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ASD(自閉スペクトラム症)が存在する理由・論文紹介1

2019-11-04 22:11:25 | 脳科学・心理学

先日のブログで、自己診断の結果、自分はASD(自閉スペクトラム症)かもしれないということを書きました

それ以来、ASDについていろいろと調べるようになりました。そんな中で、西川伸一氏が運営する「オール・アバウト・サイエンス・ジャパン(AASJ)」というウェブサイトで、興味深い論文が紹介されていることを知りました。その総説論文は、ASDの人たちは社会的コミュニケーション能力が低いのにもかかわらず、人類の進化の中で淘汰されずに一定の比率で生き残ってきた理由を、様々な根拠から解説しているものです。西川氏は、グーグル翻訳を使ってでも読んでほしいと強く勧めていましたので、グーグル翻訳をしました。しかし、そのままでは誤訳や読みにくさもありましたので、自分で校正して和訳を作ってみました。


この論文はなかなか読みごたえのある内容でしたので、私のブログで何回かに分けて紹介していきたいと思います。
1回目は、タイトル、要旨、序文から。

 *2回目:ASD(自閉スペクトラム症)が存在する理由・論文紹介2
     「共同的道徳性の出現と新しい適応戦略の可能性」
 *3回目:ASD(自閉スペクトラム症)が存在する理由・論文紹介3
     「もう一つの向社会的適応戦略としての知的障害のない自閉症」
 *4回目:ASD(自閉スペクトラム症)が存在する理由・論文紹介4
     「知的障害のない自閉症は、価値のある技術的および社会的スキルを有している」
 *5回目:
ASD(自閉スペクトラム症)が存在する理由・論文紹介5
     「ASを進化の文脈に含めるための進化学的基盤 」「結論」


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TIME & MIND, 2016 VOL. 9, NO. 4, 289–313

タイトル
人間の向社会性に代わる適応戦略はあるのか?人格の多様性と自閉症的特性の出現における共同的道徳性の役割

著者・所属
ペニー・スピキンズa、バリー・ライトb、デレク・ホジソンa
(aヨーク大学考古学部、ヨーク、英国; bヨーク大学ハル・ヨーク医学部および健康科学部、ヨーク、英国)

要旨
他の人の考えや感情をよりよく理解することへの選択圧は、人間の認知進化の主要な原動力と見なされています。しかし、社会的認知の進化は、社会的理解とポジティブな向社会的な評判の発達に向けた複数の戦略を伴っていて、私たちが想定するよりも複雑かもしれません。ここで、共同的道徳性の出現による脆弱性の社会的な緩衝力は、適応的な認知戦略の新しいニッチを開き人格の多様性を拡大するだろうと私たちは主張します。このような戦略には、鋭い社会的認識や他人の考えや感情について再帰的に考える能力に依存しない戦略が含まれます。特に、複雑な社会的理解の不足を補う特定の強化された技術的および社会的能力をもたらす論理と詳細に基づいた知覚スタイルが、特定の生態学的および文化的状況において低レベルで有利になる可能性を検討します。「自閉症的特性」は、さまざまな社会戦略の相互依存の文脈で、旧石器時代後期に考古学的物質文化の革新を促進した可能性があり、それが革新と大規模な社会ネットワークの台頭に貢献しました。

