ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

2016年西伊豆の旅 もくじ

2016-11-14 22:35:19 | 遠出(国内)
2016年11月中旬に行った西伊豆の旅です。








伊豆の長八を訪ねて前から行きたかった西伊豆の町を歩き、独特の建物や文化、珍しい自然に触れることができました。
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2016年西伊豆の旅(7)下田駅から熱海経由で帰る

2016-11-14 22:34:28 | 遠出(国内)
三四郎島で海が割れるのを見てから、堂ヶ島から下田を回って帰途につきました。

11時40分堂ヶ島発の西伊豆東海バスでバサラ峠を越えて、12時38分に伊豆急下田駅前に着きました。



駅前広場の椰子の木の下からも温泉が出ています。



駅の構内で金目鯛の駅弁を食べました。



13:16伊豆急下田発の電車は途中でJR線に乗り入れし、運転手も車掌もJRの人に変わります。



東伊豆の海を眺めながら走っているうちに雨が降ってきて、15:14熱海に着きました。



熱海の駅はさすがに観光客であふれていました。



駅前の足湯にもたくさんの人が入っていましたが、暖まってから、15:46熱海発のこだまに乗り、18:44京都に帰ってきました。

西伊豆の旅はこれで終わりです。

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2016年西伊豆の旅(6)海が割れる島ー三四郎島

2016-11-14 22:33:26 | 遠出(国内)
松崎の町を散策した後、再びバスに乗って昨日訪れた西伊豆町堂ヶ島に戻りました。
なぜ昨日堂ヶ島に寄ったかというと、天気予報で翌日から下り坂になるということだったので、晴れた昨日のうちに遊覧船に乗って景色を楽しみたかったからです。その目論みが当たって堂ヶ島の海を楽しんだ様子はこちらです。

この日も早目に宿に入って海に沈む夕陽を見る企みです。

宿はバス停から歩いて10分程、海の側の断崖の上にあり、



部屋のベランダから見下ろすと、この絶壁です。






雲が多くなってきていましたが、何とか夕陽を見ることができました。このころは16時半頃が日没の時刻でした。

宿の近くの温泉何館かのお風呂を楽しめるチケットをもらって、お隣のホテルの温泉を楽しんでからお部屋での夕食タイム。


豪勢な夕食。



伊勢えびのお刺身は



後でみそ汁の出汁になりました。



『海が割れるのよ~♪ 道ができるのよ~♪ 島と島とが~つながるの~♪』 天童よしみの歌謡曲『珍島(チンド)物語』(1996年)に歌われているのは、朝鮮半島の南西端にある珍島ですが、西伊豆海岸にも海割れ(トンボロ現象)が起きる島がありました。堂ヶ島にある三四郎島では、大潮の時に砂の道(砂州)が出現して海岸とつながり、歩いて渡れるそうです。
三四郎島という名前は見る方向によって四つの島が三つに見えたりするからです。

この日海割れの起こる時間は午前10時10分頃とのこと。宿のベランダから見ていると、9時頃に三四郎島の中の一番海岸寄りの伝兵衛島(象島)と海岸の間に砂州が出始めました。






宿から20分程歩いて、砂州の付け根の所に行ってみました。海岸のバス道路から急な崖を降りた所です。



10時頃になりましたが、この日は完全には海に道ができないようでした。
それでも、一人の人が向こうの島まで渡っていったのは、長い防水ズボンをはいた漁師の方でしょうか。この辺りの海ではテングサがたくさん獲れるので、海にもぐったりして収穫しているのです。



ちょうど堂ヶ島の海岸付近では、暖かい海岸地方に多いツワブキがたくさん咲いてきれいでした。


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2016年西伊豆の旅(5)岩科学校

2016-11-14 22:32:31 | 建物(静岡県)
国指定重要文化財「岩科学校」は、1879(明治12)年4月に着工、1880(明治13)年9月に完成した伊豆地域最古の小学校です。


