12日に天王洲アイルにあるアートスフィア劇場で
友人のダンサーの自主公演がありました
(NORIKO OKAMOTO DANCE COLLECTION)。
2003年に10回めの公演を行ったのですが、
今回はVol.ZERO、すなわち再びゼロからのスタートを切る
という公演でした。
今まで培ってきたものを潔く捨て去っていました。
彼女が信条としてきたであろう「こだわり」の部分を捨て、
敢えて避けてきたと思われることを取り入れるなど、
新たな決意を感じました。
彼女が作る作品にもそれは反映されていて、
舞台に立つダンサー達も
彼女の思いを理解し表現することに集中していたと感じました。
彼女を信頼するダンサーとスタッフに支えられて
彼女は彼女らしい舞台をつくりあげていました。
気持ちの良い舞台でした。
彼女とは彼女の舞台関係のお手伝いをしたりして
徐々に親交を深めていったのですが、
ことに私が太極導引を始めてからは身体能力のことなど、
よく話したりしていました。
彼女の体の使い方と太極拳の体の使い方は
共通するところが少なくありません。
彼女も自分で仮説を立てては検証するタイプのようで、
体の使い方で発見したり気づいたことなどを
互いに話し合うことがあります。
今回、舞台を客席で見ていて自分の観察眼が
ずいぶん深くなってきていることに気づきました。
動きと体のバランス、体の状態が動きに及ぼす影響などが
手に取るようにわかりました。
一番ハッキリわかるのは背中と首です。
ここが適度にゆるんでいる人はバランスが良い。
腕の振りも柔らかく指先までしなやかに動かせます。
足もただ高くではなく美しく上がります。
群舞でもソロで動いても自分の協調ポジションを
常に意識して取っていることがわかります。
意識が行き届いているんですね。見習うべき点です。
コールドなどのような群舞になると、
若干の動きのばらつきがあるのは仕方ないと
個人的には思って見ていますが、
それ以上に異質な感じを与えるのが、
どうも背中と首の緊張感のようなのです。
自分が気にしているからそう見えるのかどうかわかりませんが、
全体の流れの中で異質な印象を与えているような気がするのです。
うーん、これは自分にとっては大発見でした。
集体表演の時にも参考になるかも。
踊りが好きという気持ちだけは誰にも負けない
というだけでは足りない。
やはりそれなりの技術というのが必要。
技術とは調整力。初心者には初心者の協調があり、
上級者には上級者の協調があります。
協調のあるところに初めて表現が生まれてくるのではないでしょうか。
形だけの表現ではこころまで伝わってこない。
形と心の共鳴があって
はじめて観る者のこころに響いてくる。
それぞれの段階に応じて常に協調を目指すことは、
何もダンスだけに限ったことではありません。
動きのあるところには必ずバランスが存在します。
極論すれば生きること自体がバランス運動だと思うのです。
改めて体の使い方をもっと知りたいと思いました。
友人のダンサーの自主公演がありました
(NORIKO OKAMOTO DANCE COLLECTION)。
2003年に10回めの公演を行ったのですが、
今回はVol.ZERO、すなわち再びゼロからのスタートを切る
という公演でした。
今まで培ってきたものを潔く捨て去っていました。
彼女が信条としてきたであろう「こだわり」の部分を捨て、
敢えて避けてきたと思われることを取り入れるなど、
新たな決意を感じました。
彼女が作る作品にもそれは反映されていて、
舞台に立つダンサー達も
彼女の思いを理解し表現することに集中していたと感じました。
彼女を信頼するダンサーとスタッフに支えられて
彼女は彼女らしい舞台をつくりあげていました。
気持ちの良い舞台でした。
彼女とは彼女の舞台関係のお手伝いをしたりして
徐々に親交を深めていったのですが、
ことに私が太極導引を始めてからは身体能力のことなど、
よく話したりしていました。
彼女の体の使い方と太極拳の体の使い方は
共通するところが少なくありません。
彼女も自分で仮説を立てては検証するタイプのようで、
体の使い方で発見したり気づいたことなどを
互いに話し合うことがあります。
今回、舞台を客席で見ていて自分の観察眼が
ずいぶん深くなってきていることに気づきました。
動きと体のバランス、体の状態が動きに及ぼす影響などが
手に取るようにわかりました。
一番ハッキリわかるのは背中と首です。
ここが適度にゆるんでいる人はバランスが良い。
腕の振りも柔らかく指先までしなやかに動かせます。
足もただ高くではなく美しく上がります。
群舞でもソロで動いても自分の協調ポジションを
常に意識して取っていることがわかります。
意識が行き届いているんですね。見習うべき点です。
コールドなどのような群舞になると、
若干の動きのばらつきがあるのは仕方ないと
個人的には思って見ていますが、
それ以上に異質な感じを与えるのが、
どうも背中と首の緊張感のようなのです。
自分が気にしているからそう見えるのかどうかわかりませんが、
全体の流れの中で異質な印象を与えているような気がするのです。
うーん、これは自分にとっては大発見でした。
集体表演の時にも参考になるかも。
踊りが好きという気持ちだけは誰にも負けない
というだけでは足りない。
やはりそれなりの技術というのが必要。
技術とは調整力。初心者には初心者の協調があり、
上級者には上級者の協調があります。
協調のあるところに初めて表現が生まれてくるのではないでしょうか。
形だけの表現ではこころまで伝わってこない。
形と心の共鳴があって
はじめて観る者のこころに響いてくる。
それぞれの段階に応じて常に協調を目指すことは、
何もダンスだけに限ったことではありません。
動きのあるところには必ずバランスが存在します。
極論すれば生きること自体がバランス運動だと思うのです。
改めて体の使い方をもっと知りたいと思いました。