序文
 過去10年間、人間の進化の成功における複雑な社会的理解の役割に注目が集まっています。他の心を理解するように高度に調整されていることは、選択された能力であり、人類の脳の拡張の主要な構成要素であることはほとんど疑いがありません(Dunbar 2002; Gamble, Gowlett, and Dunbar 2011)。人間は、他者の考えや動機について熟考することができることにおいて、他の霊長類よりもはるかに優れています。第一段階の「心の理論」は、心が他の人の考えを線形に考えることを可能にしますが、ほとんどの人間はより高いレベルの心の認知理論を持っています(すなわち、zが考えていることをyが考えていると、xが理解できることを推測する能力)(Dunbar 2002)。社会、社会的行動、社会的理解の発展は、時を経ることによる「心の理論」の複雑さの漸進的な増加を反映していると見なされてきました(Dunbar 2002; Gamble, Gowlett and Dunbar 2011)。
 しかし、社会的認知の進化は、「心の理論」能力の複雑さの増加以上に複雑かもしれません。高レベルの再帰的「心の理論」(他者の考えのさまざまなレベルを考えること)は、私たちが最初に想定するような利点をもたらしません。再帰的「心の理論」は認知的にコストがかかります。さらに、個人レベルでは、再帰的メンタリングは、他の人が考えたり感じたりすることについての不安を引き起こし、精神病につながります(Brosnanら 2010)。社会的状況に応じた再帰的メンタリングは、コストを考慮せずに協力するとき、つまり他人の幸福によって動機付けられ、他人の意図を考えずに道徳原則を遵守する人を信頼し尊重するとき、他人からの否定的な判断をもたらすこともあり得ます。重要な状況においては、信頼できる個人をサポートするために、私たちは協力して多大な努力をしています(Hoffman, Yoeli, and Nowak 2015)。高度な視点のレベルでは、個人間の争いを高めることもでき(火に油を注ぐ)、「彼らがあなたにやろうとしていると思うのなら、あなたが彼らにそれをやれ」という状態になります(Pierceら 2013)。
 「心の理論」能力の低さは、複雑な社会的関係の理解を低下させますが、共同性の文脈においてその永続性を可能にする利点ももたらします(Devaine, Hollard, and Daunizeau 2014)。 他の人の考えや感情をより強く意識し、他の心のますます複雑な直観的モデルに向かって進むような進化の圧力を一般化する一方で、現実はより複雑になりそうです。 私たちは、ますます複雑な人間社会における脆弱性の社会的緩衝は、より再帰的な心の理論を超えて、より広範な親社会的人格につながる親社会性へのさまざまな戦略を力づけてきたかもしれないと主張します。


不安症や神経質に関わる遺伝子は進化で残ってきた

2018-12-01 22:40:20 | 脳科学・心理学
脳科学の分野で興味深い研究報告がありましたので、ひさしぶりに紹介します。

ヒトの心の個性や精神疾患に関係する遺伝子が進化の過程でいつ生まれて、どのように現在に至るまで残ってきたかを解析した論文です。こうした遺伝子の存在がヒトという種の存続にとって有害であるとしたら、進化における自然選択の過程で消えていくはずです。でも、実際には多くの人が、心の問題で悩んだり、生きにくさを感じたり、病気にまで進行したりしているというのが現実です。ということは、ヒトという種の存続にとってなんらかの役に立ってきた可能性も考えられます。こうしたことは、人間の本質に関わるすこぶる興味深い課題ですが、これまでほとんど研究が進んでいませんでした。今回の研究報告は、こうした課題に答えを与えてくれる第一歩となる非常に重要なものだと感じています。

東北大学理学部の研究者たちは、精神疾患の関連遺伝子に着目し、哺乳類15種のゲノム配列を用いて、人類の進化過程で加速的に進化した遺伝子を検出しました。また、約2500人分の現代人の遺伝的多型データを用いて、集団中で積極的に維持されている遺伝的変異の特定を試みました。その結果、人類の進化過程で自然選択を受けて加速的に進化してきたことが見出されて注目されたのが、SLC18A1遺伝子。この遺伝子の136番目の座位に2つのヒト特異的なアミノ酸置換が存在し、ヒト以外の哺乳類は全てアスパラギン(Asn)でしたが、ヒトにはスレオニン(Thr)とイソロイシン(Ile)という2つの型がありました。そして、Thr型とIle型はヒト集団中に約3:1の割合で存在していることが明らかになりました(図1)。


図1.SLC18A1遺伝子の136番目のアミノ酸多型の頻度。チンパンジー、ネアンデルタール人、ヒト、そして世界各地のヒトでの比較。

SLC18A1遺伝子は小胞モノアミントランスポーター1(Vesicular Monoamine Transporter 1: VMAT1)をコードしており、神経や分泌細胞において分泌小胞にモノアミン神経伝達物質であるドーパミンやセロトニンを運搬する役割を果たしています(図2a)。136番目がThr型の方が小胞への神経伝達物質の取り込み効率が低いほか、うつや不安症傾向、精神的個性の一つである神経質傾向はThr型の方が強いことが示されています。また、Thr型は双極性障害や統合失調症などとの関連が指摘されています。Ile型のほうが精神的により頑強な健康的なタイプになるのでしょう。


