熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。送料込み5000円。
残部僅少、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

熊本対決

2009-04-21 18:39:50 | 文章
4月21日(日)、曇りのち雨。

朝、BSにビデオをセットして、仕事を開始しましたが、9時になって、開始の様子をライブで5分間だけ見ました。
本当は1時間まるまる見たいのですが、仕事優先です。

先ほどのライブで、気になることがあったので、放送時間終了の10時を過ぎてから、熊本に行っている尾崎さんに電話をしました。

「熊澤です。今どこにいますか」、
「これから例のお寺に駒を見に行こうと思って。あの寺、名前は何でしたっけ。貰っていたfax、持ってくるのを忘れて、今、熊澤さんに電話しなければと思っていたところです」
「テレパシーがありました。寺の名は本妙寺。本はブックの本、妙は女編に少い。花園町にあります。電話番号はコレコレ・・。ところでちょっと頼みがあります。テレビを見ていて、先手の駒台の向きが90度違うのが気になって、あなたから関係者の人にそれとなく言ってもらえればありがたいのですが・・」

ということで、夕方のテレビ。
駒台は何事も無かったように正しい向きになっていて、一件落着です。

駒台といえば、確か前局でも方向違いがあったように記憶しています。
対局者は盤面に集中しているので、気にしないのは分かりますが、局面に見ている者にとっては、気になるのですね。
周りの関係者は、事前に配慮して欲しいものです。

駒台では、最近のテレビ将棋で2局続けて気になることがありました。
対局中の駒台がグラグラしているのです。
対局者が駒を置くたびにグラグラ。あれはいけません。

しかも先週と今週。2局続けてグラグラ。
どちらも、対局者は何も言いませんでしたが、周りの関係者は事前にチェックしなければいけません。
同じ日に、グラグラのまま2局分を録画撮りしたのでしょうか。
とにかく、駒台が気になりました。

対局室設営時のチェックポイントに、「駒台の方向と状態」を加えたらいかがでしょうか。

でま、また。



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良かった良かった

2009-04-20 18:29:32 | 文章
4月20日の朝、8時30分に電話のベルが鳴りました。
どなたかな、と思いながら受話器を取ると、水無瀬神宮・宮司さんからの電話。ビッグニュースでした。

当方は思わず「オーッ、そうですか。それは良かった良かった」と、思わず大きな声で反応してしまいました。

実は、何年もズーット心配していたのです。
突然倒れられた先代の宮司には聞くことも出来無いまま数年が経過し、昨年亡くなられてますます所在が分からなくなり、半分はあきらめかけていた「もっとも重要なもの」があったのです。
それが出てきたという知らせです。
本当に「良かった良かった」です。

「もっとも重要なもの」って。そうです、「将棊馬日記」です。
一時所在が分からなくなっていた「将棊馬日記」が出てきたのです。

ご承知の方も多いと思いますが「将棊馬日記」は、400年前の水無瀬兼成さんの駒づくりの記録です。
正確に言うと、安土桃山時代の終わり天正8年から江戸時代初め慶長7年に至る13年間の兼成筆・水無瀬駒の製作数と、その一組一組ごとの譲り渡し先として、天皇・公卿・高名な武将などが繰り返し記述されているものです。

当時の水無瀬駒は、現在考える以上の超高級品であったことがこの資料で分かるのですが、それが一時、所在が分からなくなっていたのが出てきたという知らせでした。

水無瀬神宮に遺る「兼成筆・水無瀬駒」関連の品々は、このたび大阪府島本町の第1号文化財に顕彰認定されたのですが、肝心の「将棊馬日記」の所在が分からないままで、大変残念に思っていましたが、いずれ追っかけて認定されることになると思います。
良かった良かったです。

同じ知らせがお昼に島本町からもありました。近々、確認に出向きたいと思います。

ところで、島本町の担当者から、これら「一連の品々を保管する方法や入れ物を誂えたい。どのような物が良いか」との相談がありました。
予算化はこれからということでした。

