ブラック・サバスを脱退したオジー・オズボーンは新たなソロプロジェクトを立ち上げるため、アメリカでギタリストを募集していた。
おそらく相当な数のギタリストがオーディションを受けたと思われるが、一人もオジーを満足させる人物はいなかったらしい。
もう諦めてイギリスへ帰ろうかとしていたとき、一人のギタリストがオーディションを受けに来た。
それがランディ・ローズだった。
そのときのランディは後光が輝いているかのようなオーラを発し、なんと1曲も弾くことなくオジーに「おまえに決まりだ」といわれたらしい。
これは伝説の話なので実際はどうかわからないが、オジーの選択は正しかった。
ランディのプレイは1980年という時期において、ロックギターの最先端をいっていたように思える。
ジミー・ペイジやトニー・アイオミらが築いた基本的ロックギターをベースに、エディ・ヴァン・ヘイレンのスタイルを吸収消化して、自分のものにしていたのだった。
例えば、「クレイジー・トレイン」という曲がある。
明るくノリのいいリフワーク、このセンスは単なるHR/HMのギタリストでは出てこない気がする。
ハーモニクスやピックスクラッチの多用、ソロでのライトハンド奏法は、エディ・ヴァン・ヘイレン以降のギタリストらしいところだ。
次は人気のスローナンバー「MR.クロウリー」だ。
この曲のギターソロは、ある意味ランディの代名詞のようなもので、多くのギター小僧が指に豆を作って練習した名ソロが聴ける。
かなり弾きまくりのソロで、彼の特徴がよく出ていると思う。
また、70年代のロックギタリストの音階は、基本的にペンタトニックスケールだが、ランディのプレイを聴くとそれに囚われることなくメジャースケールを積極的に使っているようだ。
とくにエンディングのソロは、それまでのHR/HMギタリストにはないスタイルだろう。
マイナーキーによるカノンに近いコード進行だが、こういった曲だとランディは力を発揮する。
次は今もライブのオープニングに使われることが多い「アイ・ドント・ノー」を聴いてみよう。
16分で低音弦を刻むバッキングが斬新で名リフの一つだと思うが、ギターソロについてはそれほどでもないように思う。
これは「MR.クロウリー」と違い、ソロのバックがほぼワンコードだからだろう。
自分の得意なフレーズを繋ぎ合わせてあるだけのようにみえる。
もしかすると、ワンコードで延々とセッションするようなのは苦手なのかもしれない。
最期にランディ在籍時の貴重なライブ映像から「パラノイド」。
上記のスタジオライブの動画は他にもいくつかあるのだが、本物のライブ映像は非常に少ない。
あっても劣悪な画質だったりするが、このパラノイドはかなりマシだと思う。
ギターソロでは、一音でもたくさん弾こうと、限られたスペースの中で目いっぱい弾いているのが若々しく感じる。
1982年のインタビューでは、ワールドツアーで日本に行くのをとても楽しみにしていると語っている。
「僕にとって日本は特別なところなんだ。なんといっても僕のデビューアルバムを世界で唯一発売してくれた国だしね。」
それからまもなく、3月19日飛行機事故で他界。
享年25歳だった。
(おまけ)
ランディは小児麻痺で足が不自由だった、という噂があった。
そのため身長が伸びなかったとか、ステージではほとんど動かなかったとか、ライブ中はオジーが彼を抱き上げて移動させていたなどと実しやかに広まっていった。
マネージャーのシャロン・オズボーンは日本でそういう噂があることを知って大変驚いたそうだ。
現在、youtubeで見ることが出来るように普通に動いている。
どうしてそういう噂になったのか謎だが、悲劇のヒーローの肩書きとして誰かが捏造したのだろう。
ちなみに、私の初めてのライヴ体験がオジーでした
そこには、いるはずだったランディの姿はなく―
ショックでした。。。。。
生きていたら、どんな音楽人生を歩んでいたでしょうね....
マイケルとひとつ違いというのが、ちょっと意外でした(笑)
このときのオジーのライブ行かれましたか~。
来日時のギタリストはブラッド・ギルスですよね。
いくつかのブートでこの頃のライブ音源を聴きましたが、ギターソロなんかはアドリブで弾いてるのが多いです。
かなりリハーサル不足だったらしいのですが、その分キーボードでフォローしてるように感じました。
ランディを知るためには、ランディ以外のギタリストのプレイを聴く必要があります。
ブラッド・ギルスやジェイク・E・リー、さらに貴重なバーニー・トーメの弾くランディ曲を聴いてわかったのは、Mr.クロウリーやグッバイ・トゥ・ロマンスの凄さはコード進行だということです。
あのコード進行をバックにソロを弾けば、誰でも感動的なプレイが出来るんです。
ブラッド、ジェイク、バーニーはランディとは全く違うソロを弾いてるのですが、なかなかカッコいいんです。
ランディが生きていれば、オジーバンドであと2枚くらいアルバムを作って、2回くらい来日してるでしょうね。
ただ、いずれオジーバンドはやめてるとは思います。
本人はクラシックをやりたかったようですが、僕は案外クワイエット・ライオットに戻ってる気がします。