)のつぶやき

2018年06月24日 06時27分42秒 | とーま君の流儀2018
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What Happens After You Die?

2018年06月23日 20時55分55秒 | 英語動画2018

 

死後あなたの体に起こる変化

 

What Happens After You Die?

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それはそれは忙しいですなぁ~~~~~と揶揄されているけど(^0^)

2018年06月23日 07時25分27秒 | とーま君の流儀2018

まったく忙しくない副業三昧であるから、楽しいのである(^0^)

 

 

四種類もの副業をやっていると、それはそれは忙しいですなぁと揶揄される。

わはっははははっはははははである。

そしてボキは絶体に「そうです忙しくてたまらんですわ」なんてぇことは言わない。だって、毎日やっているわけではないからである。毎週やっているわけでもない。二種類は毎週だけど、それもヒトコマだけである。しかも期間限定である。

つまりなにを言いたいのかというと、多忙であることを自慢しているわけではないということである。定年後に、「関連会社で顧問をやっている」とか「子会社だけど、社長をおおせつかってねぇ」「忙しい、忙しい」とか自慢している知人がいる。本当は、定年後も大活躍しているということを、自慢したいというわけだ。しかも、誰かの斡旋でなっている。旧職場の人脈をフルに活用したというわけである。だから、「定年してからもおおおおおおおおおおお忙しい」と口走って自慢することになる。

ボキは、そういうのがない。そもそも斡旋で副業を見つけたのではない。ハローワークの会員になったり、インターネットで探してエントリーしたりしてやっと見つけたのである。マジにである。

今は便利な時代である。インターネットでエントリーすることができるからだ。しかもシニア専門の就職サイトまであるのだよん。働いていたほうが、社会との接点が見つけられるからである。だからである

これでも、ボキなりに努力しているのだ。

偶然もあっただろうけど、雇ってくださって感謝しているのである。

なぜなら、家に閉じこもっている必要がないからである。さらに、ボランティアでやっている歴史の会にも月に一度行っている。講座を準備したり、受付をしたりしている。お役もいただいた。なんと会長代行までやれと言われてやっている。ま、これは紆余曲折があって最後まで抵抗したのだが、やるしかなくなってしまった。諦めてやらせていただいている。一年の期限つきだが、これもまた月に一度の千葉市詣でだ。趣味でやっていることだから、楽しく通っている。

要するに、楽しくにこやかに生きていきたいというのがホンネである。

だってそれしかないのだから。

ボキのようなジジイには。

 

わはっははっははっはははっはははっはははは。

 

さ、これから孫(8ヶ月の女児)を連れて、遊びに行ってくる。あと30分でスタートである。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ 

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6月22日(金)のつぶやき

2018年06月23日 06時25分42秒 | とーま君の流儀2018
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Is a "Beer Belly" Actually Caused by Beer?

2018年06月22日 17時32分51秒 | 英語動画2018

ビール腹の原因はビールではない?!

 

わははははははっはははっはははっははははっははは!

そりゃそうだ。

ワイン腹というのがないからなぁ

 

 

Is a "Beer Belly" Actually Caused by Beer?

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定年後に怖れることはなにか?となると。思うことがいくつかある。

2018年06月22日 06時37分48秒 | とーま君の流儀2018

定年後は孤独を怖れることが大事ですなぁ。シミジミそう思う。

 

 

定年後ということで最近はいろんなことを打鍵している。自由自在にである。あるいは自分勝手にである。

ま、ボキくらい自分勝手に生きているジジイはいないだろう。しがらみがないからである。それに、家族とのトラブルもない。おっと、こっちは自分だけそう思っているだけかもしれないけど(^0^)。

定年後は、健康が大事?、お金?・・・ちがいますなぁ。孤独を防ぐことでが一番大事である。さらに、以前勤めていた職場の人間とも関わりを持たないことである。今さら、後輩諸君が一生懸命やっている旧職場に顔を出したところで嫌がられるだけである。ボキがやっていた職種で知り合った知人たちで、私立大学の学生勧誘に回っているのがいるが、あれはいかがなものかと思う。他にやることがないならやってもいいだろうが、ボキはやらない。

それよりも、新しい世界で、新しい人間関係でアレコレやってみたいと思ったから今の副業四種類の生活がある。それもアルバイト程度で良いのである。正式に毎日8時間きっちり働いていたら、旅ができない。旅に行ったら土産だって買ってこなくちゃならない。どこに行ったか知っているからである。

気楽に出かけたいからである。

定年後は、気楽に生きていくに限る。もう成果主義という悪魔に自分を売り渡さなくて良いからである。つきあいもいい加減でよろしい。義務でつきあっているのもいい加減で止めれば良い。ゴルフも楽しければやっても良いだろう。でも無理してつきあっているこたぁねぇのである。ましてや、つきあいすぎて体調を崩してもアカン。

ジジイになっても、どっちが優秀かとか、どっちがダメ人間かなんてぇことは言っちゃならない。もう関係ないのである。評価も含めてである。

自由自在に生きることである。嫌いなやつとは会わないことである。こっちの運気が下がってしまう。それも選択は自由自在である。運気が下がってはならない。お金も含めてである。健康もである。健康も運気が支配している。運が悪ければ、健康も損ねるからだ。

悪魔のささやきに影響されないことである。悪魔は、いつでも引き落としをねらっている。地獄へである。悪魔のささやきは、ワルクチである。そんなもんを気にしている時間はない。そしてそんなもんを言っている人間とはつきあわないことである。顔を見ないことである。仮病を使っても良し。

いつでも世界の明るい面だけを見ていれば良い。だったら、こっちも明るく生きていくことができる。

まるで、朝日の昇るような世界だけを見ていることである。曇っていても、雨が降っていてもその後ろには太陽がいるからである。

 

昨夜の塾でもそう思っていた。勉強すればできるようになるのである。こっちが暗い顔をしていたら、できるものもできなくなっちまうではないか。

今日も塾に行くけど。

若い人たちとの接点があるだけシアワセである。ホンマに。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ(ヒヨコジジイから)

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6月21日(木)のつぶやき

2018年06月22日 06時25分25秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/