「由加神社」を後に、昔は賑わったであろう表参道を下りる。
階段手前で「東往来」(由加~玉野日比)と別れバス停の下の駐車場横からさらに下る。
人気もなく完全にさびれてしまっている。
この道は「南往来」、金毘羅船で丸亀へと向かう田の口の港へと続いているが交通の要所が宇野港へと
変化した今となっては地元のものしか通る物はいないであろう。
やや右に進路が変わるころ左手とすこし上ったところにも「道標」がある。
その先には「4丁」「5丁」の道標と続けてある。そして大鳥居文化10年(1811年)
ここで「西往来」上の町~小川そして本道へ合流し下津井に至る。
今までの道標は数が減ってきたが、由加山~田の口へと戻る格好になるので道標は数が増えることになります。
県道塩生~玉野線を横切り山中へと道は続く。
薄暗く上りがきつい。
すぐ「7丁」の道標があったのだが少々不安になりながらも進んでいくと右手に「9丁」の道標。
集落が見えて安心する間もなく「11丁」の道標、道は下っていくと十字路に差し掛かり
バス停があった。こんな所にもバスが通るのだと感心した。
次の集落が現われ、右にカーブしたとこへ「13丁」の道標。
畑の中を通る道は狭くなりながら「14丁」の道標と続き山中へと続く。
このあたりは、昔のままの姿を残している。下ると「17丁」の道標。
さらに下ると民家の脇を通り抜け集落に出ると道が開けたところに埋もれた「18丁」の道標を見つけた。
ここから道なりに下りてみたのだが、どうも本道から外れていることに気づき引き返した。
地図を取り出して睨めっこ。てっきり民家の私道だと思っていた道こそ本道であったのだ!
ちょっと後ろめたい気持ちがしたが突入したのだが、道幅はどんどん狭くなる。
わずか数メートル下ると道はかなり狭くなりながら山中へ続いている。
本当にこの道なのかと不安になりながら進むと「21丁」の道標が見えて安心した。
峠道なのだが、舗装されているだけ進みやすい。木立を抜けると眼下に海が見えた。
「23丁」の道標を過ぎたあたりから民家が現れ、工場の横に「25丁」の道標と「常夜灯」を過ぎると民家も多くなった。
どうやら田の口の町に入ったようだ。
細い迷路なような路地を右へ左へ進むと「ゆ加道」道標、その先に「右由加山」の分かれ道の道標を見つけた。
港方面へ南下すると「31丁」の道標。
2つ目の路地を左折してすぐ右折、元の道へ戻ると「33丁」と「へんろ」道標。
なんで道はまっすぐではないのだろう?かすかに潮風を感じてきた。もうすぐゴールだ!
ここからは道なりもうすぐゴールだ!
「34丁」「36丁」の道標を見ながら田の口港の「鳥居」についにたどり着くことができた。
この「鳥居」は昔、海辺の岩盤の立っていたものらしい。今はその前にR430が通り田の口港、
その先の防波堤の左右に「常夜灯」が見える。
大坂からの船着き場でもあり「讃岐金毘羅さん」への船着き場でもあり、29丁辺りから港までの数百メートルの町並み
からも相当に賑わった港だったことがうかがえる。
今は対岸へ渡る連絡船もなく、その航路は宇野~高松のフェリーに取って代わり今は瀬戸大橋で10分ほどで
坂出へ渡れる便利な時代である。
岡山から田の口、約33キロの旅はここに完結する。