返事は早い方が良いだろうと、「古水無瀬」の盛り上げを中断して、「基本の考え方と具体例」のアイデアを、4ページに書き下ろして、検討のたたき台としてFAXしました。
考え方としては、①、関連品のすべてをコンパクトに確実に収納保存する。
        ②、駒は、一枚一枚の所在が一覧して確認出来る構造。
        ③、展示時には、品物に触れることなく展示出来る構造と体裁。
        ④、防湿・防虫のための配慮をしておく。
        ⑤、将来の追加認定を見越して「兼俊筆」駒の収納余地も。   以上です。

展示するときは
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肥後本妙寺

2009-04-20 04:31:57 | 文章
4月20日(月)、晴れ。

明日から名人戦第2局が始まりますね。対局場は熊本城とか。
ここからは遠いですが、もっと遠い四日市の尾崎さんは、総勢5人で土曜日に車で出発。今ごろは九州のどのあたりでしょうか。

ところで、熊本城といえば、虎退治で有名な加藤清正。
地元では、荒れていた肥後を善政で豊かにして、熊本では昔から「せいしょうこうさま」と呼ばれて敬われているそうです。

清正は、秀吉と同じ尾張・中村の百姓のせがれ。秀吉とは親戚関係。
墓は少し小高い「本妙寺」にあります。

その本妙寺に、400年前の「中将棋駒と盤」が寺宝として遺されています。
今でも宝物館に展示されていると思います。
熊本城から車で10分もかかりません。熊本を訪れる時は是非とも見てください。
小生は地元新聞社に勤める方に教えていただいて、10年位前に見に行きました。
そのときの様子を「近代将棋・駒に生きる」で写真と文章を載せています。

駒は「水無瀬兼成」の筆跡です。
本来92枚のところ、10枚近く欠落していますが、将棋好きの方なら見る価値はあります。
確か、「折れ墨桔梗紋蒔絵」(桔梗は加藤家の紋)が施された「駒入れ」もあったはずです。

「盤」がまた珍しいものです。
12x12=92画の一つ一つ升目には、別の木で丸い埋め込みが細工されています。こんな盤は、それまでも今も、ほかに見たことがありません。

盤は「榧」製。埋め込んである木は、多分「桐」だと思います。
芯持ち材を直径2センチ5ミリくらいの円柱形にして、それを升目の中に埋め込んである訳ですが、何でこんなことを施してあるかが不明です。

強いて考えるとすれば、「駒を打ち付けたとき、ポンとかポコッと音がする」のでしょうか。しかし、何故、音が必要なのかは不明です。
お呪(まじ)ないか、司祭の何かに使われたのかどうかは分かりません。

話がずれてしまいました。


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つつじ

2009-04-19 21:05:43 | 文章
玄関脇の真っ赤な「つつじ」が、昨日、開花しました。
花の直径は約2センチ。
小さな真っ赤な花が気に入って、3年前に、近くの植木屋で購入したものです。
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オオナギミズ鳥

2009-04-19 04:16:56 | 文章
4月19日(日)、恐らくは晴れ。

先ほど目が覚めると、点けっ放しになっていたNHKーbsでは「御蔵島」の30年前の映像が映っていました。
御蔵島は、ご承知のとおり「ツゲ」の産地として知られる島ですが、映像は多分「日本の島々」をテーマにしたシリーズの1つなんだと思います。

以下は、30年余り前に、東京の「十三や」さんから聞いた話です。
その頃、御蔵島には船着場と言えるものはありませんでした。
周りは断崖絶壁で船を着けることが出来る入り江も無く、連絡船は沖合いに停泊し、上陸するには小さな艀に飛び移って島まで着かなければいけない危険なものでした。

さらに、当時は島の西側に小さな艀が使える波止場がひとつあるだけで、西風が吹くと波を被って使えず、すぐそこまで来ている連絡船は、5~6キロ離れた三宅島あたりに戻らなくてはいけなかったそうです。
現に、前年に御蔵島に行った「十三や」の竹内さんは、帰りに足止めを食って、何日間か東京に戻れなかったそうです。

