松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

調和の心

2005-05-05 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
5月になって日差しはすでに初夏モード。
衣替えをしながら背中や腰が酸っぱくてしかたない。

久しぶりに站トウ功をする。
腰が気になるので馬歩など歩型を中心に、
動作導引は雲手。
導引の合間につらつらと、
先生がいつも教室で話してくださることを
思い返しながらの練功。

それにしても本当に自分は体の声を聴いているのかな。
「こうなりたい」という
イメージ先行型の導引をしていないかな?
「こうなりたい」のに「なれない現実」がある
というのは誰もが経験していること。
その目標にどうやって近づくのか、
そのためのルートの取り方や方法が違うだけだ。

導引の目標でもある
「無理をしない、自然であること」というのは
この点でも深い教えだと思っている。

今までの自分のやり方では
とても目標に近づくどころではない。
総体的な協調を目指していたつもりだったのに、
実は各部位の状態を
チェックするだけで精一杯。
自分の目線が現実を見ていなかったのだと思う。
やはり目標ばかりを追いかけて
前のめりになっていたんだと思う。

自分の弱点を知っていながら、
弱い部分に無理させていたと思う。
調整は無理を強いることではない。
甘やかすことでもない。

その時その時の状態に合わせて
もっとも良好な状態に整えるための働きかけだ。
弱い部分に合わせるとは、
時には弱くないと思われる部分に
セーブを強いることになるのかもしれない。
本来ならばもっと動けるところを
控えめにするみたいな感覚か。

例えば、もっと姿勢を高くして
負担を軽くするように指導されても、
無意識のうちに“いつもの慣れ親しんだ”高さに
戻ってしまっていた。
先生の指導の意味を
もっと深いところで受けとめなければ
いけなかったのだ。


体調の波にかかわらず、どんな状態にあっても
その状態なりの調和を完成させることが
調整なのではないか。
私はどこかで勘違いしていたんじゃなかろうか。

先生が「もっと低くとか」、
「もっと高く」とか言う場合の根拠と目的を、
ようやく悟った気がする。遅すぎたなあ~
何をいまさらって感じで、
思わず自分を笑い飛ばしてしまいたくなる。
ホント何やってんだかなあ…。