うどん★大作戦 blog

うどん好き人の日記。岡山・讃岐のうまいうどん屋を食べ歩き、いつかうどんやを開きたいな~♪

金毘羅往来(第12話)

2009-10-22 22:24:36 | ◇岡山観光学習

『宇喜多堤築堤420周年記念事業』便乗企画!

宇喜多堤築堤420周年記念事業が10/24(土)~11/15(日)で開催される。
先月は「樋門巡り」、2年前には「金毘羅往来」と歴史・干拓というキーワードには過剰反応してしまう。
そういえば「金毘羅往来」【南ルート】(岡山~田の口ルート)は記載済みではあるが完結はしていない。
それは「金毘羅往来(第6話)」でも触れていたのだが「鴨方往来」(撫川~早島)からのルートの解明だ。
とはいっても直後に調査済みで、自己完結させてしまい記事にしてないだけなのだ。
ちょうど、早島町のイベントが土曜から始まるので、この機に書いてみたい。


今回は起点を撫川(備中撫川)の應徳寺前の「道標」にすることにした。


正面(北側)から見ると右が「金毘羅往来」 
右側面(西側)には「吉備津」と記され「山陽道」へと続く道である。左側面(東側)には安政六年と記されている。
「鴨方往来」の岡山~庭瀬間は「庭瀬往来」とも呼ばれているがとも呼ばるが、江戸時代のガイドマップ
「金毘羅道中絵図」でも、岡山~庭瀬~早島~由加~こんぴらを通るルートが「金毘羅往来」が紹介させている。
面倒なのでこのルートを【北ルート】とするとが、交通量的に断然北ルートが勝り、南ルートは平坦で最短ルートということだろう。
ここ撫川と庭瀬は陸路はもとより水路でも重要な結節点でもあったということには間違いない。

一見すると、西へ向かう道が往来ではある。「吉備温故秘録」によれば旧道は南へ下る。
100mほど下ったところ公民館脇に道標がある。


ひっそりとした街を真っすぐ西へ。足守川の土手に出ると「金毘羅灯篭」(文政十三年)が見える。

ここから対岸に渡るには船が出ていたのだろう。川向こうであとに出てくる「道標」南で往来と合流する。


一旦起点に戻り新道を行く。西へ200m左折した正面の民家脇に「道標」
正面(北側)「右、た満しま 下津井道 由加山五里」 右側面(西側)「左、於かや満 みやうち道 吉備宮 廿町」 
寛政九年(1797)年のものである。


又、公民館前には足守川に架かっていた大橋の一部が移築されている。


土手へ出て対岸へ渡り土手を下る。


ほどなく突き当たった電柱脇にひっそりと「道標」がある。

正面(東側)「右、毘沙門道 左、金比羅 ゆが道」と記。まっすぐに300m南下すると大きな「道標」がある。

正面(北側)「右、倉しき 玉し満道」 左側面(西側)「左、岡山 吉備津道」 左側面(東側)「左、金毘羅道」
明治十四年(1881)年と比較的新しいものだ。西へ進めば「鴨方往来」、南へ進めば「金毘羅往来」である。

さらに300m進み県道153号線と合流。山陽本線ガード下をくぐり点滅信号の交差点へ出る。


道はさらに南へ大内田へと続く。突き当たりのところへ破壊された「道標」が残されている。


山際の道は急激に道幅を狭めながら古い町中を右へとゆるやかに曲がりながら続く。


荒神社脇を抜け流通センターから下りてくる道へ出た。ここからは造成されていて往来はわからない。


それらしい道もあるが行き止まりだった。ここからはお手上げ状態であるが、先へ進み「塚山古墳」南の未舗装の道へと続く。
これは参考書『早島町史・第4章産業と流通の発展 404項』に記されているので間違いない。

