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僕の読書ノート「共感革命:社交する人類の進化と未来(山際壽一)」

2023-12-09 08:04:32 | 書評(進化学とその周辺)

 

これはレビューするのが難しい。読む前の期待が大きすぎた。京大霊長類学派は、近年の不祥事で評価がガタ落ちしてしまったが、知名度も高く良識ある山際氏がそれをどれだけ挽回してくれるのか?「共感」はまさに諸刃の剣で現代において重要なキーワードだと私も感じていたので、どれだけ素晴らしい科学的論理展開を示してくれるのか?そのような過剰な期待があったので読んでみたのだが、申し訳ないが期待ほどではなかった。書かれていることはまっとうなことも多いのだが、私のような偏屈な人間には物足りなかった。

何が物足りなかったかというと、著者のあたまの中にある記憶や思いをそのまま、口述筆記のように書いているだけなのである。そういう文章でも通用するのは養老孟司氏のような限られた思索家だけだ。科学者の文章ではない。山際氏は科学者なのだから、論文や本からトピックスを引用、説明して緻密な論理構成を組み立ててほしかった。それが科学者が書いた本の説得力でもあるし、醍醐味でもある。本書は、そういう労力をかけずに楽して書いている感じがするのだ。また、主題である共感についての心理学的な考察がないし、そもそも定義が正しくないように思える。例えば、「共感は相手に共鳴し、相手の気持ちがわかることを指す。英語で共感は「エンパシー」で、同情は「シンパシー」になる。シンパシーは共感の上に成り立つものだ。進んで自分から助けることが相手のためになる、とわかっていないと成立しない」と書いているが、逆じゃないだろうか。先にシンパシーがあって、その上にエンパシーが発達してきたというのが動物進化の流れではないだろうか。

気を取り直して、有用に感じた内容もあるので書きとめておきたい。

・ユヴァル・ノア・ハラリは「サピエンス全史」で、ホモ・サピエンスが言葉を獲得し、意思伝達能力が向上したことを「認知革命」と呼び、種の飛躍的拡大の最初の一歩と考えた。しかし、著者は「認知革命」の前に「共感革命」があったという仮説を持っている。

・人類は180万年ほど前にアフリカ大陸を出た。そのためには、サバンナにいる多くの猛獣に対して防衛力を備えた社会性を持っていたはずだ。その社会性とは、共感力、つまり他者と協力する能力を基にしたものだっただろう。また人類の親は、頭だけが大きく身体の成長の遅い子どもを、たくさん抱えることになる。そのため親だけでは子どもを育てられず、他の仲間の手を借りる必要が出てくる。そこに共感力が育つきっかけが生まれた。

・農耕牧畜で領土が生まれ、ずっとその中だけで暮らしていると、領土内に住む人々の間でしか共感を感じなくなる。領土の外の共通の敵づくりに役立ったのが言葉だ。言葉はアナロジーで、同じ人間でも「こいつはキツネのようにずるいやつだ」「コウモリのように卑怯なやつだ」「鬼畜米英」という言い方をして、人間ではない生き物や、危険な外敵に仕立て上げることができる。戦争の起源は「共感力の暴発」でもある。

・人類最初の神殿とされているのが、トルコ南東部で発掘されたギョベクリ・テペで1万2000年前に建立されたと考えられている。人類の文化が生まれた「ゼロ・ポイント」と呼ばれている。最初の小麦の生産地もすぐ近くにあるが、およそ1万年ほど前とされており、神殿建立のほうが先という説がある。

・戦争は人類の歴史の中でも、きわめて新しいものだ。人類が狩猟採集生活をしていた時代に戦争をしていたという証拠は、現在見つかっていない。人類最古の戦争は、約1万2000年以上前とされている。スーダンのヌビア砂漠にあるジェベル・サハバで大量の人骨が見つかり、槍などで傷ついている形跡があることから、この頃から戦争があったのではないかといわれている。

・ホセ・マリア・ゴメスたちの哺乳類の系統樹分析では、種内暴力による死亡率は全哺乳類では0.3パーセント、霊長類の共通祖先では2.3パーセント、類人猿の共通祖先で1.8パーセントぐらいしかなく、人類になっても旧石器時代くらいまで2パーセントで安定している。それが、新石器時代、とくに3000年前以降の鉄器時代に入ると15から30パーセントと急に跳ね上がる。つまり、暴力によって殺し合う人間の精神性はつい最近の傾向で、しかも大規模な都市国家や武器の登場とともに現れてきたことになる。

・これからの人類の生活スタイルとして著者が予想?あるいは推奨?するのは、科学技術をうまく使い、狩猟採集時代の精神に戻る、「シェアとコモンズを再考する時代」の到来である。未来の社会は労働ではなく、自身の承認欲求を満足させるようなボランティア活動が人々の生きる意味になるだろう。そして、人々はそれぞれ複数のコミュニティに属し、それらを渡り歩いて過ごすようになる。これまでのような成長ー教育ー仕事―趣味といった単線的な人生ではなく、それらを同時に実践するような複線的な人生が主流になる。