ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

2015年青春18冬の旅(1)余部鉄橋

2015-12-14 20:01:54 | 遠出(国内)
既に去年の話になっていて、恐縮です。

2015年最後の青春18の旅で、12月に1泊で但馬地方に行ってきました。
朝「8時ちょうどの~♪」(どうしても、このフレーズを口ずさんでしまう世代です)山陰線で京都を発ち→福知山に10:09着、10:11発→城崎温泉駅に11:33着、11:56発→12:30香住駅に着きました。


香住駅前から12:35発の観光周遊バス「たじまわる」に乗りました。4月~12月の土日祝日に全但バスが運行しているバスで、500円で一日乗り降り自由のバスです。コースは7種類ありますが、季節によってコースが違っていて、12月はたじまわる5号だけが走っていました。そのコースは、JR香住駅-道の駅あまるべ-山陰海岸ジオパーク館-JR浜坂駅-湯村温泉-但馬牧場公園-湯村温泉 の間を一日に上下各5本ずつ走っています。
バスガイドさんが沿線の説明をしてくれて、途中観光しながら何回もバスを乗り降りして、結構長い距離も乗れて、しかも、チケットを見せるとおみやげや施設での割引も受けることができて、お得で便利な周遊バスでした。


先ず、香住駅の次の「道の駅あまるべ」まで行きました。12:50着。

「道の駅あまるべ」はあのJR山陰線の余部鉄橋の下にあります。



今はコンクリートの鉄道橋になっていますが、その前の鉄橋から列車が強風で飛ばされて落ちた事件は忘れることができない大事件でした。
1986(昭和61)年12月28日午後1時25分頃、鉄橋を通過中の香住発浜坂行き回送列車が日本海からの突風にあおられ、機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落、真下にあった水産加工場や民家を直撃し、車掌1名と加工場の従業員5名の計6名が死亡、6名が重症を負いました。
橋の下の工場があった場所に観音像が祀られ、慰霊の場となっていました。

事故当日は日本海から最大風速25mを越す強風が吹きつけていました。事故の後、国鉄は風速20mを超すと列車を止めることにし、度々列車が通過できない事態になっていたため、ついに2010(平成22)年から新しくアクリル製の暴風壁を備えたコンクリート製の橋梁に付け替えられました。



それまでの鉄製の橋脚は11本のうち3本だけが残され、展望施設「空の駅」として活用されています。






取り外された橋の一部が道の駅の近くに展示されていました。



道の駅のある橋の下から急な坂道を登って「空の駅」に向かっていくと、民家の向こうに日本海と断崖の見事な風景が広がって見えてきました。
この日は晴れた穏やかなお天気でしたが、冬には荒れた風雪の毎日が続くことでしょう。



ここが元の鉄橋の上に当たる「空の駅」です。横が現在使われているJRの線路で、ちょうど通過する列車が橋を渡ってきました。



橋のすぐ西側に餘部駅があります。


「道の駅あまるべ」には、余部橋梁の昔から今までの歴史や構造などの解説が展示され、鉄橋関係のお土産も売られていました。
元の橋は1912(明治45)年に完成し、日本海からの潮風が吹きつける中も橋梁守の人々の努力で保守されてきました。橋の長さは310.59m、高さは41.45mでした。
始めは餘部には駅がなく、隣の鎧駅まで鉄橋の上を歩いて、トンネルを抜けて行かねばなりませんでしたが、1959(昭和34)年に住民の長いがかなってやっと餘部駅が誕生したそうです。

橋の上を列車で通ったことはあったけれど、元の橋を外からじっくり見たことがありませんでした。架け替えられる前の雄姿を見ておくべきだったなあ。


「道の駅あまるべ」でお昼を食べ、14:30に再び「たじまわる5号」に乗って次に進みました。

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