学制より遅れること1年、日本では「信教の自由」が保障され、キリスト教禁制が解かれたのが明治6年(1863)。ニコライ大司教(ギリシャ正教)の布教活動が北海道函館市より始まり、千葉には明治8年に教会が設置され、その後明治12年に手賀に教会が設置された。(写真…旧手賀教会)
写真をみて分るとおり昔ながらの茅葺の建築物で質素なつくりである。敬虔な信者は教理に従って信仰を貫くという。このところ新築される教会などを見ているとヨーロッパの教会のように尖塔を持った造りの教会が目にとまる。ドイツのケルン大聖堂にある双塔の尖塔や、イギリスはイングランドのソールズベリ大聖堂の尖塔は、あくまでも、神にできるだけ近づきたいという思いが造らせたものである。
実際、ソールズベリ大聖堂は、最初尖塔はなかった。信仰を重ねるうちに、「神に近づきたい」という思いが高まり、尖塔建築につながったものだ。
旧手賀教会縁側
このつくりを見ていただきたい。縁側である。穏やかな日の光に包まれて余生を過ごしている老人が見える。老夫婦がお茶を飲みながら談笑しているのが見える。何の変哲もない、日常がこの教会に見えることから信仰が生活の一部であったに違いないことを感じることができるのである。
あるカトリックの司祭(神父)が言っていた。
「信仰というのは教理に基づいて、信仰の道に入る、すなわち入信することである。」
「教会というのは、元々は父(イエズス・キリスト)の元に集まった兄弟姉妹(信徒)のことであり、建物を指すのではない。」
「入信した後は、教理に基づいた生き方の実践と日々の反省の積み重ねが大切」
「信仰とは生涯学習であり、信仰学習を続けること」
その信仰学習の場として、建物の必要性が生まれたという。学習時の雨をしのぐことくらいはばちが当たらないだろうとのことである。
信仰とは姿形のあるものではなく生き方なのだ。
東葛探訪になりますが、戦争遺跡よりも早く取り組んでいた趣味でございます。