ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

よさこいよさこい

2006-08-08 01:22:43 | 土佐の国
高知市では毎年8月9日から8月12日までの4日間、よさこい祭りが開催されていますが、今回も日程があわず、残念ながらよさこい祭りを見ることができませんでした。

この通りも踊りの行列が繰り出す帯屋町商店街ですが、7日でまだ開店前だったので、お店のシャッターも下りて、人通りも少ないです。

高知市内最大の繁華街はりまや橋交差点では、土電西武百貨店が閉店後長く放置されていたのが取り壊されて空き地に、向かい側の国際ホテル跡も空き地になって、全く寂しい風景になっていました。
郊外型の大型店舗に押されて、こういう昔からの商店街も今ひとつ元気がないようです。
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土佐二十四万石

2006-08-08 01:21:03 | 土佐の国
土佐二十四万石の城下町、高知市に行ってきました。


高知城は、山内一豊が1601(慶長6)年に掛川六万石から土佐一国に移封され、それまで土佐を治めていた長曽我部元親が拠り所としてきた海寄りの浦戸城を捨てて、奥まった平原部分にある小高い丘の上に築いた城です。
2年後に本丸、二の丸が完成し、そのままの姿を今にとどめているので、数年前に築城400年祭りが行われたところです。

天守閣が追手門と共に完全な姿で残されている城は全国で3つしかなく、そのうちの一つとなっています。これは明治4年に山内家から高知県に無償で譲られ、公園化され、市民の憩いの場所となったお蔭で、かえって完全な形で残すことができたのだそうです。

大手門の近くにある一豊の像。千代と馬の像はもう少しお城の上のほうにあるので、今回は写せませんでした。

お城の近く一帯では、例の如く、大河ドラマにあやかって「土佐二十四万石博」なるものを開催していました。500円払って入場する展示館はドラマで着用された千代の着物だとか、写真パネルとかしかなくて、現地の人からも「なんちゃあない!」という評判だったので入らず、物産通りを通りすぎる時に「碁石茶」の試飲をさせていただいて、もちやさんのお顔を頭に描いたのであります。


お城の前の通りに「五藤」さんという風格のある門構えのお家があったのは、あの五藤吉兵衛の流れを汲むご家老のお家でしょうか。五藤家は安芸市に領地をもらって土居郭中を構えたので、ここは城下に出仕する時のお屋敷だったのかもしれません。

追手門の近くにある高知県立文学館で、「山内一豊とその妻」展をやっていたので、見学しました。入場料1000円とはお高い!と思ったけれど、中に入ってみると、千代と一豊の人生だけでなく、戦国武将の古文書や合戦屏風など他所からの出品物も多く、戦国時代の女性達に関する展示、山内家の宝物など盛りだくさんにあってかなりの見ごたえがありました。おまけに、見学者に自分にとっての江戸時代の高知を書いてもらうコーナーとか、子供向けに遊びながら歴史に触れるコーナーがあったりして、時間があったらもっとゆっくり見たかったです。
8月31日(木)まで開催、無休です。
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平和のための戦争展

2006-08-05 03:28:36 | ぶらり都めぐり
暑~い中を立命館大学国際平和ミュージアムで行われている「平和のための戦争展」を見に行ってきました。






戦争展には前はちょくちょく行っていたけれど、今度は久しぶりです。




手塚治虫の火の鳥。向うには「わだつみの像」がありました。




ムッちゃんの像ができていました。戦争中に空襲で家族をなくして一人ぼっちになったムッちゃんが、大分県の洞窟の中で一人衰弱して死んでいったという実話をドラマにしたのを前にテレビで見ました。
今またイラクで、レバノンで、たくさんの子供の命が失われていっています。
戦争のない世界になるように、日本の平和憲法の精神を守り広げていかなくてはと思いました。
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相国寺瑞春院

2006-08-05 02:41:14 | ぶらり都めぐり
「京の夏の旅」第二弾で、臨済宗相国寺の塔頭瑞春院に行ってきました。
本当に「夏の旅」で暑いこと、暑いこと。
個人で行きましたが、やがて団体で定期観光バスで来られた方達と一緒に説明を聞きました。
平日だし、団体さんもそれほど多くはなかったです。


