最近よく目につく「たった〇つのナントカ」みたいな表現。
・英語ができる人とできない人のたった一つの違い
・お金持ちがみんなやってるたった3つの習慣
・得する人は必ずやってるたった一つの行動習慣
なんなのでしょうね、この「たった〇つ」って。
そのお題目に注目して読んでみようと思う人はおそらく、その何かが出来なくて苦しんでるのだろう。
そういう人に対して思いっきり上から目線で、「出来る人と出来ないオマエの違いなんて、実は些細なものなんだよ」という。
当然、それを書いてる人は「出来てる組」の人として書いている。
で、この「たったこれだけ」っていうのがミソで、ものすごく抽象的でぜんぜん具体性がないのがほとんどだったりする。
例えば、「お金持ちになる人とならない人のたった1つの違い」で検索してみると、いくつか出てくる。
そうすると、お金持ちになる人は行動する人、ならない人は行動しない人、ただそれだけの違いというのがある。
本を読んでも、いくらそこにいいことが書いてあっても行動しないことにはお金持ちになれない。
本を読んだだけでプロ野球選手になれるか?素振りもしたことないのに?
本を読んだだけで外科医になれるか?メスももったことないのに?
はい、ぜんぜん役に立たないですね。
イチローみたいになるには行動するしかない、そりゃそうだろう。
たった一つの違い、行動するのだ!と。
じゃあ、行動したらイチローになれるのか、どういう行動をすればいいのだ、どういう練習をすればいいのか。
何歳から始めて、何時間練習して、とかそういう細かいことは無数にあって、ぜんぜんたった一つではない。
ギターだってそう。
イングヴェイ・マルムスティーンみたいに弾けるようになるには、とにかくギターを弾け。
たしかにそうですよ、間違いありませんよ。
そして、おそらくイングヴェイは誰かから効率のいい練習方を教わったのではなく、自分で試行錯誤して死に物狂いで訓練したのだと思う。
でもそれって、インギーとギターが弾けない人のたった一つの違い、ではないだろう。
基本的な考え方として、そのたったいくつかの考え方をするのはいいことだと思う。
ただ、それを客寄せパンダみたいに、たったこれだけしか違わないんだぞ、みたいな書き方をするのは、結局のところ読む人のためになってないと思う。
・英語ができる人とできない人のたった一つの違い
・お金持ちがみんなやってるたった3つの習慣
・得する人は必ずやってるたった一つの行動習慣
なんなのでしょうね、この「たった〇つ」って。
そのお題目に注目して読んでみようと思う人はおそらく、その何かが出来なくて苦しんでるのだろう。
そういう人に対して思いっきり上から目線で、「出来る人と出来ないオマエの違いなんて、実は些細なものなんだよ」という。
当然、それを書いてる人は「出来てる組」の人として書いている。
で、この「たったこれだけ」っていうのがミソで、ものすごく抽象的でぜんぜん具体性がないのがほとんどだったりする。
例えば、「お金持ちになる人とならない人のたった1つの違い」で検索してみると、いくつか出てくる。
そうすると、お金持ちになる人は行動する人、ならない人は行動しない人、ただそれだけの違いというのがある。
本を読んでも、いくらそこにいいことが書いてあっても行動しないことにはお金持ちになれない。
本を読んだだけでプロ野球選手になれるか?素振りもしたことないのに?
本を読んだだけで外科医になれるか?メスももったことないのに?
はい、ぜんぜん役に立たないですね。
イチローみたいになるには行動するしかない、そりゃそうだろう。
たった一つの違い、行動するのだ!と。
じゃあ、行動したらイチローになれるのか、どういう行動をすればいいのだ、どういう練習をすればいいのか。
何歳から始めて、何時間練習して、とかそういう細かいことは無数にあって、ぜんぜんたった一つではない。
ギターだってそう。
イングヴェイ・マルムスティーンみたいに弾けるようになるには、とにかくギターを弾け。
たしかにそうですよ、間違いありませんよ。
そして、おそらくイングヴェイは誰かから効率のいい練習方を教わったのではなく、自分で試行錯誤して死に物狂いで訓練したのだと思う。
でもそれって、インギーとギターが弾けない人のたった一つの違い、ではないだろう。
基本的な考え方として、そのたったいくつかの考え方をするのはいいことだと思う。
ただ、それを客寄せパンダみたいに、たったこれだけしか違わないんだぞ、みたいな書き方をするのは、結局のところ読む人のためになってないと思う。