正月に茨城の実家に帰省したおり、近くの新治廃寺跡(はいじあと)と新治郡衙跡(ぐんがあと)に行ってきました(2023年1月4日)。
2か所とも、実家から歩いていける距離にありますが、遺跡のあるところには石碑が立っているくらいで特に見るべきものがあるわけでもなく、子どものころもほとんど行った覚えがありません。しかしながら、国指定文化財にもなっており、今後、遺跡の整備計画もあるらしく、私が育った地域の遺跡をいちおう確認しておこうという気持ちで見てきました。
凶暴ネコは私の滞在中、ケージに入れてもらっています。昨年、飼いネコに噛まれて亡くなった有名シェフの方がいました。冗談にならないんですよ、ホントに気をつけないと。
そしたら、もう1匹、見慣れぬネコが出てきました。つい先日、12月に実家にやってきて保護されたオスネコだそうです。この子は、心優しいネコで、私に攻撃してくることはいっさいありません。人慣れしていて撫でてあげるとよろこびます。元々、どこかで飼われていたネコが、家出したか捨てられて実家にたどり着いた可能性が考えられます。
しかし、このネコは外が好きなのだそうで、外に出してくれと要求してきます。外に出すと、半日ほどどこかを放浪してから戻ってくるのだそうです。都会では考えられないことですが、田舎では今でも飼いネコが外と家を自由に往来しているようです。私は、キャット・ウォッチャーとしてネコの行動を観察できるからいいのですが、実家がネコ屋敷にならないかちょっと心配です。
さて、遺跡巡りは、新治郡衙跡からです。こんな感じですよ。石碑が立っているだけで、あたりは畑です。少し高くなった台地のようなところにあります。
ここには、奈良・平安時代に、常陸国新治郡の役所がありました。新治郡は、今の笠間市、桜川市、筑西市にまたがるけっこう広い地域です。「古事記」に、にいばり=新治の地名が出てきます。郡衙には、郡庁、正倉、館、厨家、門、垣などがあり、郡の人々から租税を取り保管していたそうです。
こちらが奈良時代に創建された新治廃寺跡。大きな木がシンボルのようになっていますが、遺跡よりだいぶ後の時代に植えられたのでしょうか。
ここは金堂跡。
柱の礎石が残っています。
このように、金堂の横に東塔、西塔、奥に講堂やその他のお堂が建つ立派な伽藍だったようです。奈良仏教は東国でもかなりの勢力を示していたことがうかがわれます。
東塔の跡。石碑が傾いています。後ろに礎石の跡のようなものが見えます。
近くには小さなため池がありました。
近くの香取神社。
筑西市立農業資料館。見学は予約制だそうです。
筑波山の上に髭のよう雲が浮いていたので撮りました。
さて、新治廃寺跡と新治郡衙跡はこれからどんなふうに整備されるのでしょうか。