子供はかまってくれない

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映画「天国にちがいない」:敵意と不条理という名の槍を無言でかいくぐる術

2021年03月13日 23時10分41秒 | 映画(新作レヴュー)
エリック・ロメールの晩年の秀作「パリのランデブー」に,公園に散策に来たカップルがそこに置かれている椅子を動かすシーンが出てくる。ひとり用ではあるものの公園の施設が移動可能,場合によっては持ち帰られる危険性のある設置方法を採用するというのは,日本では考えられないなと思っていたのだが,エリア・スレイマン10年振りの新作「天国にちがいない」の中にも街中の公園の噴水の周りに置かれた椅子が同様に「ただ置かれている」状態で利用されているシーンが出てくる。禁断の逢い引き(古いか)の装置として使われるロメール作品と異なるのは,その椅子を他人に奪われまいとしてお尻を乗っけたまま移動する人や,老婦人がもう少しで椅子に辿り着こうとする寸前に他人に奪われてしまう描写がある点だ。イスラエル国籍のパレスチナ人という複雑な出自を持つスレイマンの筆致は,そんな軽やかなアイロニーを湛えて10年のブランクを感じさせない。

物語は極めてシンプルだ。新作を構想中のスレイマンがパレスチナからパリ,そしてニューヨークへと移動を続けながら,秩序と混沌に満ちた世界の矛盾を(ほぼ)沈黙の中で見つめ続ける。レストランでは向かいの席に座り,店の主人に向かって料理の味付けに文句を言っている男たちに睨まれ,搭乗した飛行機の翼は不自然なほどに揺動し,パリの地下鉄では同じ車輌に乗り込んできた男に威嚇され,街中では平然と戦車が走っているのを呆然と見送る。ニューヨークで乗ったタクシーの運転手は,スレイマンが「パレスチナ人」と聞いて驚き「運賃は無料だ」と言ってくる。シナリオを売り込んだ映画制作会社の担当者は,テーマが「中東の平和」と聞いて,「笑っちゃうわ」と門前払いを食らわす。

ニューヨークの通りを歩く人々は皆兵器で武装し,まるでマーガレット・アトウッドの「侍女の物語」「誓願」の舞台となった「ギレアデ」と呼応するかのようだ。そんな街に現れた天使を大勢の警官が追いかけ,とうとう捕まえたと思ったら,羽だけがその場に残り,天使は姿を消す。
エピソードが残す肌触りはロイ・アンダーソンにも共通する,そこはかとない諧謔に満ちているが,どのシーンにもパレスチナが抱える複雑な政治的な背景が滲んでいるようにも感じる。けれども観終わって今も心を粟立たせるのは,個人と社会との普遍的な軋轢と紐帯という問題だ。勝手に他人の庭に入り込んでレモンの木を植える男に対して,あなたはどんな言葉をかけるのか。問いかける声は深く重い。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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