午前中のひととき、私は初夏のような陽射しの中、
買物に行った時、住宅街を歩いていると、
あるお宅の庭先で宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が咲きはじめていた・・。
私は宗旦木槿の底紅で白い花で、
心澄んだ気品を秘めたような花と感じながら、15年近くなる。
これまでは公園、ご近所のお宅にも咲いていたと思われるが、
意識させられたのは、一冊の文庫本であった・・。
今は亡き作家・山口 瞳・著の『男性自身 木槿の花』(新潮文庫)を平成6年夏に読み、
亡くなわれた作家・向田邦子・女史への鎮魂曲のような随筆であった。
この随筆を読んでから、白の花の木槿、と綴られていたのであるが、
向田邦子・女史であったなら、宗旦木槿が相応しい、と私は勝手に連想したのである。
この時以来、私は宗旦木槿を見るたびに、山口 瞳の随筆に導かれて、
向田邦子・女史の顔立ちを思い浮かべながら、
数多くの遺(の)こされた作品を甦(よみがえ)ったりしているのである。
いつの日だっか、都立公園で五種類ばかりの色とりどりの木槿を観たが、
どこかのお宅で、さりげなく咲いている宗旦木槿の方に、
遥かに魅了される。
私は初夏に咲く花の中で、宗旦木槿は好きな花のひとつなので、
私なりに数多く、このサイトに綴っている。
例えば、3年前の夏、
【 初夏、木槿(ムクゲ)の咲く頃・・♪】
と題して、投稿している。
【・・
茶花として、夏は木槿(むくげ)、冬は椿が代表される
と古来から伝えられている。
初夏のひととき、部屋の中に、宗旦木槿を一輪挿すのも、清々しい・・。
私は、高砂木槿は嫌いである。
宗旦木槿に似た底紅であるが、花びらが白でなく、淡紅色である。
或いは、宗旦木槿は和室に良く、
ホテルのロビーの外れには、高砂木槿は引き立つ。
このようなことを思い立っていたら、
山口瞳・氏の随筆を通して、
向田邦子・女史の顔立ちがほんのりと浮んできた。
初夏の朝のひととき、庭先を見詰め、このようなことを考えていた・・。
・・
】
このように、少し幼稚な気負いで綴っているが、
我家では残念ながら宗旦木槿を植える機会を逃している。
昨年、旅先で簡易な売店で買い求めた淡紫色した高砂木槿が成長し、
昼下りから咲きはじめ、つたない私は、
主(あるじ)に似て相応しい、と微苦笑している。

買物に行った時、住宅街を歩いていると、
あるお宅の庭先で宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が咲きはじめていた・・。
私は宗旦木槿の底紅で白い花で、
心澄んだ気品を秘めたような花と感じながら、15年近くなる。
これまでは公園、ご近所のお宅にも咲いていたと思われるが、
意識させられたのは、一冊の文庫本であった・・。
今は亡き作家・山口 瞳・著の『男性自身 木槿の花』(新潮文庫)を平成6年夏に読み、
亡くなわれた作家・向田邦子・女史への鎮魂曲のような随筆であった。
この随筆を読んでから、白の花の木槿、と綴られていたのであるが、
向田邦子・女史であったなら、宗旦木槿が相応しい、と私は勝手に連想したのである。
この時以来、私は宗旦木槿を見るたびに、山口 瞳の随筆に導かれて、
向田邦子・女史の顔立ちを思い浮かべながら、
数多くの遺(の)こされた作品を甦(よみがえ)ったりしているのである。
いつの日だっか、都立公園で五種類ばかりの色とりどりの木槿を観たが、
どこかのお宅で、さりげなく咲いている宗旦木槿の方に、
遥かに魅了される。
私は初夏に咲く花の中で、宗旦木槿は好きな花のひとつなので、
私なりに数多く、このサイトに綴っている。
例えば、3年前の夏、
【 初夏、木槿(ムクゲ)の咲く頃・・♪】
と題して、投稿している。
【・・
茶花として、夏は木槿(むくげ)、冬は椿が代表される
と古来から伝えられている。
初夏のひととき、部屋の中に、宗旦木槿を一輪挿すのも、清々しい・・。
私は、高砂木槿は嫌いである。
宗旦木槿に似た底紅であるが、花びらが白でなく、淡紅色である。
或いは、宗旦木槿は和室に良く、
ホテルのロビーの外れには、高砂木槿は引き立つ。
このようなことを思い立っていたら、
山口瞳・氏の随筆を通して、
向田邦子・女史の顔立ちがほんのりと浮んできた。
初夏の朝のひととき、庭先を見詰め、このようなことを考えていた・・。
・・
】
このように、少し幼稚な気負いで綴っているが、
我家では残念ながら宗旦木槿を植える機会を逃している。
昨年、旅先で簡易な売店で買い求めた淡紫色した高砂木槿が成長し、
昼下りから咲きはじめ、つたない私は、
主(あるじ)に似て相応しい、と微苦笑している。
