松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

ああ「開合手」…

2005-05-10 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
孫式の套路では
同じ動作が何回か繰り返されているのだが、
どうしてこんなに繰り返すのだろう?と、
ずっと考えながら練習していた。
最近になって自分なりに仮の結論を出してみた。

套路にはその流派の思想を
最も表現するような代表的な型というのがあって、
なかには他流派と同じ動作名称のものもあるが、
いずれにせよその流派の思想が
色濃く反映されているもので構成されている。
だから繰り返し登場する型というのは、
いうなればオリジナリティに富んだ型なのでは
ないかと思う。
孫式ならば「開合手」や「懶扎衣」「単鞭」「ロウ膝拗歩」
などかなと思う。

そこで第三期が始まる前に、
もう一度確認しておこうと思ったら
「開合手」だけでも大変なことになってしまった。

「開合手」は体の前で
両手を左右に開いてからまた合わせるという動き。
これを前の練習で聞いた
意識と動作のかかわりを念頭に置いて、
呼吸に合わせて動いてみると…。
両足間の体重の移動と両手の動き、
上体の動きなどを呼吸のリズムに合わせて
協調させることに集中すればするほど、
体の左側の緊張がハッキリとしてきた。
右側がゆるんでくればくるほど、
左側の緊張がどうにも我慢できなくなってくる。
たまらずに動作を中断する。
この緊張は一体何なのだろう?

もう一度「開合手」の姿勢を確認する。
両手の位置と高さをチェック。
少し高すぎるかも、体に近すぎるかも、
とあれこれやってみて、
いちばん緊張感のないと思われる状態を探る。
両手を体から離し過ぎれば
手が重くなって肩で支えようとするので
肩に力みが見えるし、
かといって近すぎれば脇が締まってしまう。
あれこれ試みたあげく、ようやく動作再開。

最初は良好な感じでよかったのだけれど、
時間がたつにつれて
また左側の硬さが気になってきた。
左の肩、手首、肘が硬い。関節が硬い。
関節に力が入っているのだ。
さあ、どうしよう?
というところで時間切れとなったのだった。

明日からいよいよ第三期が始まる。
初回はもちろん件の動作を練習することになる。
解決の糸口は見つかるだろうか。

ちょっと遊んでみました

2005-05-08 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
このところ自分なりの小さな気づきが続いたので、
せっせと書き記していましたが、
実はこんな“おバカ”なこともやっていたりします。

ある居酒屋さんでのことです。
料理を次々に頼むものですから
すぐに卓上が狭くなってしまいます。
そこでせっせと整理していたところ、
目の前にアジの活き造りが
二皿ほど中途半端に手がつけられたままに
なっていました。
これを一皿にまとめてしまおうと思ってふと、
あることを思いつきました。
「太極盛り」です。

結果は大ウケでした。ご承知のように
太極図は陰陽の組み合わせです。
この勾玉のような陰と陽を
しばしば魚に見立てることがあるのです。
そこで…勘のいい人はもうおわかりですね。

そうなんです。まず3枚におろされた
アジの骨の部分をお皿に円く
尾頭が向き合うように並べます。
そして刺身をその上に並べて
陰陽らしくしていき、
あとはツマを使って整えたら完成です。

太極図というのは一般の人でも見覚えのある、
おなじみのマーク・デザインといえます。
ですからこんなイタズラ半分なことをしても
ウケてしまうのです。

それにしても太極という意味は知らなくても
太極図は広く知られているというこの状況。
考えてみればすごいことですよね。

目指すべきは協調なり

2005-05-07 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
連休が明けて教室が再開した。
前回からは2週間ぶりとなるので
何となくみんなも嬉しそう。
練習前のひとときはいつになく饒舌だった。

練習内容は孫式の第一期、第二期の復習
だったのだが、
今回はさらに意識すべき要求が加わった。
動作姿勢を取る際に、まず頭で確認する手順は
「手(腕)の方向」→「上体の方向」→「足の方向」
と進むこと。
つまり動きながら次の動作を意識する時には、
最終姿勢(動作型の完成イメージ)を念頭において
まず、主導的に動く方の手の
向かうべき方向を定めることで
姿勢に見合った両手の位置が決まることになる。
そして両手の方向が定まることで
次に体の向きが決まってくる。
両手と協調するような位置に体の向きが決まるのだ。
そして最後に足の方向が決まる。
ここまでは頭の中での確認。

