混雑を避けて今年は宵宵宵宵山の13日から鉾町散策に出かけました。

先ずは、東洞院通り松原の保昌山から。

東洞院通りを下ったところにある市原呉服店では大きな屏風が2枚も飾られていました。

次は新町通り高辻の岩戸山。お囃子の演奏が途切れた時に山の上に上がらせてもらえます。(300円) 生まれて初めて山鉾の上に上がりました。

階段が急で、怖いです。

上から見下ろすと結構高くて、これで巡行の時は揺れるだろうし・・。

お囃子の鉦や、

太鼓がありました。

柱にも凝った彫り物があって、屋根下の欄間の彫刻や塗り物などが凝っています。

次は、新町通りを上がって、船鉾へ。
神功皇后が遠征するところを現わしているそうです。

船首と、

船尾。舵取り板のような所の螺鈿細工が立派です。
ここでも鉾に上がらせてもらいました。(500円)

船首の鳥(ゲキという名前)を上から見たところ。金ぴかなのに、背中がこすられて黒くなっているのは、巡行の時に大勢の子供が乗ってここにつかまるためだそうです。背中に神様のお札が貼ってあります。
ゲキは先発して敵の様子を調べる役目があったそうで、「檄を飛ばす」の語源になっているそう。

船の中央天井には20枚の花の絵が描かれていて、

船鉾拝観券の絵に毎年一つずつ使われているそう。20年間通いつめると全部集まることに。今年は朝顔の絵です。

船鉾に上がるのは会所の2階から平行に板が張られているから、岩戸山ほど怖くはありません。
13日ではまだ人出がそれ程多くないので、船鉾の上で若い方が詳しく説明してくれました。後になると、とても全部説明していられないので、だいぶはしょるそうです。早く行ってよかったー。
巡行の時には鉾の上に50人もの人が上がっているというから驚きです。

会所の2階ではお囃子の人達が「お祭り」をしていました。

新町通りを少し上がると、幕末に鉾が焼けた大船鉾の会所があり、再興を願って、焼け残ったお飾りが展示されていました。こちらの船は神功皇后が凱旋するところを現わしていたそうです。

四条烏丸西の函谷鉾。

南観音山のお飾りは加山又造のうちわ絵等できれいでした。新町通りを三条まで上がって帰ってきました。
まだ、立ち上がっていない山もありましたが、13日でも宵山気分を十分堪能することができました。

先ずは、東洞院通り松原の保昌山から。

東洞院通りを下ったところにある市原呉服店では大きな屏風が2枚も飾られていました。

次は新町通り高辻の岩戸山。お囃子の演奏が途切れた時に山の上に上がらせてもらえます。(300円) 生まれて初めて山鉾の上に上がりました。

階段が急で、怖いです。

上から見下ろすと結構高くて、これで巡行の時は揺れるだろうし・・。

お囃子の鉦や、

太鼓がありました。

柱にも凝った彫り物があって、屋根下の欄間の彫刻や塗り物などが凝っています。

次は、新町通りを上がって、船鉾へ。
神功皇后が遠征するところを現わしているそうです。

船首と、

船尾。舵取り板のような所の螺鈿細工が立派です。
ここでも鉾に上がらせてもらいました。(500円)

船首の鳥(ゲキという名前)を上から見たところ。金ぴかなのに、背中がこすられて黒くなっているのは、巡行の時に大勢の子供が乗ってここにつかまるためだそうです。背中に神様のお札が貼ってあります。
ゲキは先発して敵の様子を調べる役目があったそうで、「檄を飛ばす」の語源になっているそう。

船の中央天井には20枚の花の絵が描かれていて、

船鉾拝観券の絵に毎年一つずつ使われているそう。20年間通いつめると全部集まることに。今年は朝顔の絵です。

船鉾に上がるのは会所の2階から平行に板が張られているから、岩戸山ほど怖くはありません。
13日ではまだ人出がそれ程多くないので、船鉾の上で若い方が詳しく説明してくれました。後になると、とても全部説明していられないので、だいぶはしょるそうです。早く行ってよかったー。

巡行の時には鉾の上に50人もの人が上がっているというから驚きです。


会所の2階ではお囃子の人達が「お祭り」をしていました。

新町通りを少し上がると、幕末に鉾が焼けた大船鉾の会所があり、再興を願って、焼け残ったお飾りが展示されていました。こちらの船は神功皇后が凱旋するところを現わしていたそうです。

四条烏丸西の函谷鉾。

南観音山のお飾りは加山又造のうちわ絵等できれいでした。新町通りを三条まで上がって帰ってきました。
まだ、立ち上がっていない山もありましたが、13日でも宵山気分を十分堪能することができました。