図2(a).SLC18A1(VMAT1)は、シナプスにおいて一度放出されたモノアミン神経伝達物質を分泌小胞に回収する。

Thr型とIle型はどちらが先に出現したのか、また、なぜうつや不安傾向などに関わる遺伝的変異が集団中に高頻度で存在するのかという疑問が浮かび上がります。そこでこの研究では、Thr型とIle型の進化プロセスの解明、およびこの多型に働く自然選択の検出を試みました。その結果、ネアンデルタール人など古人類の時点で既にThr型は存在していること、Ile型は人類が出アフリカを果たした前後で出現し、有利に働く自然選択を受け頻度を増加させていったこと、一方で、アフリカの集団では、Ile型の頻度は低く、自然選択を受け始めてから十分な時間が経っていない可能性が示されました(図1)。また、ヨーロッパやアジアの集団では、この多型座位の付近で有意に遺伝的多様性が増加しており、多型を積極的に維持する平衡選択が働いていることが明らかとなりました(図1)。つまり、不安傾向や神経質傾向などをより強く示すThr型は、チンパンジーとの共通祖先から人類の進化の過程で、何らかの有利な影響を与えていたと考えられます。その後、ヒトがアフリカ大陸を出て、ヨーロッパやアジアなどに広がった際に、抗うつ・抗不安傾向を示すIle型が、自然選択を受け有利に進化したことが推測されます。しかし、Ile型とThr型は、どちらか一方に完全に置き換わることなく、両方の遺伝子が積極的に維持されるような自然選択が働いていると考えられるということです。

現在の人類において、精神的に健康なIle型より、不安症や神経質、様々な精神疾患に関わるとされるThr型を持っているヒトのほうが多いというのは意外な感じもします。しかし、人類の歴史においては過酷な時代が長かったので、Thr型が敵から逃れるのに役に立ってきたが、ほんの最近になって平和な時代になってからは、ポジティブに生きていけるIle型がより適応するようになったという解釈もできるように思えます。この遺伝子だけで、不安症や神経質、様々な精神疾患になるかどうかが決まるわけではなく、多くの遺伝子の相互作用、そして生育環境がそれらを決める要因になると考えられますが、今回の研究をきっかけにさらに知見が積み重なることで、精神と進化の問題が解明されていくことが期待されます。

文献: Sato, D. X. and M. Kawata (2018) Positive and balancing selection on SLC18A1 gene associated with psychiatric disorders and human-unique personality traits. Evolution Letters.

脳内にあるやる気のスイッチとは

2017-03-26 09:00:04 | 脳科学・心理学
引きこもりになっている人を見ていると、そんなにうつの度合いは高くないのに、活動性が上がってこないということがあります。やる気が出てこないようです。うつや不安を減らしていくことは大事ですが、同時にやる気を高めるなんらかの方法が必要なんじゃないかと思うようになってきました。
エレーヌ・フォックスの「脳科学は人格を変えられるか?」によれば、ネガティブな心の動きを担当する脳の回路を「レイニーブレイン(悲観脳)」、ポジティブな心の動きを担当する脳の回路を「サニーブレイン(楽観脳)」と呼んでいます。サニーブレインの中ではドーパミンとオピオイドが重要で、ドーパミンやオピオイドは側坐核で分泌されます。一方、大脳皮質にある前頭前野は側坐核にブレーキをかけるはたらきをし、側坐核と前頭前野からなるユニットがサニーブレインの回路を構成しているとしています。
最近、脳内のやる気スイッチがマウスを用いた実験で発見されたという研究報告がありました。それは大脳基底核の線条体というところにあるドーパミン受容体を持ったニューロン(神経細胞)で、上記のサニーブレインとは別個に、あるいは協力してはたらいているのかもしれません。慶応大学から出されたプレスリリースを紹介したいと思います。

研究の概要は、
『このたび、慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室の田中謙二准教授(他省略)らの共同研究グループは、マウスを用いた実験で意欲障害の原因となる脳内の部位を特定しました。意欲障害は、認知症や脳血管障害など、多くの神経疾患で見られる病態ですが、その原因については、脳が広範囲に障害を受けたときに起こるということ以外分かっていませんでした。研究グループは、大脳基底核と呼ばれる脳領域の限られた細胞集団が障害を受けるだけで、意欲が障害されること、この細胞集団が健康でないと意欲を維持できないことを発見しました。今後は、この意欲障害モデル動物を用いて、これまで治療法が全く分かっていなかった脳損傷後の意欲障害における治療法を探索することが可能になります。本研究成果は、2017年2月1日に総合科学雑誌であるNature Communicationsに掲載されました。』

