wakabyの物見遊山

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書評「評伝デヴィッド・ボウイ 日本に降り立った異星人スターマン(吉村栄一)」

2017-04-09 15:12:26 | 書評(アート・音楽)


デヴィッド・ボウイの人生と作品を回顧する展覧会「DAVID BOWIE is」の売店で購入した。デヴィッド・ボウイの伝記的な本はたくさん出ているが、とくに日本とのかかわりについて書いてあるこの本が気になって選んだ。読んでみると、新聞記事調で出生から死亡までの出来事や活動が過不足なく淡々と記述されている。日本とのかかわりについては様々な局面が確かに書かれてはいるのだが、私としては京都とのかかわりについてもっとたくさんページを費やして記述してほしかった。また、筆者の個人的なボウイへの熱い思い入れが感じられず、淡白すぎる文章には物足りなさも感じるが、きっちりと事実関係が書かれた記録としての価値はあるのだろう。
本書の中で、とくに興味を感じたところ、おもしろかったところを下記にまとめた。

・ボウイはバイ・セクシャルとしてのイメージがあるが、それはプロモーションのための作られたイメージのようで、「ハンキー・ドリー」時代に行ったゲイ宣言は妻のアンジーのアイデアだという。だからこの本の中にも、男性の恋人はいっさい出てこない。
・もともと飛行機嫌いで、1973年4月5日の初来日の時は客船オロンセイ号でロスアンジェルスから横浜港大さん橋にやってきた。その後、飛行機嫌いは克服している。
・「ロウ」を出した後の1977年にプロモーションで来日したとき京都にも行き、このころからボウイの京都愛は始まった。京都の定宿は俵屋旅館、好きなそば店は晦庵河道屋(みそかあんかわみちや)、散策したのは東山の古川町商店街、鰻の蒲焼を野田屋で買った。このあたりに行けば、ボウイの足跡をたどれるのだろう。また、よく行ったライブハウスは「礫礫」や「クラブ・モダーン」であった。東山の九条山に住んでいたという都市伝説があったが、そこに住んでいたのは友人で名前の似たデヴィッド・キッドという中国文化を研究する米国人で、ボウイはそこに泊まることはよくあった。だからボウイは京都に家まで持っていたわけではない。
・ボウイの音楽はニューウェイヴの出現に大きな影響を与えた。私は「スケアリー・モンスターズ」あたりがニューウェイヴの音楽的原型になったと思っていたが、このアルバムの発売は1980年なので、1970年代後半に出現したニューウェイヴよりタイミング的にすこし後になる。筆者の吉村によれば、ニューウェイヴ・バンドの多くはジギー・スターダストを観て音楽に目覚め、その後の「ヤング・アメリカンズ」「ロウ」といった変身するボウイを目の当たりにして、音楽に常識は必要がないということを信じた世代で、自由な発想で斬新な音楽を次々と生み出した、と述べている。一方のボウイも、ニューウェイヴ・バンドが好きだったようで、ボウイが会場で目撃されたライブや会っていたアーティストとして、ヒューマン・リーグ、ブロンディ、トーキング・ヘッズ、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、クラッシュ、ジョー・ジャクソン、ゲイリー・ニューマン、ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフが挙げられている。ヴィサージのスティーブ・ストレンジは「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」のPVに出演している。ボウイとニューウェイヴ・アーチストたちは双方向に影響し合っていたようだ。
・ローリング・ストーンズのビル・ワイマンは、ニュー・オーリンズの音楽に東洋や沖縄音楽の要素をミックスした「泰安洋行」など細野晴臣の音楽に夢中になっており、ボウイに紹介したところボウイも愛聴していたという。ロックへの民族音楽の導入の先駆けであったようだ。
・日本のアーティストとしては他に、サンディー・アンド・ザ・サンセッツが好きだった。ロンドンでサンディー・アンド・ザ・サンセッツが客演するジャパンのコンサートがあり、楽しみに会場に行ったところ、ジャパンのツアー・マネージャーから招待リストにボウイの名前がないと言って追い返されてしまった。それ以来、互いにへんなしこりができてしまったのだろうか。ジャパンは私が好きなバンドの一つだが、音楽やファッションは、グラム、ヨーロピアン、民族音楽趣味のところがデビッド・ボウイの影響を受けており、とくにボーカリストのデヴィッド・シルビアンは髪型、スタイル、ステージ上での動きなど明らかにボウイの真似をしていることがうかがえる。そんなデヴィッド・シルビアンは、ボウイへの追悼コメントの中で「僕はマニアじゃない。ボウイのアルバムはもう何十年も聴いていない。非難もお勧めもお断りします」と書いている。大好きだったと言えばいいのに、相変わらずひねくれた人だ。
・1996年6月に日本ツアーが行われ、4、5日の日本武道館コンサートの前座は布袋寅泰だった。私はこの5日のコンサートを見に行ったが、訳あってコンサートの最初のほうしか見れていない。コンサートの途中で帰ることなど後にも先にもこの時くらいしかないだろう。

