最近よく見かけるよね、「本当は教えたくないナントカ」というお題目。
これ、なんなのでしょうね。
本当は教えたくないんだったら、教えてもらわなくていいんだけどさ。
・本当は教えたくない神アプリ
・本当は教えたくないすっきり痩せる方法
・本当は教えたくない業界の秘密
YAHOOで「本当は教えたくない」で検索すると、次々と出てくる。
なぜ本当は教えたくないのだろう?
自分だけ得したい、だけどそこまで言うんなら、仕方がないから教えてやろうか?
チッ、仕方ないな、本当は教えたくないんだけどね。
って、なんでこんなに上から目線なんだ?
今、これだけ「本当は教えたくない」が世にはびこるということは、それだけこのコピーに釣られる人が多いのだろう。
少しでも自分を成長させたい、という思いから、その上級者だけが知ってる、出来る人だけが知ってる門外不出のやり方を教えてもらえるような気がするから。
では、例として「本当は教えたくない ギター」で検索すると出てくる一つのブログ記事を読んでみよう。
「本当は教えたくない 読むだけでギターが上手くなる記事」
僕はいちおうギターが弾ける人なので、どんだけ「これ、本当は教えたくなんだけどなぁ、どうしよっか?まあいい、君にだけは教えてやってもいいよ」という奥義があるのか検証してみようじゃないか。
(あえてURLは貼りません)
で、書いてある内容は、コピーをしなさいってことだった。
細かいニュアンスまでしっかりコピーしなさいってことだ。
そうか、この誰でもやってる、当たり前のことを誰にも教えたくなかったのか。
人は人それぞれの感覚があるので、「このやり方はボクだけが知りえる奥義なんだ、ライバル諸君には絶対教えないよ」と思うのは勝手だけど。
いろいろ書いたけど結局のところ「本当は教えたくないナントカ」は、本当の本当は教えたくて仕方がないのだ。
真に教えたくないんだったら、それはトップシークレットとしてわざわざ公の場に発表しない。
でも、「本当は教えたくない」なんて、なんか人を小バカにしてるみたいでいい気はしないけどね。
というわけで、前回の「たった一つのナントカ」も含めて一つネタを考えてみた。
「本当は教えたくない、長生きできるたった一つの方法」
それは健康に気をつかうことである。
食事、運動、ストレスなど、健康に気をつかって生きるだけで、殺されない限り長生きするのである。
どう?
ためになったかしら?
これ、なんなのでしょうね。
本当は教えたくないんだったら、教えてもらわなくていいんだけどさ。
・本当は教えたくない神アプリ
・本当は教えたくないすっきり痩せる方法
・本当は教えたくない業界の秘密
YAHOOで「本当は教えたくない」で検索すると、次々と出てくる。
なぜ本当は教えたくないのだろう?
自分だけ得したい、だけどそこまで言うんなら、仕方がないから教えてやろうか?
チッ、仕方ないな、本当は教えたくないんだけどね。
って、なんでこんなに上から目線なんだ?
今、これだけ「本当は教えたくない」が世にはびこるということは、それだけこのコピーに釣られる人が多いのだろう。
少しでも自分を成長させたい、という思いから、その上級者だけが知ってる、出来る人だけが知ってる門外不出のやり方を教えてもらえるような気がするから。
では、例として「本当は教えたくない ギター」で検索すると出てくる一つのブログ記事を読んでみよう。
「本当は教えたくない 読むだけでギターが上手くなる記事」
僕はいちおうギターが弾ける人なので、どんだけ「これ、本当は教えたくなんだけどなぁ、どうしよっか?まあいい、君にだけは教えてやってもいいよ」という奥義があるのか検証してみようじゃないか。
(あえてURLは貼りません)
で、書いてある内容は、コピーをしなさいってことだった。
細かいニュアンスまでしっかりコピーしなさいってことだ。
そうか、この誰でもやってる、当たり前のことを誰にも教えたくなかったのか。
人は人それぞれの感覚があるので、「このやり方はボクだけが知りえる奥義なんだ、ライバル諸君には絶対教えないよ」と思うのは勝手だけど。
いろいろ書いたけど結局のところ「本当は教えたくないナントカ」は、本当の本当は教えたくて仕方がないのだ。
真に教えたくないんだったら、それはトップシークレットとしてわざわざ公の場に発表しない。
でも、「本当は教えたくない」なんて、なんか人を小バカにしてるみたいでいい気はしないけどね。
というわけで、前回の「たった一つのナントカ」も含めて一つネタを考えてみた。
「本当は教えたくない、長生きできるたった一つの方法」
それは健康に気をつかうことである。
食事、運動、ストレスなど、健康に気をつかって生きるだけで、殺されない限り長生きするのである。
どう?
ためになったかしら?