研究の背景は、
『認知症などの神経変性疾患、脳血管障害や脳外傷などの脳の障害では、いずれも高い頻度で意欲障害が認められます。いわゆる「やる気がない」という症状であり、リハビリテーションの阻害因子として患者さん本人のQOL(quality of life)を低下させるのみならず、介護者の意欲を削ぐ要因にもなります。うつ病の意欲障害には、抗うつ薬という治療の選択肢がありますが、損傷脳の意欲障害にはどの薬が有効で、何が無効かなど治療薬選択について全く分かっていません。その一つの要因として、損傷脳の意欲障害がどのようなメカニズムによって発生するのか全く分かっていないので、候補薬さえも挙げられない状況です。』

研究の内容は、
『研究グループは、脳の特定部位である線条体の損傷によって意欲障害を起こす頻度が高い臨床結果を参考にして、線条体を構成する一つの細胞集団、ドパミン受容体2型陽性中型有棘ニューロン(以下D2-MSN)に注目しました。実験者が任意のタイミングでD2-MSNを除去することができる遺伝子改変マウスを作出し、意欲評価の実験を行いました。マウスの意欲の評価には比率累進課題と呼ばれる餌報酬を用いた行動実験を用いました。あらかじめマウスに課題を学習させておき、マウスの意欲レベルを調べます。その後、D2-MSNだけに神経毒を発現させて徐々に細胞死させます。もしもD2-MSNが意欲行動をコントロールするならば、D2-MSNの細胞死によって、マウスの意欲レベルは下がるはずです。また、意欲の低下が線条体のどの部位の損傷で、どの程度の損傷の大きさで起こるのかわかるはずです。研究の結果、線条体の腹外側(図)の障害で、かつ、その領域のわずか17%の細胞死によって意欲障害が起こることが分かりました。(以下省略)』


図.線条体の腹外側

研究の意義と今後の展開は、
『動物を使った意欲の研究では、おいしい餌を報酬とする場合と、覚せい剤のような依存性薬物を報酬とする場合があります。依存性薬物を希求する意欲の責任脳部位として線条体の腹内側部が知られていましたが、おいしい餌のような生理的な欲求に対する意欲の責任脳部位は分かっていませんでした。本研究によって、その責任脳部位が線条体腹外側部であること、中でもD2-MSNが意欲の制御に働いていることが明らかになりました。他にもいくつかの部位が「やる気」を生むのに必要であると想像されていますが、本研究によって初めて、やる気を維持する脳部位・細胞種を明確に示しました。損傷脳の意欲障害のモデル動物が樹立できましたので、今後はこのモデル動物を用いて、意欲障害を改善する薬剤を探索することができます。』

以上のようにこの研究では、認知症、脳血管障害や脳外傷などの明確な脳障害が想定されていますが、引きこもりや日常的にも起こるやる気の低下といったより身近な脳の問題にも関係する部位の一つが見出されたと考えられます。どうしたらD2-MSNという細胞を活性化できるかはこれからの研究課題となるでしょう。

嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞が脳内で抑制し合っている

2016-11-26 10:36:06 | 脳科学・心理学
また、利根川進先生による脳科学研究の成果です。

脳には、海馬という記憶のセンターの近くに、人間では小指の先くらいの大きさの偏桃体という部分があります。偏桃体は、身体内外の危険、異常などをセンシングして、不安、恐怖などの感情を作り出すセンターとして知られています。偏桃体と前頭前野は互いにコントロールし合って、不安やうつの基盤になるようなレイニーブレインを構成していると言われています(「脳科学は人格を変えられるか?(エレーヌ・フォックス)」)。理研-MIT神経回路遺伝学研究センター長の利根川進教授は、脳科学的アプローチでうつのメカニズムについての研究に精力的に取り組み始めました。このグループがNature Neuroscienceに発表した最近の研究によると、この偏桃体の基底外側核という部分の後方と前方には、それぞれ嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞が集まっていて、互いに相手の働きを抑制し合っているというのです。偏桃体に嫌な体験細胞があってもおかしくありませんが、嬉しい体験細胞もあるというのは初めて知ったことですし、あんな小さな場所でそんな重要な感情や行動が決められているというのがおどろきです。

