4月末頃から『中庸』と『道徳経』を読んでいます。
どちらも翻訳本です。
『道徳経』は何度か読んでいますので、
自分では比較的理解しやすいように思うのですが、
『中庸』の方はたいへんです。
ちょっと投げ出したくなっています。プチ挫折状態。
そもそもなぜ『中庸』を読んでみようと
思ったのかといえば、“中”という概念を
知りたかったからです。
“中”という文字に対して日本人が真っ先に考えるのは
「中心」という意味でしょう。
しかし中国人の場合はもっと多様な意味を
込めているような気がするのです。
太極導引を練習するときはバランスを常に考えています。
私が思うには、どうも中国人にとって
常にバランスを意識することはごく自然なことで、
特別なことではないように思えるのです。
もしかするとそのカギを握っているのは
“中”なのかもしれないと思ったわけです。
バランスは協調、調和であると思います。
バランスを考えるときには状況を把握した上で
最も調和のとれる状態に身を置くことを考えます。
つまりバランスを考えるとは
調和を考えることではないのでしょうか。
では、調和とはどういうことなのか。
バランスには昔の“分銅ばかり”のような
つりあい(均衡)の他に、
いずれの性質をもあわせ持ちながら
安定している状態(融和)、
あるいは感情の浮き沈みのような振幅の波を
平らな安定した状態にする(平和?)
などがあるように思います。
このように“中”には中心、中ほど
といったような意味があると思いますが、
中ほどにはさまざまな状態があるのだと思います。
太極導引の練習に限れば、
運動バランスと
静かで落ち着いた精神状態を保つバランスも
必要とされています。
このところ日中関係のギクシャクぶりが
盛んに報じられていますが、
これまでとは違った新しいバランスを作り上げていく
過渡期の現象ではないのかなあ
と思ったりしています。
現在、日本と中国とではあらゆる点で
変化のスピードが異なります。
導引練習でもゆっくり動くことで
バランスを考えながら全体の協調を目指すように
指導されていますので、
速く大きく変動し続けている中国の方が
バランス調整はより難しいだろうなあと思ってみています。
歪みが大きくなるから…
バランス感覚に長けているからこそ、
そのジレンマも強く感じているのではないのかしらん。
いずれにせよ国レベルの問題となってしまうと
個人の考えでは限界を超えてしまうので、このへんで。
どちらも翻訳本です。
『道徳経』は何度か読んでいますので、
自分では比較的理解しやすいように思うのですが、
『中庸』の方はたいへんです。
ちょっと投げ出したくなっています。プチ挫折状態。
そもそもなぜ『中庸』を読んでみようと
思ったのかといえば、“中”という概念を
知りたかったからです。
“中”という文字に対して日本人が真っ先に考えるのは
「中心」という意味でしょう。
しかし中国人の場合はもっと多様な意味を
込めているような気がするのです。
太極導引を練習するときはバランスを常に考えています。
私が思うには、どうも中国人にとって
常にバランスを意識することはごく自然なことで、
特別なことではないように思えるのです。
もしかするとそのカギを握っているのは
“中”なのかもしれないと思ったわけです。
バランスは協調、調和であると思います。
バランスを考えるときには状況を把握した上で
最も調和のとれる状態に身を置くことを考えます。
つまりバランスを考えるとは
調和を考えることではないのでしょうか。
では、調和とはどういうことなのか。
バランスには昔の“分銅ばかり”のような
つりあい(均衡)の他に、
いずれの性質をもあわせ持ちながら
安定している状態(融和)、
あるいは感情の浮き沈みのような振幅の波を
平らな安定した状態にする(平和?)
などがあるように思います。
このように“中”には中心、中ほど
といったような意味があると思いますが、
中ほどにはさまざまな状態があるのだと思います。
太極導引の練習に限れば、
運動バランスと
静かで落ち着いた精神状態を保つバランスも
必要とされています。
このところ日中関係のギクシャクぶりが
盛んに報じられていますが、
これまでとは違った新しいバランスを作り上げていく
過渡期の現象ではないのかなあ
と思ったりしています。
現在、日本と中国とではあらゆる点で
変化のスピードが異なります。
導引練習でもゆっくり動くことで
バランスを考えながら全体の協調を目指すように
指導されていますので、
速く大きく変動し続けている中国の方が
バランス調整はより難しいだろうなあと思ってみています。
歪みが大きくなるから…
バランス感覚に長けているからこそ、
そのジレンマも強く感じているのではないのかしらん。
いずれにせよ国レベルの問題となってしまうと
個人の考えでは限界を超えてしまうので、このへんで。