ところが実際の動作表現として表に現れる順は
これとは反対になる。
つまり「足の動き」→「上体の動き」→「手の動き」
となるわけだ。

これだけだとちょっと複雑に思えてしまうが、
仕組みとしては日常生活の中で
ごく自然にみんなが行っていることと
変わらないのではないか。
例えば自分が関わっている仕事の流れに
あてはめてみると、
最初に仕上がりのイメージを描き、
それに合わせて要求を満たすために必要な
素材・パーツを検討し確認して
下準備までの整理ができてくる。

そして実際の作業はその逆を辿っていき、
最終的に仕上がりのイメージになるか
限りなく近くなることになる。
事前の確認検討がきちんとできていなければ
仕上がりが良くない結果となるあたりも
よく似ていると思う。

ただ仕組み的には似ていても、
導引ではこの状態を動作ごとに
絶え間なく繰り返しているし、
頭と体が連動して動かなければ動作にはならない
(けっこう厳しいことをやっているんだなあと思う)。

こうした意識を働かせながら
実際に動くとなれば、
ひとつひとつの動作もゆっくりにもなるし、
一通りの套路を終えるまでには
それなりの時間もかかることとなる。
しかも実際に意識して動いてみると、
ゆっくりにしか動けないし、ほんとに忙しい。

さらに練習中は、できる限りリラックスして
緊張感を感じない、表にも緊張が現れないように
意識で制御しつつ呼吸に合わせて動くように
との指導を受ける。

現在の自分がこれらの要求を満たすためには
どこまでゆっくり動けばいいのだろう。
いやいや、動作スピードだけではない。
姿勢から呼吸からすべてにかかわってくる問題だ。
そのどれもが大切なことだとは
よーくわかってはいるのだけれど、
ついつい「この中のどれを第一義として
練習すればよいでしょうか」などと愚問を繰り返す。

その度に先生の答えは
「目標は協調です」のひとこと。
てんこ盛りの要求はすべて協調を目指しているからだ。
ひとつとして欠くことのできないものということか。

次回からはいよいよ孫式の第三期が始まる。

連休顛末記

2005-05-06 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
今年は連休明けに仕事がシフトしたために
ゆっくりできると思ったのですが、
日頃片づけられずにいた私用に
追われているうちに連休もおしまい。
休みの達人への道はなかなか険しいものですね。

連休中はこれと言って
大きなイベントもなく過ごしましたが、
精神的にはリフレッシュできたような気がします。
太極導引も練習こそ
満足にはできませんでしたが
それなりに得ることもありましたし、
ネット上での新たな出会いもあって
連休前とは少し変化がありました。
そうそう、時間がなくて行けなかった
美容院にもようやく行ってスッキリしてきました。

久しぶりに中国映画もまとめて観ました。
中国製ソフトなので中国語字幕版や
字幕なしのものですから
1回だけでは細かなことが理解できません。
従って何回か繰り返して観るようになります。
今回は「功夫(邦題:カンフーハッスル)」
「十面埋伏(邦題:LOVERS)」。
やはり武術系は興味深く見ています。
「功夫」は文句なしに楽しかったですね。
ストーリーも複雑ではないので
言葉のことは気になりません。
「十面埋伏」はトリッキーな部分は
やはりもう少し言葉がわかったらなあと思いますが、
今の語学力でも楽しめました。
何しろ「英雄-HERO-」を中国字幕で見ていますから。
このときはストーリーを完全に理解するまでに
4回くらい観ました。
あの無名と秦王のやりとりに比べれば…
それに今の方が少々中国語の理解力も増していると
思いたいですしね。

来週からはまた仕事が始まります。リフレッシュして臨みます。

調和の心

2005-05-05 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
5月になって日差しはすでに初夏モード。
衣替えをしながら背中や腰が酸っぱくてしかたない。

久しぶりに站トウ功をする。
腰が気になるので馬歩など歩型を中心に、
動作導引は雲手。
導引の合間につらつらと、
先生がいつも教室で話してくださることを
思い返しながらの練功。

それにしても本当に自分は体の声を聴いているのかな。
「こうなりたい」という
イメージ先行型の導引をしていないかな?
「こうなりたい」のに「なれない現実」がある
というのは誰もが経験していること。
その目標にどうやって近づくのか、
そのためのルートの取り方や方法が違うだけだ。