ひどいときは1週間、2週間と戻れないので、当時サラリーマンだった私は、それでは会社は首になってしまうと、思ったものでした。

丁度映像では、その頃の様子が映って、波止場に男女中老年のの村人が総出で、艀の綱を力を合わせて手繰り寄せる様子が映っていました。

周りが豊かな海であるにもかかわらず、この島では漁業が出来ません。
そのため島民は、島にやってくる「オオナギミズ鳥」を捕獲し、それを動物性蛋白質の補給食料にしていた訳で、30年前のころまで実際におこなわれていました。
しかも厳しい掟があって、年間3日間「ヒナ鳥」だけの捕獲が許されたそうです。

やがて、島の反対側に新しい波止場が建設され、西風の強い日は、そこが使われるようになり、後にヘリコプターでの輸送も可能になりました。
今では、夏場を中心に「鯨ウォッチング」にと、本土の若者たちが大勢押し寄せるほどになっていると聞いています。

では、また。


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野いちごの花

2009-04-18 20:27:56 | 文章
4月18日(土)、晴れ。

写真は「野いちご」の花。
実は赤いですが、花は黄色です。一週間くらい前から咲き始めました。

午後は「駒サロン」。本日の参加者は7名。
資料は、至文堂「日本の美術32・遊戯具」(関忠夫編著)です。
これには、日本の伝統的遊戯具、正倉院の遊戯具、について語られており、将棋関係の写真や解説が載っています。

昭和44年ごろに発行された古い本ですが、小生が駒づくりを初めて間もない昭和50年頃に、この本を見つけて買いました。
この中に、「八十二才」の水無瀬駒の写真があります。その写真を見て「水無瀬駒」に興味を深め、水無瀬神宮を尋ねるきっかけになった小生にとって記憶に深い本でもあります。

またその頃、この本と同時に手に入れた「日本の美術36漆芸(荒川浩和編著)」を見て、当時、東京国立博物館・漆芸室長だった荒川浩和さんを訪ねて、「駒を美術工芸品として日本工芸会展に出すなら、ジャンルとして木竹工芸・漆芸・書芸・雑芸の4つが考えられるが、あなたの見解を教えて欲しい」などと、上野の博物館に押し掛けたことも記憶しています。

当時世間では(現在もほとんど変わりませんが)、将棋駒が美術品として認識されることはほとんどないのが実情であり、自作駒を日本工芸会の公募展に応募することも含め、工芸美術の研究者がどのように認識しているのかを知りたいという思いでした。
若かったのですね。34歳ころの思い出です。
そのときのやり取りは、良く覚えていませんが、予め文書で意を通していたこともあって、思いのほか丁寧な応対をしていただいたことを覚えています。

ところで、後に分かったことですが、前者「日本の美術・遊戯具」の水無瀬駒関連の解説。書いてあることをそのまま鵜呑みにしてはいけません。
そのことは、今日の「駒サロン」でも言いました。

関さんは高名な博物学者ではありますが、水無瀬駒に関しては巷間の不確かな風聞をそのまま載せていたり、「八十二才」の駒と数枚の中将棋駒がたまたま1つの駒箱に混在して入っているのを峻別しないまま一組の珍しい将棋の駒として解説していたり、それらが誤って「兼俊筆」の箱に入っていたのをそのまま「兼俊作の駒」(兼俊は79歳で死去)として解説していたりで、いささか研究不足。間違いが多いと言わねばなりません。

ついでに言っておきますが、各種の出版社から出ている「百科事典類」の「将棋駒」に関する解説、これも結構間違った記述が多いのですネ。

本日はこれまで。では、おやすみなさい。

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ゆっくり眠れます

2009-04-17 04:03:58 | 文章
4月17日(金)。

明日は、「駒サロン」があります。
皆さんにお渡しする資料は、まだ用意出来ておらいないので、落ち着かない気持ちが続いています。
明日は、近江さんが久しぶりに復帰してくれますので、がっかりさせてはいけないとの思いです。
---------

明日の「駒サロン」で使用する資料。18ページ10人分の準備が出来ました。
これで心が落ち着きました。ゆっくり眠れます。

ところで、駒や将棋には全く関係がありませんが、「ダイヤル136」をご存知でしょうか。
つい今しがた、かかってきた電話の番号を知りたい時ってありますよね。
誰かから電話があって、受話器を置いたとたん「電話番号を聞き忘れた」と気がつくことは、私の場合よくあります。

