別れというのは、避けては通れない。
誰もが平等に与えられていることだ。
そのが早いか遅いかというのが違うか・・・
斎場
人間というものは、悲しい時には少しでもドラマチックにと思う機能がついていると思う。
けれど、これは自分の考えであって他人様は全く違うのかもしれない。
ゆきたんくは、伯母が荼毘に付されている時に建物の外に出た。
そう、煙突から出ている煙を見るためである。
伯母が天に帰っていく様子を見るためである。
まあ、天に帰るのは帰天と言ってカトリックのキリスト教用語のことだが。
伯母の息子が、「今時、煙を出したらおこられちゃうよぉ。」と一言。
そう、煙突らしきものからは煙は上がっていなかった。
収骨されて自宅に戻る伯母。
帰り道に見た、日の入り間近のお日様(新利根川)
なんかあっけないものだと思った。
まあ親戚一同、成田参りとか残されたことはいくつかあるが・・・
一番悲しいのは、2人の従兄妹であろう。
実母が亡くなったのであるから。
かける言葉を選んではやめながら、バスの中で静かだったゆきたんくであった。