導引の目標でもある
「無理をしない、自然であること」というのは
この点でも深い教えだと思っている。

今までの自分のやり方では
とても目標に近づくどころではない。
総体的な協調を目指していたつもりだったのに、
実は各部位の状態を
チェックするだけで精一杯。
自分の目線が現実を見ていなかったのだと思う。
やはり目標ばかりを追いかけて
前のめりになっていたんだと思う。

自分の弱点を知っていながら、
弱い部分に無理させていたと思う。
調整は無理を強いることではない。
甘やかすことでもない。

その時その時の状態に合わせて
もっとも良好な状態に整えるための働きかけだ。
弱い部分に合わせるとは、
時には弱くないと思われる部分に
セーブを強いることになるのかもしれない。
本来ならばもっと動けるところを
控えめにするみたいな感覚か。

例えば、もっと姿勢を高くして
負担を軽くするように指導されても、
無意識のうちに“いつもの慣れ親しんだ”高さに
戻ってしまっていた。
先生の指導の意味を
もっと深いところで受けとめなければ
いけなかったのだ。


体調の波にかかわらず、どんな状態にあっても
その状態なりの調和を完成させることが
調整なのではないか。
私はどこかで勘違いしていたんじゃなかろうか。

先生が「もっと低くとか」、
「もっと高く」とか言う場合の根拠と目的を、
ようやく悟った気がする。遅すぎたなあ~
何をいまさらって感じで、
思わず自分を笑い飛ばしてしまいたくなる。
ホント何やってんだかなあ…。

連休中に見えてきたこと-虚実について-

2005-05-03 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先日、活歩(または借歩)という
練習方法があることを知った。
陳式太極拳の関連資料でたまたま見かけたのだが、
要するにスペースが取れない場所で
練習する方法のこと。
以前教室でも行った転身練習のときに
いろいろ教わった足の使い方を駆使して
套路練習をするようなイメージだ。
試しに18式や24式、孫式もやってみたところ、
ひとつひとつの動作ごとに次の動作を想定しながら
「動作の方向」「上体の方向」「足の方向」を
考えることになり、
普段の通し練習とはまた違った
新鮮な練習ができるような気がした。
たまにこんな練習を取り入れてみるのも楽しいかも。

練習量が少ない割には小さな気づきがある。
このところ体がちょっと重いと感じるからなのか、
なぜか虚実が気になる。
例えば弓歩の姿勢時に骨盤が反ってしまう現象は、
骨盤の巻き上げが足りないのが原因だが、
なぜそうなるのかを自分なりに検証してみたところ
結局は姿勢の問題に行き着いた。

外見を観察してみると、
後ろ足側の股関節が伸びてしまっている。
後ろ足の膝が外に開いていないことでもあり
両膝を合わせようとする意識が弱い状態でもある。
骨盤が巻き上げられれば
これらの現象は改善されるのだから、
骨盤が巻き上げられないくらい
無理な姿勢を取っているということなのだろう。
それをあまり自覚していないところが問題。
無理は緊張につながる。

また、虚歩の姿勢時は
骨盤の巻き上げ状態を意識しやすいのだが、
その一方で猫背になりやすいし、
重心をかけようとするあまりに腰がひけて
結果的に骨盤を反らせていることもある。
これらも無理な姿勢だ。
しかも弓歩同様にその自覚があまりない。
体重の移動と重心のバランスにも
もっと意識を配らなければ。

体重移動によって虚実を明確にするというのも
実は難しいと思うようになってきた。
おそらく原則は陰陽バランスだと思う。

最近になってようやく陰陽を
相対性という視点でとらえられるようになってきた。
自然界のすべてのものには陰陽の両面が存在する。
それは陰と陽が単独で成り立つことはなく、
かならず比較対照となる相手との関係性の中で
はじめて陰的あるいは陽的という
性質の表現が可能になるということだ。

この陰的あるいは陽的という
「的」にこめられている意味が実感をともなって、
やっとわかり始めてきたように思うのだ。

いろんなことがスポットのように
ぽつりぽつりと芽生えているのだけれど、
畑となる土壌が緊張状態のままで
改良が進まずにいるのが何とももどかしい。
何とか枯らさないようにして
ぼちぼちと育てていきたいものだが、
最近ちょっと大雑把になっているような気が
しているので、どんなものかなあ。

