ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

奈良ホテルに泊まる

2020-04-02 23:43:46 | 建物(奈良県)
奈良町を歩いた後、午後3時頃に奈良ホテルに着きました。


奈良町の東側、奈良公園の高台にあり、周辺のあちこちから独特のクラシックな建物が見上げられます。



1909(明治42)年に「関西の迎賓館」として創業しました。
京都の都ホテルを創業した西村仁兵衛が明治39年、眺望に恵まれた高畑町飛鳥山を坪1円で買収し、山を削って、辰野金吾設計で桃山御殿風檜造りの和洋折衷の建物ができあがりました。ホテルの経営は、大日本ホテル株式会社から大正2年5月には鉄道院に移りました。大正2年から昭和20年までは鉄道院の、言わば国営で、利潤に追われることなく、多くの外国からの賓客や、皇族や首相達が来館しました。
戦後は昭和27年まで米軍の接収を受け、財団法人日本交通公社が営業を委ねられました。昭和31年から58年までは株式会社都ホテルが経営、昭和58年からは国鉄と都ホテルの50%ずつの出資による株式会社奈良ホテルが設立、以来、営業を続けています。




堂々とした玄関。



宿泊棟です。鬼瓦は東大寺大仏殿などでも見られる鴟尾(しび)です。



玄関車寄せの中は和風の格天井になっています。



玄関を入ったところのフロントロビー。



フロントロビーの天井も吹き抜け格天井、二階の欄干が取り囲んでいます。



フロントロビーに鳥居形のマントルピース(暖炉)と、その横に上村松園の「花嫁」が掛けられています。
マントルピースはほとんどの本館客室に備え付けられていて、大正初期まで使われていました。
「花嫁」の絵は、鉄道省観光局が、観光日本宣伝のために昭和10年頃ポスターに使用した作品です。この他、館内には数多くの絵画や芸術作品が掛けられていて、超一流の美術館になっています。



奈良ホテルのジオラマがありました。



一階奥の部屋はバー、その前には奈良ホテルと牛乳石鹸の創業が同じ年だったという縁で、鹿デザインの牛乳石鹸箱が積まれていました。
二階に上がる大階段の親柱の擬宝珠は、元は真鍮製でしたが、戦時中に供出したため、代用品として奈良の伝統工芸、赤膚焼で製作されました。




売店でも売られている石鹸をお土産にもらいました。



ティーラウンジ。



ロビー「桜の間」。



この部屋に1922(大正11)年にアインシュタインがひいたというピアノがありました。ピアノの脚部に鉄道省の動輪マークがあります。



廊下の展示コーナーに、これまでにホテルで使われていた食器やカトラリー、宿泊した客の写真、ホテルの歴史が展示されていました。



二階に上がる階段。改修により、エレベーターもあります。



階段から廊下には全て赤い絨毯が敷き詰められています。




窓からは若草山の丘と満開の桜が見えました。



廊下の各所にあるスチーム暖房のラジエーター。
1914(大正3)年から全館セントラルヒーティングになり、今も使われています。細かく美しい模様が刻まれています。



非常時にドアを壊して脱出するためのものか、つるはしが備え付けられていました。



宿泊室の内部。天井が高い和風の造りになっています。



ここにも暖炉があります。



夕食は、メインダイニングルームの「三笠の間」は改修工事中で使えず、新館の「金剛の間」でいただきました。新型コロナウィルスの感染防止のため、ビュッフェ形式ではなくフレンチ・コースとなりました。

オードブル。



ポタージュスープ。



海の幸のパイ包み焼き、シャンパンソース。



国産牛フィレ肉の一皿、温野菜添え、チャコールソース。



デザート、コーヒー。




翌朝の朝食は洋食と和食と茶粥朝食の中から選べたので、茶粥朝食をいただきました。


奈良ホテルが3月末まで改修工事をしていたため、通常よりも格安のプランがあり、一生に一度の贅沢な一夜を過ごすことができました。

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ならまち

2020-04-02 02:39:48 | 遠出(国内)
2020年3月31日に奈良に行きました。
京都駅から12時3分にJR奈良線の快速電車に乗って、奈良駅に着いたのが、12時48分。720円でした。


JR奈良駅は、2010年に高架化されていて、1934(昭和9)年に建てられた2代目の駅舎は今は、喫茶店を兼ねて奈良市総合観光案内所となっています。
屋根の上に相輪を持つ寺院風の建物で、保存を望む声が多く、18m曳家して、駅の東口に移され、2007年に近代化産業遺産、2011年に土木学会選奨土木遺産となりました。



駅前広場に常夜灯と平城宮大極殿跡の石碑が立っています。




奈良市のマンホールにはもちろん鹿が描かれています。この頃、新型ウィルスが広がってから観光客が少なくなって、鹿が餌を求めて、広く市街地にも進出してきたというニュースも聞かれていました。

駅前から東に向かう三条通りは歩道が広くなっていて歩きやすく、両側にある商店をぶらぶら見ながら奈良の町を歩いていきました。

三条通りと東向商店街との角に南都銀行本店があります。
1926(大正15)年築の登録有形文化財。正面にイオニア式の列柱を4本並べた堂々とした古典様式の建物。設計者は多くの銀行建築を手がけた長野宇平治です。窓枠や内装は改修されていますが、外観は当初の姿がよく保存されています。



花飾りの彫刻がかわいい。


「もちいどの(餅飯殿)センター街」のアーケードを抜け、


「しもみかど商店街」を歩きました。奈良の商店街に多かったお店は、古道具屋さん、古書店、リサイクル着物のお店、漢方薬店などなど。奈良の人は古い物を再生して何度でも大切に使うのだなあと思いました。



「もちいどのセンター街」南側辺りからが「ならまち」になります。
ならまち(奈良町)とは、奈良の旧市街地、特に元興寺の旧境内を中心とした一帯を指します。元興寺や興福寺の門前町だった奈良時代から始まり、近世以降は奈良を代表する商業地となりました。戦後は静かな住宅地も加わり、入り組んだ路地に、古い時代からの奈良のたたずまいを残す町並みが残っています。


明治初期の呉服商家が飲食店になっています。







「蚊帳」の看板の出たお家は、吉田蚊帳さん。大正10年創業の奈良特産・蚊帳生地の製造販売をするお店です。



その店舗。吸水性のいい蚊帳生地で「ならまちふきん」やのれんを作り、販売しています。



登録有形文化財、岡田家住宅。
主屋は明治前期。離れおよび渡り廊下は大正期。蔵は昭和5年の建築です。
幕末から明治時代にかけて産婆を生業とし、家の前面で薬の販売もしていて、伝統的な奈良の町家の姿をよく伝えています。



元興寺。日本最古の本格的仏教寺院、飛鳥寺が前身で、世界遺産になっています。
拝観料500円。


「ならまち」は観光地でありながら、京都のように観光ずれしていなくて、いかにも観光客目当てのようなお土産屋さんやレンタル着物屋が少なくて、落ち着いて歩ける街並みでした。

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