では、その研究報告のプレスリリースを見てみましょう。
『「嬉しい」「嫌だ」といった情動体験は、その体験に特有な行動を引き起こします。マウスでは、嬉しい体験は繰り返そうとし、嫌な体験にはすくみ行動(じっとその場に動かなくなる行動)をとったり、その体験を避けたりします。これまでの研究により、どちらのタイプの行動も脳内の扁桃体にある基底外側核の働きによって引き起こされることが知られていました。しかし、嬉しい体験で働く神経細胞(嬉しい体験細胞)と嫌な体験で働く神経細胞(嫌な神経細胞)が基底外側核内で混在している説と異なる領域に局在している説があり、その詳細は不明でした(図)。

今回、理研の研究チームは、行動中に活動した神経細胞を標識する遺伝学的手法を用いて、嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞の特徴を調べました。その結果、嬉しい体験細胞はPppr1r1b遺伝子を発現し扁桃体基底外側核の“後方”に局在し、嫌な体験細胞はRspo-2遺伝子を発現し扁桃体基底外側核の“前方”に局在していることが分かりました。

また、マウスの脚に軽い電気ショックを与えながら、嫌な体験細胞の働きを「光遺伝学」で人工的に抑えるとすくみ反応が減少しました。光遺伝学とは、光感受性タンパク質を発現させた神経細胞群に局所的に光を当て、その働きを活性化させたり抑制させたりする技術のことです。また、マウスが鼻先を壁の穴に入れると報酬の水をもらえる装置で、マウスが水をもらっている最中に嬉しい体験細胞の働きを人工的に抑えると、鼻先を穴に入れる回数が減少しました。このことから、嬉しい体験細胞および嫌な体験細胞の活動が、それぞれの体験に特有な行動を“実際に”引き起こすことが明らかになりました。さらに、電気生理学的手法を使って、嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は、それぞれの働きを“互いに抑制し合う”ことを突き止めました。

今後、うつ病に代表されるような情動障害において、嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞を別々に操作することができれば、新しい治療法の開発への道を拓くことができます。また、それぞれの細胞群の特徴に照準を絞って治療薬の探索を行うことで、より的確な情動障害治療の創薬につながると期待できます。』



図.嬉しい体験と嫌な体験に対応する神経細胞の存在領域
嬉しい体験で働く神経細胞と嫌な体験で働く神経細胞は、扁桃体基底外側核内で、混在しているという説(左)と異なる領域に局在しているという説(右)があり、詳細が不明であった。

嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は、それぞれの働きを互いに抑制し合っているということだから、嬉しい体験細胞を活性化させれば、嫌な体験細胞を抑えて、ポジティブな心持ちになり、不安を減らし、前向きに幸せに生きていけるのではないでしょうか。日々イライラしたり、シュンとしながらなんとか生きている私たちの脳において、嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞のバランスは、嫌な体験細胞側に傾いているのだと思います。嬉しい体験細胞を活性化させていくことが、楽に意欲的に生きていくうえで一つのポイントになりそうです。

幸福度に関係する脳部位について新たな報告が

2016-08-20 08:17:23 | 脳科学・心理学
以前、右脳の楔前部(けつぜんぶ)という部位に主観的幸福の基盤が存在しているという研究報告を紹介したことがあります。最近、別の脳部位が、一時的な「幸せ感情」と長期的な「幸福度」の両方に関係しているという研究報告がありました。その脳部位とは、内側前頭前野の一領域である吻側前部帯状回という場所だということです。そのプレスリリースの内容を下記に紹介したいと思います。