でも、そんな時には「ダイヤル136」をコールすればいいのです。
「136」を廻し、続いて「1」を廻すと、直前にかかってきた番号を教えてくれます。ただし、1回で31円50銭が課金されますし、直前にかかって来た電話だけという制約はあります。
NTT電話帳を見ていて、この便利な機能があるのを知りました。

今日はこの辺で。
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山吹

2009-04-16 19:29:36 | 文章
4月16日(木)、晴れ。

このあたりの桜、日に日に花は散り、葉桜となりました。
足元に眼を移せば、「たんぽぽ・野イチゴ」の黄色い花。そして「山吹」も黄色い花びらを広げようとしています。

その「山吹」。半月ほど前は、茎ばかりでしたが、先週ようやく芽が出始めて、やがて黄色い蕾が大きくなり、今日はその中のいつかが咲き始めたところ。
まだまだ開ききってはおりませんが、大写しで写真にしました。


10時45分、大阪商業大学着。
今日は、いわば小生のための集まりと言えるものです。
車を置いて校門脇に戻ると、すでに古作さんが待っていて、二人で「やあやあ」といいながら、まもなく到着された谷川さんを出迎えました。

最近、棋士会会長に就任された谷川浩司九段。
多忙なスケジュールにもかかわらず、今日は貴重な時間を割いてここまで出向いてくださいました。恐縮至極です。

古作さんの先導で学長室へ。
その途中ではドアがいくつかあリます。そこを通るたびに、谷川さんは続く小生のためにしっかりとドアを押さえてくれるのです。
当然のことのようにさりげなく。スタイルもスマートですが、振舞いもスマート。

この日は、谷岡学長と谷川さんを中心に総勢6人。
谷川さんにはDVD「熱中大陸」をいただいたり、昼食を含めて2時間ほど楽しくすごさせていただきました。

14時過ぎに工房に帰着。夕刻まで「古水無瀬」を盛り上げる。
本日は以上。


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教室の情景

2009-04-15 06:05:29 | 文章
写真(田中さん提供)は、過日の「駒づくり教室」の情景。
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4月15日(水)、曇り。

昨日、名人戦・高野山対決観戦ツアーに申し込みました。
ツアーには前夜祭を含む2泊3日と、対局日のみの1泊2日があり、予約したのは5月20日からの後者です。

高野山には、去年の秋以降、観光で2度行来ました。
工房から車でおよそ2時間。おおよその地理は頭に入っています。
本当は2泊して前夜祭にも参加したいのですが、5月は囲碁タイトル戦で2泊か3泊する予定があり、将棋名人戦の方はちょっと我慢です。

今期の第6局の京都対決、第7局の豊田対決がどうなるかですが、若しあるとすれば、こちらにも行きたいですね。


数日前のブログに、石川県の泉野さんから、名人戦第1局で使われた「奥野駒」について、コメントをいただきました。
小生のコメントも加えましたので、そちらもご覧ください。

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昨日の盛り上げ結果はOK。上手く出来上がっていました。
今日はその続きをしました。
電話があり、枚方のKさんが来訪。木地をいろいろ選んでいただきました。

明日は、所用で大阪商業大学へ行きます。

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恵みの雨

2009-04-14 20:39:50 | 文章
4月14日(火)、雨。

何でも10日ぶりだとか、恵みの雨でした。

朝の気温が14度。室内は17度。昨日までに較べると、やや肌寒い。
平年なら、これぐらいなんでしょうね。

盛り上げをするつもりで、湿度計に眼をやると60%。
これは微妙な値です。
雨がまだが降り続くなら、湿り気はさらに高まることに。

今日のような湿り気なら、漆拭きには丁度良い。
朝、拭いておけば昼過ぎには一応乾いた状態になり好都合。朝、拭いておけば昼過ぎには一応乾いた状態になり好都合。という訳で、盛り上げは後にして、4つ足駒台の漆拭きをする。

ついでに修理中の硯箱にも手を入れました。

1時間が経過。雨はまだ続いている。
だが、やっぱりやろうと、遅れて「古水無瀬」を盛り上げる。
結果は明日にならないと分からない。お楽しみということです。
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駒の写真集

リンク先はこちら」 http://blog.goo.ne.jp/photo/11726