日本では甲府の旧睦沢学校(明治8年)、松本の旧開智学校(明治9年)などに次ぐ古いものとして知られ、旧開智学校とは平成17年に姉妹館提携しています。
この頃松崎の村内では教育振興熱が高く、校舎新築費2630円66銭のうち、四割余りが寄付金で集まりました。



11:43長八美術館前発の西伊豆東海バスで11:49重文岩科学校に着き、3分程歩くと、松崎の町はずれ農村地帯の山際に、白い漆喰の目立つ建物が突然現れてきます。
なまこ壁をいかした社寺風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた建物です。






<開館時間> 9:00~17:00(年中無休)
<入館料> 大人300円【中学生以下無料】

なお、明治商家中瀬邸、伊豆の長八美術館との3館共通入館券は700円で購入することができます。



正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は、太政大臣・三条実美の書です。
庇下の龍の彫刻は入江長八によると言われています。入江長八は、1880(明治13)年 65歳の時にもう一度故郷を訪れ、岩科学校や岩科町役場などで制作作業を行いました。






玄関の上は半円形のバルコニーになっています。



生徒の入口は男女別々で、正面入口の両側の廊下側から入ることになっています。
開校当初の生徒数は、男子89名、女子60名の計149で、6名の男性教員が教えていました。



校長室には校長の人形が。



教室の授業風景。



小使い室。



始業の合図は太鼓で行われました。



教室で昔の教科書や農具、早場繭の資料などが展示されていました。



二階正面のバルコニーを内側から見たところ。



バルコニー室の天井にある漆喰鏝絵のランプ掛けと、



上部壁の鳳凰の鏝絵(作者不詳)。






二階の廊下。


二階和室は裁縫や作法の授業に使われていましたが、四方の長押壁に長八の代表作「千羽鶴」の鏝絵が残されています。和室では見たこともないような青い壁地の上に、138羽もの鶴が小さな鏝で描かれて部屋をぐるりと取り巻いて舞っています。









脇床の「山水図」と「美人賞蓮の図」も長八の作品です。






鶴の置物も、



この壺も漆喰で作られています。

長年念願だった伊豆の長八の傑作「鶴の間」をやっと見ることができて、大満足。伊豆の農村の子供達でもこんなに美しい建物の学校で勉強できたことはちょっとうらやましい感じがしてしまいました。

「岩科学校」の建物は、1975年国の重要文化財指定の翌月まで幼稚園として利用され、隣に岩科小学校の新しい校舎ができていましたが、少子化の波とともに2007年に廃校となり、「松崎小学校」に統合されてしまいました。



敷地内には1875(明治8)年に建設された岩科商社、のちに岩科村役場として使用された建物が移築復元され、「開花亭」の名称で喫茶・休憩所・お土産品売り場として利用されています。






開花亭の玄関天井や旧西座敷の天井に描かれた鏝絵は長八の高弟・佐藤甚三が制作したものです。







開花亭でお茶を飲んでから、13:26重文岩科学校発のバスで長八美術館前に帰ってきて、松崎の町を再び散策しました。


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2016年西伊豆の旅(4)伊豆の長八を訪ねて

2016-11-14 22:31:24 | 建物(静岡県)
西伊豆松崎町は「伊豆の長八」の産まれた町です。
入江長八(1815(文化12)年 ~1889( 明治22)年)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した左官職人の名工です。貧しい農家の長男でしたが、生来の手先の器用さから12歳のとき左官棟梁のもとに弟子入りし、19歳の時江戸へ出て絵を狩野派に学びました。かたわら彫塑の技を修めて左官の業に応用し、漆喰を使って絵を画き彫塑して華麗な色彩を施し、新機軸をひらいてついに長八独特の芸術を完成、「伊豆の長八」として名を馳せました。
松崎の町には長八の作品が多く残されているというので、前から訪ねてみたかった念願がついに叶いました。


浄感寺。浄土真宗本願寺派。
長八の菩提寺でしたが、元禄時代の松崎村大火で焼失してから仮本堂となっていたのを、1845(弘化2)年~1847(弘化4)年に再建されました。この時31歳の長八は、浄感寺塾で学び育てられた恩返しにと、弟子2人を連れて江戸から帰り、再建に尽くし、本堂内陣天井の『八方睨みの竜』と、壁に漆喰細工の天女一対を描きました。(静岡県有形文化財)