書評「村上隆のスーパーフラット・コレクション (村上隆)」

2017-03-04 08:26:09 | 書評(アート・音楽)


本書は、横浜美術館で2016年1月30日~4月3日に開催された「村上隆のスーパーフラット・コレクション-蕭白、魯山人からキーファーまで」の展覧会図録である。村上隆は現代アートの作家として世界的にも著名であるが、膨大な現代アートや工芸品などの個人コレクションをお披露目したのがこの展覧会であった。私は、この展覧会を見てたいへん満足した。つまり、現代アートというものにおそらく初めて興味を持つようになるくらいのインパクトをもたらしてくれたからである。
展覧会会期中にこの図録を予約したときの価格は3,600円、発売後の価格はその2倍くらいが予定されていたと思うが、実際には定価10,800円で発売された。しかし、内容を見るとさらにその倍くらい、2万円くらいしてもおかしくない充実ぶりである。また、2016年6月が発売予定日であったが、制作が遅れて9月に発売されており、ずいぶん労力をかけて作られた本だということがうかがえる。

このような膨大、高額なコレクションを収集するにはそうとうな物欲が原動力になっているはずだ。村上隆は同時期に「村上隆の五百羅漢図展」という仏教の五百羅漢を題材にした巨大な絵画の展覧会を開催していた。少し気にはなっていたが、結局見に行かなかった。そこには、いわゆる仏教画や禅画が持っているような精神性はなかっただろう。静逸な仏心からは程遠いものだっただろう。それこそスーパーフラットな、かたちだけ拝借した仏画だったのではないだろうか。

彼の絵画が好きではなくても、このスーパーフラット・コレクション図録はすばらしい。私は、マルセル・ザマやクララ・クリスタローヴァといった自分好みの作家を見つけることができた。また、この本には展示作品の写真・説明だけでなく、関係者による解説、エッセイや対談なども載せられている。例えば次のようなところが目にとまった。

オーストラリアの美術品収集家デイヴィッド・ウォルシュと村上隆の「コレクター対談」では、美術品コレクターについてウォルシュが興味深い分析を展開している。それによると、芸術やその収集は生物学的現象であり、「これだけ無駄なエネルギーを使えるんだから、俺はグループの中でそれなりの地位について尊敬を受けて当然だ。」と言いたいという、生物学でいう適応度を示す指標だという。実際に、ウォルシュがオーナーを務める美術館Monaに科学者たちを招いて進化にまつわる理論をキュレートした展覧会の開催を予定している。また、収集には「授かり効果」という認知バイアスが働いていて、自分の所有物を過大評価していると、自分が希望する値段を払ってそれを買ってくれる人はいないので、自分のところにどんどん物がたまっていくとか。Monaでは、美術品への説明書きを取り払うことで、ニュートラルな空間とし、社会的な価値という装飾を切り離し何が良いものか自分自身で決めてもらうようにしているという。
陶芸店「桃居」のオーナー広瀬一郎は、近代現代の日本陶芸の流れとして30年をスパンとしたトレンドの変換として解説していて、これも興味深い。そこには世界に影響力を持ちうるようになった日本の文化の潮流とのリンクがある。

さて、一点残念だったのは、作家名でひける索引のようなものがついていないことである。この本には、現代アートの図鑑のような価値もあるのだから、そのような使いかたもできるようにしてほしかった。