□ 春のバラの芽ではなくて、昨日7日の様子。
ノック・アウト(Knock Out/F/1999)蕾が、左向こうに。
◇ 真冬の冷たさを感じる一日、よく晴れた明け方の気温0℃、日中も8℃まで。
次第に曇って、お昼前から十二月の冷たい雨、余計に寒さが増した。
知り合いの方が、私の好きな短歌を色紙にしたためて下さった。
書の嗜みは、私の憧れの遥かな向こう、温かな筆が音もなく流れて、静か。
(una poesia di oggi)
くれなゐの二尺のびたるばらの芽の針やはらかに春雨の降る
正岡子規
『竹の里歌』(明37)所収。作者は明治35年9月19日に没した。
右(↑)はその二年半前の作。子規は「歌よみに与ふる書」で
世間を驚かせた明治31年以降、特に短歌に熱中したが、短歌
への関心はずっと前からあった。 短い晩年のうち、31年と33年
が歌は時に豊富活発だが、右は33年春の作。「庭前即景」と題
する。菜の花、鶸(ひわ)、四十雀(しじゅうから)、鳶(とび)と、
病床から見えるものは何でも歌になった。
大岡信著「新折々の歌5」(岩波新書)より
ノック・アウト(Knock Out/F/1999)蕾が、左向こうに。
◇ 真冬の冷たさを感じる一日、よく晴れた明け方の気温0℃、日中も8℃まで。
次第に曇って、お昼前から十二月の冷たい雨、余計に寒さが増した。
知り合いの方が、私の好きな短歌を色紙にしたためて下さった。
書の嗜みは、私の憧れの遥かな向こう、温かな筆が音もなく流れて、静か。
(una poesia di oggi)
くれなゐの二尺のびたるばらの芽の針やはらかに春雨の降る
正岡子規
『竹の里歌』(明37)所収。作者は明治35年9月19日に没した。
右(↑)はその二年半前の作。子規は「歌よみに与ふる書」で
世間を驚かせた明治31年以降、特に短歌に熱中したが、短歌
への関心はずっと前からあった。 短い晩年のうち、31年と33年
が歌は時に豊富活発だが、右は33年春の作。「庭前即景」と題
する。菜の花、鶸(ひわ)、四十雀(しじゅうから)、鳶(とび)と、
病床から見えるものは何でも歌になった。
大岡信著「新折々の歌5」(岩波新書)より
授業で習いました~
教科書に載っていて、今でもすらすらとうたえますが
さほどその頃は心を動かされなかったんですが
年を取ってそのよさに気がついたのが
今までの経験が、この短歌を輝かせることができたのか
情景が浮かばれて素敵な短歌ですよね・・・・
子供の頃に、この短歌に心を動かされたら、
先生と生徒が即交代か、即歌人で食べていけます。
給食でなくて、稼げるという意味…わかりまんがな♪
大人になって初めて、子供の頃、十代の頃に憶えた歌の良さに気付きます。
特にバラに心を動かされて(経験)とおっしゃるとおり、
「写実的+α(抒情的)」な歌の心がほのかに輝いてきます。
たぶん多くの方が書いてらっしゃると思いますが、
「の」の音が五つもあることが、この短歌の独特のリズムとなってますね。
二尺のバラの節々が新鮮で、花咲く春が期待される、その初々しさが、
早春の雨の日の静かな庭の佇まいに、ぼんやり明かりが射しているようにさえ感じます。
そして「慈雨」と呼ばれるように、春雨の優しさ。
鋭角的なバラの棘(針)とやわらかな雨の対比が、さすがに見事ですね。
…で、折節流「現代国語」でした。
宿題はありません、もうおやすみしましょう。