夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の幼年期、七夕(たなばた)の想いで・・♪    

2008-07-07 18:04:52 | 幼年・少年時代の想いで
私は昭和19年の秋、農家の三男坊として生を受けた。

祖父と父が中核となり、程々に広い田畑を小作人の手を借りながら、
農家を営んでいた・・。

敗戦後、農地改革などである程度は狭まったが、
それなりに旧家として維持されていた。

そして、七夕(たなばた)に関しては、
私が小学生の頃まで、自宅の庭の隅に竹に短冊を吊るす慣わしだった。


孟宗竹の今年成長した5メートル前後の若竹を一本伐って、
杭を打ち、安定させていた。
父の末妹の叔母が嫁ぐ前だったので、お正月の小倉百人一首と同様に、
叔母の指導の下で、私は妹と飾りだてをした。


そして私が小学2年の3学期、父に死去され、
その後、3年生の5月に祖父が亡くなった。

農家の大黒柱の2人が亡くなり、母と叔母、
そして長兄、次兄、私、そして妹の2人が残されたが、
農業の技量、大人の男手を失くしたので、
我家は没落しはじめた・・。


私はこの後、学校に行くと、担任の女の先生から、職員室に呼ばれた。

『XXくん、貴方のお父さん、お祖父さんも亡くなってしまい、
可哀想だか・・貴方、男の子でしょう・・
お母さんに心配させるようなことは・・分かっているわよね・・』
と私に云った。

そして
『男の子は、頑張るのよ・・』
と私に握手してくれた。


私は、その夏、短冊に書こうとしたが、少しためらっていた・・。

《 せんせい、あくしゅもいいけど、
         だきしめてほしい・・ 》


叔母や妹が短冊に何かしら綴っているので、
私は本心を書けなかった。
そして私はやむえず、

【 せいせいもげんきで
        ぼくもがんばります 】
と何とか読める汚い字で書いた。

短冊を吊るしている時、叔母が、
『どういうこと・・』
と私に云った。

『何でもない・・何となく・・』
と私は下を向きながら答えた。


私は小学生の時は、兄達は優等生で、
私はいじけた劣等生で可愛げもない児であったが、
齢を重ねた63歳の今、
それなりに苦くも懐かしい想いでとなっている。

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改めて、ある短冊の想いで・・♪    

2008-07-07 09:11:07 | 旅のあれこれ
10数年前、私は現役のサラリーマンで数多くの人と同様に、
多忙な時期であった・・。

春先に人事異動であり、私も異動し、ある部署に落ち着いたと感じた夏休みに、
家内と宮城県の作並温泉に3泊4日で滞在した。


上野駅から仙台駅までの新幹線は、わずか2時間ばかり、
そして在来線に乗り継ぎ作並駅まで1時間弱で、
駅前から観光ホテルの迎えのマイクロバスで到着した。

http://www.ichinobo.com/sakunami/

そして、私達はホテルの周辺のラベンダーの丘陵、
渓流で魚釣りをしたり、散策をしたりし、
のんびりと過ごしていた。


翌日のひととき、ホテルのロビーの一角に、
3メートル前後の竹に5色の短冊が飾り付けられていたことに気付いた。

私は昼の風呂上り、何気なし短冊を読んだ。

数多くの短冊を読んだが、ひとつの短冊に心を惹(ひ)かれた・・。

《 らいねんもこのホテルに
     家族そろってこられますように 》

と小学生の上級生の女の子らしい綴りで書かれていた。

私は作並温泉に訪れる途中で、
仙台市内の華麗な七夕(たなばた)を少し観えたが、
この女の子のひとつの短冊に籠(こ)められた願いが心に沁みた。

そして私は華美な仙台の七夕より、遥かにこの短冊に魅了され、
この人生の微笑みを頂き、心を寄せたのである。

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