現在、浄感寺の本堂は「長八記念館」となっています。
<開館時間> 9:00~16:00(不定休)
<入館料> 大人500円【中学生以下無料】

残念ながら、堂内は撮影禁止で長八の作品の画像はありません。


本堂の正面柱、梁、海老虹梁は江戸時代の名人彫刻師石田半兵衛邦秀の透かし彫りが彫られています。
これは一木で彫られた波の中に鯛が泳ぐ彫刻です。



こちらは波の中に亀がいます。









境内にある入江長八のお墓。



長八の像。



長八が使った鏝を集めた展示です。
どれも繊細な細工をするのにふさわしい小ぶりなものです。




次に、すぐ近くの「伊豆の長八美術館」に行きました。
入江長八の仕事を残し、伝統の左官技術のすばらしさも一般の人に知ってもらいたいという思いが、松崎町活性化事業と共鳴して、1984(昭和59)年に建てられました。
館内には入江長八の作品約60点が展示されていて、入口で拡大鏡をもらい、細かい部分まで鑑賞することができます。残念ですが、こちらも館内撮影はNGなので、長八作品をお見せ
できません。

<開館時間> 9:00~17:00(年中無休)
<入館料> 大人500円【中学生以下無料】



建物の設計は石山修武氏で、1985(昭和60)年に建築部門の優れた作品を表彰する「吉田五十八賞」を受賞しました。



建築にあたっては、数多くの優能な技術者が全国から集まり、伝統の左官技術が建物や園内全体にちりばめられています。土佐漆喰の技も。



園内に左官技術の継承のために新しく作られたなまこ壁の建物がありました。


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2016年西伊豆の旅(3)明治商家中瀬邸

2016-11-14 22:30:02 | 建物(静岡県)
松崎のなまこ壁の家の中でも特別立派な「明治商家中瀬邸」がときわ大橋のたもとにあります。

明治20年、呉服商家を営んでいた依田家はわずか数代のうちに財をなした大地主でした。昭和63年に母屋や土蔵など七棟からなる邸を町が買いとり、総合案内所やジオパークビジターセンターとして活用しています。館内には、当時の呉服商の再現、観光案内、地場産品の販売、喫茶などが設けられています。

<開館時間>9:00~17:00(年中無休)
<入館料金>大人100円、中学生以下無料



正面の蔵は松崎ビジターセンターとして、伊豆半島のジオサイトを展示しており、こちらは無料です。



蔵の入口の扉には鏝絵(こて絵、左官が壁を塗るこてで漆喰の絵を描いたもの)で龍と、


虎が描かれていました。



中瀬邸の前には時計塔がありました。
大正13年昭和天皇のご成婚を記念して青年団により建設され、昭和13年の水害で水没しましたが、昭和62年にまちづくりの一つとして、再建されました。漆喰で作られています。



