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映画「母よ,」:「何を考えていたの?」「明日のことよ」

若い俳優で埋め尽くされる恋愛映画とアニメーションが常に興行収入の上位を独占するこの国にあって,派手なSFXが使われず,スーパーヒーローも出て来ない,極めて地味なヨーロッパの映画が公開される確率は,LOTO6の当選確率とどっこいどっこいなのではないかという気がしている。ニッチ文化が唯一生き残れる場所,東京にあってさえミニシアターがどんどん潰れていくご時世とあっては,イタリアの名匠ナンニ・モレッティの新作とあっても,その細かくも厳しい「興行価値判断」のフィルターの目をかいくぐり,津軽海峡を渡ってここ北海道に辿り着くのは容易なことではなかったはず。
北海道では数々の苦難を乗り越え,生まれた川に戻ってきた鮭のことを「ほっちゃれ」と呼んで,美味しくないものの代名詞に使うのだが,同様の道程を歩んできたに違いないモレッティの新作「母よ,」は,たとえようのない滋味に溢れた,人生のすべての要素が詰まったような傑作として,私の前に現れた。

映画監督として社会派の作品を世に送り続けるマルゲリータ(マルゲリータ・ゲイ)は,言語教師だった母(ジュリア・ラッツァリーニ)が死に瀕する状況を迎えて,初めて母が歩んできた人生を想い,感謝と思慕の想いに包まれる。同時にそんな気持ちを抱いたことによって,俳優やスタッフに対して常々言っていた「自分を離れて客観視する」ことを自分で初めて実践し,家族や職場への思いを新たにする。
こう粗筋をまとめただけでは「確かに地味だ」「客が来るのか?」と言わざるを得ない内容だ。実際,今日のディノス・シネマズ札幌劇場4番スクリーン第1回目の上映は,年輩の客ばかり7人くらいしか入っていなかった。

だが舞台は,劇中で主演のバリー(ジョン・タトゥーロ)が車の窓を開けて絶叫するように,まさに「フェリーニのローマ」なのだ。ただで終わる訳がない。
モレッティはマルゲリータの仕事場である映画撮影のシークエンスを巧みに織り込みながら,映画監督という職業が現場では芸術的センスの具体化に費やすエネルギーよりも,スタッフやキャストのマネジメントに割かれるエネルギーの方が遥かに多いという現実,実の娘が忙しい母親よりも近い存在である祖母に,学校での悩みを打ち明けているという過酷な現実,そして膨大な努力と叡智を内に宿しながらも,病に倒れひとり静かに消えていこうとする母親の命の重さ,といった幾つものシビアな主題を,いつものように笑いを塗しながら軽やかに語る。
幾重にも折り重なった時系列の鎖の中に,マルゲリータの夢と幻想が織り込まれ,最後はタイトルに記した臨終の母の言葉に涙する。モレッティの新作は,ローマからの長い旅によって,更にその魔力を増したかのよう。モレッティになり替わって,とにかく「ボナ・ペティ!」
★★★★★
(★★★★★が最高)
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