大内田~塚山間は大暗礁に乗り上げた。いろいろ調べては見たが途中の道の手掛かりがつかめない。
そんな時「戸川家記念館」のガイドさんが流通センターの南付近の道を教えてくれた。
なんでも昔は松茸が取れたそうで途中までは道はわかるが今はわからないらしい。
そして紹介していただいた早島町役場の方からも解説いただいたが知りたい流通センター内の道はわからなかった。
もうお手上げだなと思いながらも大内田の古い人に聞けばわかるかもしれないと出掛けてみたが
知っている人が見つからない。それならばとお寺の住職さんならと思い「千住寺」へ行ってみた。


そこには「地場大師八十八ヵ所絵図」なる看板があった!
これを辿れば解明できると直感的に感じ、お寺さんに聞いてみると、この道が往来とは
知らないが資料があるとのことで見せていただいた。


早速、県立図書館で『地場大師八十八ヵ所調査報告書』(岡山市大内田周辺民俗文化財調査委員会)を見つけ解析した。
付属の地図と現在の地図の縮尺を合わせトレース。若干の誤差はあるものの概要が判明した。
大内田~塚山間の「金毘羅往来」は『地場大師八十八ヵ所』の38番~44番はやはり重複していた。


仮説を確かめるべく現地へ向かった。大内田から流通センターへの道は造成され調整池が作られた為、
痕跡は全くない。推定であるがが現在のビーナスベット付近に出て、

流通センターを南北に走る県道73号線の沿いのビーナス家具の西側の駐車場を抜け県道を斜めに横断。

流通センター運輸団地バス停辺りから左へ県道を渡り20mほどで右へ曲がる。会社と会社の間くらいだろうか。


岡山紙業の敷地の東側辺りを進み「塚山公園」のところの交差点の給油所北の道へ出る。
この付近には昔、大池と呼ばれる池があったらしい。池のほとりを抜ける未舗装の道へ出るには、給油所を斜めに抜けるとと思われる。


余談ではあるが「塚山公園」には古墳がある。東には「奥坂遺跡」「北坪井遺跡」 
流通センター郵便局付近は「天神山遺跡」 コンベックス東には「新屋敷古墳」その北は「栗坂古墳」
その他「大内田貝塚」もある場所なのだ。

話を戻し、再び県道を渡り舗装していない旧道へ入る。めったに人が通ることがなさそうな道だ。


池(新池)のところの三差路を左折。左手下には立像と供養塔があった。
ほどなく道下に『大内田地場大師39番札所』写真紛失。
参考書写真と見比べると当時の道の高さは今よりも1m以上低いと思われる。新池には他にも立像と供養塔がある。


『大内田地場大師38番札所』

このあたりはその昔、一軒の茶屋があったことから「一軒茶屋」と呼ばれる。

その先は産業廃棄物処理場になっている。往来はこの産廃場の西側を下のだが150m先は崖になっていた。
ここからのアプローチを断念し、道が続いているであろう若宮園の裏手へ。
許可を得て行ってみたが往来は特定は出来なかった。往来は若宮園の西側の細い脇道を進む。


池の横の道を進むが資材置き場へと消えてしまった。


仕方なく若宮団地を抜けR2バイパスへ出た。往来はR2バイパスを横断、細い道へと続く。


道なりに下ると早島町。この道は(早島町ガイドマップ)で「金毘羅往来」として紹介されている。


荒神社のとこを左折し50mとこで右折。100mほど行ったところに「道標」

これを抜けると松尾坂である。何年か前に拡幅工事が行われたのですっかり様変わりしている。
松尾坂を下る。交差点の2本手前を右折。すぐ左折した先に終点の「金比羅灯篭」文化14年(1817)にたどり着いた。


足掛け2年、「金毘羅往来」シリーズ(うどん街道の旅)を完結する。

「金毘羅往来」全12話はこちら

【参考文献】
 『岡山県歴史の道調査報告書第六集』/岡山県教育委員会
 『岡山の街道』山陽新聞社編集/日本文教出版
 『岡山文化観光検定公式参考書』吉備人出版
 『地場大師八十八ヵ所調査報告書』/岡山市大内田周辺民俗文化財調査委員会

コメント (2)
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