烏丸今出川を少し上がって、同志社大学のすぐ北側、烏丸通りから東に入った所、相国寺の中では一番西側にあります。








玄関前のつくばい。後で気がついたけど、瓢箪の形してる。




南側のお庭。庭園は撮影OKで、室内はだめでした。
この庭に面した部屋に今尾景年筆「孔雀の襖絵」と上田萬秋筆「雁の襖絵」があります。
水上勉が9歳から約4年間このお寺で雛僧として過ごし、その時の思い出を綴ったのが、小説「雁の寺」ですが、小僧さんは雁の絵が描かれている部屋には入れなくて、孔雀を雁だと思って書いていたそうです。




東側のお庭。たくさんの赤石が羅漢を表しています。




北側のお庭。夢想国師の作風を模して室町時代風の池泉回遊式庭園で、池のほとりに表千家「不審庵」を模した茶室「久昌庵」が建てられています。




茶室の隣の書院。中に鈴木松年筆「松の襖絵」があります。
蓮がおっきーい!




茶室の手前の待合にこんな人がいました。




これが今年の夏の旅のメインの「水琴窟」     
茶室と待合の間にあります。




この竹の穴に耳を近づけると音が聞こえてきます。蹲からあふれ出る水が地下に流れ込んで音をたてているので、人の手で水をかけなくても、常に音楽を奏でるように澄んだ音が聞こえてきます。
少し暑さを忘れて癒されました。
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キンシ正宗堀野記念館

2006-08-01 04:48:08 | ぶらり都めぐり
「キンシ正宗堀野記念館(旧堀野家本宅)」は堺町通り二条上ル亀屋町にあります。
江戸時代まで御所の南のこの辺りには酒屋がたくさんあって、ここでお酒を造っていたそうです。というのは、御所とその周りのお公家さんの家が大きなお酒の消費地だったことと、豊富な地下水があったことからです。しかし、明治以後お公家さん達が東京に移ったことと、近代的な酒造設備に建て替えるには町中で手狭だったことから、水のよい伏見に移っていったのです。
堀野家も、1781(天明元)年初代松屋久兵衛が若狭からこの地にやって来て酒屋を創業しましたが、1880(明治13)年に伏見に移りました。屋敷や酒造道具類をここに残して、当時の様子を伝える記念館として公開されています。
また、ここで地ビールの製造も始め、販売しています。




堀野記念館は月曜と年末年始の休館日以外は公開されていますが、今年は「京の夏の旅」の訪問先にもなっているので、団体さんがどっと押し寄せて来る時間帯があるようです。幸いその時間帯ではなかったので、案内の方がおもしろいエピソードも交えて丁寧に説明をしてくださいました。


天明の大火で焼けた後に建てられた酒造蔵。
土蔵の中は年中気温が一定に保たれるので、酒造りに適していたそうです。




中には、大きな酒樽や昔の酒造道具が展示されています。




酒造りの基となった名水「桃の井」が中庭にあり、今も毎時3トンの水量で溢れ出しています。
お代わりOKで冷たいお水を飲ませていただきました。




同じく中庭にある文庫蔵。
向かいにあった白木屋(白木屋デパートの元のお店がこの町内に大きなお店を構えていました)の大きな瓦等が展示されていました。


この他に、町家部分も見学できて、虫籠窓、切子格子、大きな石灯篭、おもてなしのできる舞台の間付きの立派なお座敷など、見せていただいたのですが、残念ながら写真撮影に失敗してしまいました。





見学の後は試飲タイム。
先ず、すっきりタイプの「町家麦酒」とまったり味の「花街ビール」、
続いて日本酒の「鴨川の床(だったか?名前は不確か)」、「大吟醸」、「金箔入りのお酒」と次々注がれるので、すっかりいいコンコロモチになってしまいました。




奥にお酒とビールを京の食材とともに楽しめるビアホールもあって、売店とこちらは入館料なしで入れて、午後9時までやっています。
ここだけ行っても楽しめそう~

見学の時間は、午前11時~午後5時。入館料300円。
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