中瀬邸に入ったところは土間に続くお店の間で、5つ玉のそろばん等当時の呉服商のお店が再現されています。



明治時代の着物も展示してありました。



人力車もあり。



座敷は喫茶コーナーになっていました。



家紋の橘の花模様がかわいい釘隠し。



店の間から繋がっている土蔵の入口です。蔵の扉は黒漆喰で塗られています。



蔵の中の窓にも鏝絵がありました。









蔵を外から見るとこんな感じのなまこ壁です。



中庭。




舟底天井の渡り廊下の先にはギャラリーとアトリエがあり、昔早場繭の産地だった松崎の様子を表す機織り機などが展示されていました。

別の部屋では現代の名工の鏝絵の実演コーナーもありました。



家の裏側の道路に面した所に足湯がありました。


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2016年西伊豆の旅(2)松崎の町

2016-11-14 22:28:55 | 遠出(国内)
西伊豆松崎の宿、翌朝の朝食も漁師町らしくお魚たっぷりのごはんでした。


松崎の町はレトロな建物でいっぱいでした。

散髪屋さん。



無料お休み処になっていた家。



その中にあった金庫。
松崎町は俳句が盛んな町らしく、各家の前に俳句の書かれた行燈が立てられていたり、この家も俳句の展示場になっていました。



ときわ大橋。
橋の欄干がなまこ壁になっています。



なまこ壁だらけの家。
なまこ壁とは、平瓦を壁に貼りつけ、目地を漆喰で海の生物なまこのように盛り上げて格子状に塗って仕上げた壁のことです。防火性・保温性・保湿性に優れ、松崎町では今も190棟余り残っていて、補修・新作のできる職人が町の重要資源として保全・啓発活動を続けています。



なまこ壁通りの家。
江戸末期に建てられた薬種商近藤家の家で、明治10年に生まれた近藤平三郎は東京帝国大学薬学主任教授になり、アルカロイドの研究に足跡を残し、文化勲章を受章しました。






松崎町観光協会になっている建物。





観光用だけでなく、普通の家でもなまこ壁の家がそこここにあって、今でもそこで町の人達の生活が普通に営まれていて温かみが感じられる町でした。


お肉屋さんで「川のりコロッケ」を買って、松崎港で海を見ながら食べました。

松崎町のあちこちでドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」のロケがあったそうで、聖地マップも作られていました。


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2016年西伊豆の旅(1)堂ヶ島

2016-11-14 22:26:55 | 遠出(国内)
11月中旬に2泊3日で西伊豆に行ってきました。
7:59京都発の「こだま」で三島に10:45に着きました。

車窓から見た富士山は真っ白な雪をかぶっていました。



11:06三島発の伊豆箱根鉄道駿豆線で11:41に修善寺に着きました。






修善寺駅は2014(平成26)年に、建て替えられたばかりの新しい駅でした。


駅構内にある食堂で「しいたけうどん」を食べました。
やはり関東に来るとうどんの汁も黒い醤油味でからいものでした。


13:01修善寺駅前を出る東海バスに乗り、14:16に西伊豆町堂ヶ島に着きました。
バスは修善寺から深い伊豆の山並みの中を走り、やがて伊豆半島の西海岸に出、海沿いを走ります。
後方にちらっと富士山が見える所もありました。



堂ヶ島ではバス停のすぐ前に洞窟めぐり遊覧船の船着き場があります。近くにお土産所を兼ねた「加山雄三ミュージアム」もありました。
15:00発の堂ヶ島クルーズに乗船しました。堂ヶ島のリアス式海岸と島々を巡り、青の洞窟「天窓洞」へ向かうコースで、定員43名の船に約25分の乗船で1700円です。この他に、もっと長く乗っているコースもあります。



西伊豆の海岸は約2千万年前から2百万年前までの海底火山時代の地層が隆起し、海水に削られて様々な変化に富んだ景色が見られるジオサイトです。






海上からかすかに富士山も見られました。写真では写りませんでしたが、右の島の上のほうです。



四つの島からなる三四郎島を見て引き返しました。



洞窟の入口が見えてきました。



「天窓洞」です。




船の縁ぎいりぎりの岩に当たらないように上手に穴に入っていきます。



島の地下が海水が入り込む洞窟になっていて、その真ん中でぽっかり天井に穴が開いていて、差し込んだ光で海水がエメラルド色に輝いています。



天窓を見上げたところです。洞窟への入口は3ヶ所ありますが、船が入れるのは2ヶ所で、遊覧船が中でぶつからないように交代で入っています。
前から一度見てみたかった「天窓洞」をついに目にすることができて感激です。



堂ヶ島から8分間バスに乗って隣の松崎町に移動し、旅館のすぐ近くの松崎港で夕日を見ました。西伊豆は駿河湾に沈む夕日の絶景スポットがたくさんあります。
この日はとてもいいお天気で伊豆の海を堪能することができました。



宿の夕食は、7種類の獲れたて地魚お造りとサザエのつぼ焼きなど海の幸満載のものでした。


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