10月ですね。
昨日は「中秋の名月」でした。
いつもより大きく見えました。(ウサギまで!)
先日のお休みの日に「トリエンナーレ」に行ってきました。
3年ごとに開かれる「美術展」です。
入り口に飾ってある「ニック・ケイヴ」さんのモビールです。
近づいてみると
一つひとつも「芸術品」。
そして、よく見ると「政治的な意図」が入っている部分もあるらしいです。
これは、キム・コンチェルさんの作品。
どうやってつくったのか、「メビウスの輪」のように
始まりも終わりも見当たりませんでした。すごい!
昨晩はすてきな「名月」を生徒さんが「今きれいに出ています」と
教えてくれて一緒に見ました。
同じものを見ても
「わーーっ」と思うか、
なんとも思わないのか。
子どもによって違います。
先日は塾に飾ってある花のそばに行って
薫りをかいでいる子どもがいました。
子どもは、「からだ全体」で感じることができるんですね~。
一方、「素通り」してしまう子も。
本当に不思議です。
同じものをみても、反応がまるで違う。
エッセイや説明文を読んでいるときに
「機械的に」内容を把握ができていても、
なかに書かれていることを「主体的」に読めているかは
また「別」なんだな、と感じることがあります。
教科書にのっているすばらしい作品を音読しているだけで
「涙」がでてしまうことがあるのですが、
3年生ぐらいだと、その作品の「背景」を説明しないと
なぜ登場人物がそんな気持ちになったり、そんな行動をとったか
分からないときがあります。
「解説」は必要なのだけれど、「解説」しているうちに
「客観的」になってきて少し「興覚め」してしまうような・・・。
「感性を磨く」とは、よく言われますが、
けっこう小さいときにこれが始まっているように思います。
朝、通勤途中で野に咲く花をとってにおいをかいで、
お母さんのところにもっていき、お母さんの「にっこり」を見て
また「にっこり」している小さいお子さんを見かけました。
「書かれたもの」に共感する前には、その子なりの
「心の経験」が必要なんだと思います。
小さいうちから「お月様きれいね~」とか
「てんとうむし、かわいいね。」などちょっとした声かけを
聞いて育つうちに「感性」は育っていくのでは。
自分が何か言ったあとで、友達が泣いてしまったとして
「なぜだろう?」「自分は、ぶったりしていないのに」と
思う子どもは、相手の気持ちに「共感」が難しいのかもしれないです。
そして、「表情の気づき」にも苦手感があるのかも。
それに、この「感性」、人によって「びっと」くるところが違うと思います。
美術館でも、ある作品の前で長い時間過ごしている方がいました。
一人ひとり好きな「作品」が違って、さっと通り過ぎてしまうものも
あれば、「じっとそこで味わっていたい」と思うものもある。
それにしても、「自分の意志で感性を磨いていく」のは、入学後かな。
私も及ばずながらお手伝いができれば、と思っています。
10月に咲いた、ひまわり。
咲いたのはゆっくりだったけれど、
自分なりの咲き方かな・・・・。
個別学習塾びすぽうくのホームページへ(色のついている部分をクリックしてください)
昨日は「中秋の名月」でした。
いつもより大きく見えました。(ウサギまで!)
先日のお休みの日に「トリエンナーレ」に行ってきました。
3年ごとに開かれる「美術展」です。
入り口に飾ってある「ニック・ケイヴ」さんのモビールです。
近づいてみると
一つひとつも「芸術品」。
そして、よく見ると「政治的な意図」が入っている部分もあるらしいです。
これは、キム・コンチェルさんの作品。
どうやってつくったのか、「メビウスの輪」のように
始まりも終わりも見当たりませんでした。すごい!
昨晩はすてきな「名月」を生徒さんが「今きれいに出ています」と
教えてくれて一緒に見ました。
同じものを見ても
「わーーっ」と思うか、
なんとも思わないのか。
子どもによって違います。
先日は塾に飾ってある花のそばに行って
薫りをかいでいる子どもがいました。
子どもは、「からだ全体」で感じることができるんですね~。
一方、「素通り」してしまう子も。
本当に不思議です。
同じものをみても、反応がまるで違う。
エッセイや説明文を読んでいるときに
「機械的に」内容を把握ができていても、
なかに書かれていることを「主体的」に読めているかは
また「別」なんだな、と感じることがあります。
教科書にのっているすばらしい作品を音読しているだけで
「涙」がでてしまうことがあるのですが、
3年生ぐらいだと、その作品の「背景」を説明しないと
なぜ登場人物がそんな気持ちになったり、そんな行動をとったか
分からないときがあります。
「解説」は必要なのだけれど、「解説」しているうちに
「客観的」になってきて少し「興覚め」してしまうような・・・。
「感性を磨く」とは、よく言われますが、
けっこう小さいときにこれが始まっているように思います。
朝、通勤途中で野に咲く花をとってにおいをかいで、
お母さんのところにもっていき、お母さんの「にっこり」を見て
また「にっこり」している小さいお子さんを見かけました。
「書かれたもの」に共感する前には、その子なりの
「心の経験」が必要なんだと思います。
小さいうちから「お月様きれいね~」とか
「てんとうむし、かわいいね。」などちょっとした声かけを
聞いて育つうちに「感性」は育っていくのでは。
自分が何か言ったあとで、友達が泣いてしまったとして
「なぜだろう?」「自分は、ぶったりしていないのに」と
思う子どもは、相手の気持ちに「共感」が難しいのかもしれないです。
そして、「表情の気づき」にも苦手感があるのかも。
それに、この「感性」、人によって「びっと」くるところが違うと思います。
美術館でも、ある作品の前で長い時間過ごしている方がいました。
一人ひとり好きな「作品」が違って、さっと通り過ぎてしまうものも
あれば、「じっとそこで味わっていたい」と思うものもある。
それにしても、「自分の意志で感性を磨いていく」のは、入学後かな。
私も及ばずながらお手伝いができれば、と思っています。
10月に咲いた、ひまわり。
咲いたのはゆっくりだったけれど、
自分なりの咲き方かな・・・・。
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