孫式と私-自分を映す鏡的存在-

2005-05-02 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
連休中は教室もお休みとなるので、
いつもよりも時間をかけて調整するつもりで
いたのだが、
現実はいつも意に反するようで、
なかなか思うようには行かない状況が続いている。
pantayaさんからも自主練のお誘いを受けているのに
残念ながらどうも難しそう。
それでもできる限り時間をとって動功する。
ちょっと歯がゆいが、
やらないよりはマシなんだからと自分を慰める。

ところで孫式太極拳と私の相性はどうなんだろう。
自分ではおもしろいと思ってはいるのだが、
陳式のように好きとは言えないけど
嫌いというわけでもない。
おそらくおもしろさの中身が違うのだろうと思う。
孫式は頭ではおもしろいのだけれど、
体ではあまりおもしろいと感じていないような気がする。
どうしてなのかな?

孫式は動きがあまり大きくない。
つまりコンパクトな動きで基本要求を満たすことになる。
ところが緊張感があると小回りがきかない。
だからどうも窮屈な感じがつきまとうのだ。
何となくノビノビできない。
これが原因かなと思う。
ゆるむことは脱力とは違うことも
わかってきているのだけれど、
ゆるむべきところがゆるめられず、
支えなければならないところに支えるだけの力が
巡らない状態。
巡りが悪い。流れに渋滞部分があるから
過剰と不足の状態が出てくる。
腰痛しかり、痺れもしかり。
緊張が更なる緊張を増幅させることも納得。


要するに自分の弱点がそのまま
思いっきり現れてしまうのが孫式らしい。
先生からの指摘を整理してみても納得できる。
なるほどなあ。
そういう意識で孫式を改めて見直してみれば
思い当たることだらけ。
孫式の3期目がスタートする前に
再確認できて良かったと思う。
またちょっと孫式に対する気持ちの向き方が
変わってくるなあ。
新たな気持ちで3期目の練習に向かえそう。

屋外練習再開を前に…

2005-05-01 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
ようやく花粉症がおさまってきたようです。
今年は久しぶりに花粉症が復活したわけですが、
何とか薬も飲まずに終わりそうです。
そこで、そろそろ屋外練習の再開を考えている
わけですが…。

いくらおさまってきたとはいえ、
まだ完全に症状が出なくなったわけではありません。
ちょっと油断していると外出先でクシャミが出始めたり、
気管支も今ひとつ安定しなくて咳が出たりします。
まったくのお手上げ状態ならば諦めもつくのですが、
できそうでできないという
「ご馳走を前におあずけ」状態の方が、
どちらかと言えばつらく感じます。
ここまで来たらスッキリするまで
もう少し待つ方が賢明かしらん?
 
2カ月ほど屋外練習から遠ざかっただけで
体重がやや増加。
落とすのは大変だけれど増えるのは実に簡単。
腰をかばうことで膝にも負担がかかっているかと思うので、
ちょっと気になるところです。
今のところ膝はまだ大丈夫ですが
“ちょっと重いぞ”とは感じていますので
調整が必要かもしれません。足腰に支障が出始めた以上は
一応「老化」を自認しなければ。
20代を境に老化は進むのが自然現象だから
ごく当たり前のことなのですが、
やっぱりなにがしかの抵抗というのか
認めたくない気持ちはあります。

別に焦っているわけではないのだけれど、
漠然と今やれることを
やっておきたいなあという思いが
ふつふつと湧いてきているような気がします。
でもその反面、先が見えてきて
諦めるものが増えることも悪いことではないかも
とも思います。
私の場合はチャレンジするのはいいんだけれど、
ついつい気負いすぎの傾向が。
だから空回りするだけの力がなくなったときに
いろんな場面で適度な姿勢(スタンス)をとれたりするかもと、
淡い期待をしてみたり。
もちろん、そうした状態を意識でコントロールするのが
本来のあるべき姿なのは承知の上です。
あえて他力本願的な視点を持ち出すことで、
老化を悪いイメージでとらえるのではなく
自然に受けとめられるような
こころのあり方も探ってみたいかなあと思うこの頃です。

同世代の仲間内では、自分達の世代以降の方が
親の世代よりも老化が早く出ているような気がする
という意見が多いです。
これは笑い事ではすまされませんしね。
親が要介護となれば切実な問題をはらんでいます。
自分の健康は自分ひとりの問題ではないと
改めて思ってしまいます。