『幸せには、好きなものが得られた時などに経験する「幸せな気持ち(幸せ感情)」としての一時的な側面と、自分は幸せである、と比較的長期にわたり安定して認知される「幸福度」としての長期的な側面の2つの側面があることが知られており、幸福度が高い人は日常生活の中で幸せ感情を感じやすく、逆に日常生活において幸せ感情を多く経験すればするほど幸福度が上がっていくというように、幸せの2つの側面は相互に関連していることが分かっていました。しかしながら、なぜ2つの側面が関連するのか、その生理学的基盤はよく分かっていませんでした。
今回、自然科学研究機構 生理学研究所の定藤規弘教授、小池耕彦特任助教、中川恵理特任助教と愛知医科大学の松永昌宏講師らの共同研究グループは、磁気共鳴画像装置(MRI)を用いて、幸せに関連する脳領域を構造面・機能面から調べました。その結果、幸福度が高い人ほど内側前頭前野の一領域である吻側前部帯状回という脳領域の体積が大きく、その大きさはポジティブな出来事に直面した時の吻側前部帯状回の活性化と関連している(幸福度が高い人は、吻側前部帯状回が大きいために幸せ感情を感じやすい)ということが明らかとなりました。本研究結果は、NeuroImage誌に掲載されました(2016年4月13日オンライン版掲載)。』


研究内容をもう少し詳しく引用します。
『研究グループは、幸せと脳との関連に注目。今回の研究では、MRIを用いて、脳の構造的解析と機能的解析を組み合わせることで、これまでにない側面から脳と幸せとの関連を明らかにすることを試みました。MRI実験では、実験参加者にポジティブな出来事(好きな人に告白してOKをもらったなど)、ネガティブな出来事(好きな人に告白してフラれたなど)、感情的にニュートラルな出来事などをMRIの中で想像してもらい、ポジティブな出来事を想像している時に特に強く活動するとともに、幸せ感情喚起の程度と関連して活性化する脳領域があるかどうか、参加者の幸福度に対応して構造が変化する脳領域があるかどうか、などを調べました。実験の結果、幸福度が高い人(自分は幸せであると強く感じている人)ほど、内側前頭前野の一領域である吻側前部帯状回と呼ばれる脳領域の体積が大きいこと、ポジティブな出来事を想像している時に感じる幸せ感情の程度が高い人ほど吻側前部帯状回の活動が大きいこと、さらにポジティブな出来事を想像している時の吻側前部帯状回の活動はその場所の体積と相関していることなどが明らかとなりました。このことは、幸福度が高い人ほど、ポジティブな出来事に直面した時に幸せ感情を感じやすいことを意味しており、その生理学的基盤が吻側前部帯状回の構造と機能との関連で説明できることを示しています。』



図 左が吻側前部帯状回の場所、右が幸福度と吻側前部帯状回の大きさとの関連


プレスリリースでは触れられていませんでしたが、以前の報告の右脳楔前部、そして今回報告の吻側前部帯状回と、幸福感に関係する脳部位が2か所あってもいいのですが、どちらが本質的なのか、それぞれ異なる役割を担っているのかなどは、さらに研究が必要なのでしょう。
ところで、この研究の報告者の定藤教授は次のように語っています。
『幸福感には、自分は幸福であるという持続的な肯定的評価(持続的な幸福)と、ポジティブな出来事に直面した時に発生する一時的な肯定的感情(一時的な幸福)という二面性があり、これらはお互いを強化しあう関係があります。今回の研究では、幸福の二側面が共通の神経基盤(吻側前部帯状回)を持ち、持続的な幸福はその体積に、一時的な幸福はポジティブな出来事を想起している最中の神経活動に関係していることがわかりました。最近の研究で、脳は筋肉と同じように、鍛えれば鍛えるほど特定の脳領域の体積が大きくなることが分かっていますので、今回の結果は、楽しい過去の記憶の想起や、明るい未来を想像するといったトレーニングにより、持続的な幸福が増強する可能性を示したものといえます。トレーニング効果は今後実験的に確認する必要があるでしょう。』


楽しい過去の記憶を思い出すことがうつの改善につながるというマウスを使った利根川進らによる研究報告を以前紹介したことがあります。おそらく、楽しいことを思い出すことが幸福感を高めたり、うつを改善したりすることにつながるのは科学的にも正しいことなのでしょう。アーロン・ベック流の認知療法でも、毎日自分の良い点を思い出したときや良いことをしたとき、腕のカウンターでカウントして日記に記録する方法が提案されています「いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法(デヴィッド・D・バーンズ)」。私もそれを実践してはいるのですが、ポジティブな記憶を意識的に思い出すもっと強力なメソッドがあれば役立ちそうです。