旅から戻り、ここ2日間は枯山水の庭を思い返している・・。
私は枯山水の庭は、日本の各地で十数ケ所しか観ていないので、
設計されたお方の創作に基づき、作庭師が具現させながら、
庭師の方達が従事する総合作業と思い、
依頼主の思考を加味させた総合芸術のひとつと確信している。
その上、季節の移ろいに応じて変化する景観なので、
創作はもとより維持管理は苦労の絶えない庭と感じている程度である。
従って、素人なので観た感覚しか綴れない。
最初に感じたのは、借景が十二分に生かされたゆるぎない美の結晶と思い、
5分程、眺めた後は、確固たる美でありすぎるので、
心に余情が生まれないのである。
こうした思いになると、西洋人の一部のお方が絶賛する理由が分かるのである。
いずれにしても、その季節の移ろいごとに眺め、
百年後の風雪に耐えた枯れた庭を観たい気になるが、
これは叶わぬ夢である。
私は絵画、彫刻、童画の世界には興味はないが、
陶芸の世界は多少興味がある程度である。
館内から茶室の『寿立庵』までの飛び石の配置、そして松を中核とした庭には、
和やかな心となり、素直に感銘をした。
晩秋のひととき、この茶室で抹茶を頂ただき、余情を感じたまま、
その後、枯山水の庭を眺めるのも一考かしら、
と夢をみたりしている。
私は枯山水の庭は、日本の各地で十数ケ所しか観ていないので、
設計されたお方の創作に基づき、作庭師が具現させながら、
庭師の方達が従事する総合作業と思い、
依頼主の思考を加味させた総合芸術のひとつと確信している。
その上、季節の移ろいに応じて変化する景観なので、
創作はもとより維持管理は苦労の絶えない庭と感じている程度である。
従って、素人なので観た感覚しか綴れない。
最初に感じたのは、借景が十二分に生かされたゆるぎない美の結晶と思い、
5分程、眺めた後は、確固たる美でありすぎるので、
心に余情が生まれないのである。
こうした思いになると、西洋人の一部のお方が絶賛する理由が分かるのである。
いずれにしても、その季節の移ろいごとに眺め、
百年後の風雪に耐えた枯れた庭を観たい気になるが、
これは叶わぬ夢である。
私は絵画、彫刻、童画の世界には興味はないが、
陶芸の世界は多少興味がある程度である。
館内から茶室の『寿立庵』までの飛び石の配置、そして松を中核とした庭には、
和やかな心となり、素直に感銘をした。
晩秋のひととき、この茶室で抹茶を頂ただき、余情を感じたまま、
その後、枯山水の庭を眺めるのも一考かしら、
と夢をみたりしている。