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いやあ、自分ってつくづく日本人だと思ったことがある。
街中を歩いていて、外国人が近づいてくると軽く微笑みながらやり過ごしてしまったことである。話しかけられても返せるだろうかと不安な気持ちで一杯になるのである。
今はそこまではない。環境は人を変えるというが、それはとても納得がいくことである。海外旅行をすると周囲に日本人の数が減る。まぁ当たり前だが、数の論理でいくと圧倒的に不利だ。何がって、強気でいられないのである。別に取って喰われる訳ではないのだから少し大げさである。
さて、ツアーではなくて海外旅行をすると、周囲は外国人だけになる。まして聞きたい事があって頼れるのは自分だけだというシチュエーションだと火事場の馬鹿力が出る。
自分から話しかける。
語彙が少ないので身振り手振りである。
聞き取りにくい言葉を聞き返す。
持っている本に写真があると、それを利用する。
そう、2003年夏のイギリス旅行はツアーではなかった。
上に書いたことをやる機会が多かった。
日本語を話す機会が極端に少なくなり、英語を使わざるを得ないからである。
写真はコツウォルズのボートン・オン・ザ・ウォーターである。
街中をウインドラッシュ川が流れ、水の都ベニスの小さい版どリトルベニスと言われている。
ウインドラッシュ川で遊ぶ子供達
その街中を川に沿って歩いていた時である。一人の外国人が話しかけてきたのである。
This is a fish. catched by me.
のような内容だったと思う。私に話しかけてきたのは下写真の少年である。
その時に思ったのが、今日の表題でもある「当たり前なことに気づいた」である。
こんな小さな子が使っている言葉は英語である。
別に構えるわけでもなく、外国人の大人に自国の言葉で話しかけてきたのである。
通じるとか、通じないとかを考えて物を言ってる訳ではない。この子供が持っている姿勢を大人が真似できればいいのだろう。この旅では、言葉の使い方を間違っても、相手が正しい言い方を教えてくれる場面が多々あったのだ。
小さな友だち