子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「エスケイプ・フロム・トゥモロー」:「闇の王子ディズニー」を思い出す

2014年07月29日 00時09分15秒 | 映画(新作レヴュー)
モノクロ映像で捉えられたディズニーランド。それだけで何やら不穏な空気が画面を満たすのだが,アトラクションに登場する人形や,来場した客を瞬間的に「変形させる」に到って,監督のランディ・ムーアが,物騒な傑作を次から次へと生み出してきたサッシャ・バロン=コーエン並の蛮勇とアイデアの持ち主であることが明らかになる。
筋だけを並べれば,ホラーとも教訓に満ちた悲劇とも取れる物語が,ムーアの映画作家としての鋭敏なセンスによって,得体の知れないブラックな味わいのあるコメディへと昇華している。

休暇を取って家族でディズニーランドにやって来た男が,早朝会社から電話で解雇を言い渡される。失意の中,そのことを家族に内緒でアトラクションを巡っているうちに,パリからやって来た女の子に酷い仕打ちを受け,悲惨な状態で死を迎えるまでの24時間の物語。
たったこれだけのお話なのだが,舞台となるディズニーランドが持つ「夢と希望の国」というイメージを反転させるような,「そこもまた悪夢と恐怖に満ちた現実世界の一部である」とする,ディズニー側からすれば到底許容できない描写が連続する。当然園内における撮影は無許可で行われた模様だが,観客が手を繋いで花火を見上げる一見何でもないカットも,この物語の中に置けばそれだけでカルト宗教の秘儀のように見えてくるのが凄い。

マーク・エリオットが書いた「闇の王子ディズニー」の中で明らかにされている,赤狩りの協力者としての側面を持っていたウォルト・ディズニーが作った場所ということを思い出せば,展開にもさほどの違和感がないとも言えるが,同様にダークなイメージで糊塗されるシーメンス関係者の憤りは相当なものと想像できる。
これで脚本にもう少しのひねりがあればと惜しまれるが,こんな作品を完成させてしまうアメリカ映画界の懐の深さには感服。
ラストで主人公が吐く毛玉が,トイレのたまり水の上でミッキーのシルエットになっていたら,☆ひとつ追加したのだが,そこは残念。
★★★
(★★★★★が最高)


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