夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

歴史の彼方には・・!?

2007-06-03 19:05:00 | 定年後の思い
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私は過?E貌Δ硫偲弔紡攤澆靴討い燭里如?br>興味を持ち、色々と調べたが、?E峇雰蕕傍④気?E討い?E里蓮?br>知識人・藤愉膊夫・氏の解説であった。

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江戸?E椶☞寮④魘瓩?E戮法?br>キ?E好閥気龍愡澆鯡礁椶箸靴董愃森駑瓠戮鬚世靴燭里蓮?br>1633年(寛永10年)のこと。
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そ?E♠▲瓮?E㎠琉砧呂撚鮟?E気?E燭里蓮■横娃闇幣紊△箸裡隠牽毅廓?嘉永6年)。
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アメ?EΔ里佑蕕い蓮?br>中国などを支配す?Eぅ㌖?E垢紡亶海靴涜席人硫C嚢厦④魍㎠戞?br>?E椶亡鷙礎呂鰺弋瓩垢?E海箸函?br>捕鯨船と乗組員の保勾絶、食料と水の補?E魑瓩瓩?E海箸世辰拭?br>
翌1854年2憲就7隻の軍艦を率いて神奈旋劉にきたペリーは、
武力で開港をせまり、ついに3憲惜『?E届多鴇鯡鵝戮〄?E个?E拭?br>
更に『?E峠すツ名鯡鵝戮?E気?E燭里蓮?br>1858年(安政5年)7憲寝9?E?br>翌1959年6憲寝?E砲蓮I諭杭蝓ヾ曚裡街舛?br>自由貿易がはじまった。


私が下田滞在の折、『下田の歴史と史跡』と題さ?E針椶鯒磴さ瓩瓩燭♤?br>この中に【?E偲蝶㏋素ゔ茵曚♢△?E?br>
1853年(嘉永6年)7憲就アメ?E㎠魂?E僕莵劼靴人盞?br>膳ア使節プチャーチンが長崎に来航し、
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『?E届多鴇鯡鵝戮斉狎把完気?E浸偲弔犯ヾ曚㏋舛箸覆蝓?br>ペリー艦隊は7隻で下田に入港してい?E?br>
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1858年(安政5年)の6憲惜『?E峠すゾ鯡鵝戮斉狎把完気?E晋紂?br>オランダ、膳ア、イギ?E后▲侫薀鵐垢板完気?E拭?br>
この間、下田港はアメ?E了曚瀉屬気?E討い燭♤?br>『?E峠すゾ鯡鵝拂?E陵眷法▲▲瓮?E㏔抜曚箸覆?E掌佑遼禀曚覆匹飽楾圓気?E?br>翌年に下田港が自由貿易港として閉鎖さ?E?br>国際舞台のひとつの役割を終えた。

要約をしたが、下田港の盛衰が解か?E?br>
こうした大国の国益に基づいて、?E椶鷲靂呂剖掘⊆核念廚箸覆辰燭♤?br>私はこうした急速な歴史の動き中で、多くの人々の光と影が浮かび上がり、
過酷であ?E?E椰佑里劼箸蠅箸靴董?br>過魚昔歳憲栓学ぶ重要な?E櫃㎠蠅箸覆?E隼廚辰討い?E?br>



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つたない作庭の思い・・♪

2007-06-03 01:36:00 | 定年後の思い
私は快晴の中、10時半過ぎに庭に下り立ち、樹木の剪定と草取りに専念した。

結果として、昼食抜きで体力の限界と感じた3時半まで行い、お風呂に入った後、
夕刻の4時半過ぎに早めの夕食とした。

その後、直ぐに寝つき、先程の11時に目覚めた。
おかしな時間帯となり、寝ぼけ眼(まなこ)でもある。

私は庭の手入れをしている時、どのように樹木、草花を変えようか、
と改めて思案していた。

ささやかな庭の広さであるが、庭なりに住んでいる人の考えが明示されるので、
私なりに迷っているのである。

我が家は、30年前頃に実家の近くに家を建てたが、
敷地が百坪の変形五角形のような形で、家の配置を決めると、
玄関庭と主庭となった。

何より若気の至りで、思った以上に土地の造成と建物に費用を要したので、
庭に投じる予算が乏しく、止む得ず雑木主体の樹木とした。

外周は常緑樹とし、遠い親戚の植木屋を営んでいる叔父さんに樹木の希望を伝えた上で、
幾ばくかの費用でお願いし、植え込んで貰った。

実家の長兄宅より、雑木の幼い樹を頂き、私なりに植え込んだりした。
そして、別の親戚の叔父さんが白梅、枝垂れ紅梅を祝いとして頂き、植えて頂いた。

今日まで歳月に於いて、魅了されない樹木は、引き抜いたり、鋸(ノコギリ)で切り倒したりし、
植木の即売店などで見かけた樹木を植え込んだりした。

私は一介のサラリーマンだったので、住宅関連のローンの返済をすると、
残りは程々の費用しかなく、
それなりに工夫して庭を形づくってきた。

今の状態は雑木主体であるので、
常緑樹、落葉樹はそれなりに季節のうつろいを彩っている。

私は旅行先で広々とした庭を観たりした時、
本心を晒(さら)せば羨望と嫉妬が多少あるが、
東京の郊外さえも程々の土地の購入価格がするので、
一介のサラリーマンだった我が身を慰めたりしていたのは事実である。

このような庭であるが、今後も私なりに創意し、
つたないなりに樹木、草花に戯(たわむ)れようとしている。


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