夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて、木槿(ムクゲ)の思い・・♪

2008-07-15 19:42:40 | 定年後の思い
午前中のひととき、私は初夏のような陽射しの中、
買物に行った時、住宅街を歩いていると、
あるお宅の庭先で宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が咲きはじめていた・・。


私は宗旦木槿の底紅で白い花で、
心澄んだ気品を秘めたような花と感じながら、15年近くなる。

これまでは公園、ご近所のお宅にも咲いていたと思われるが、
意識させられたのは、一冊の文庫本であった・・。

今は亡き作家・山口 瞳・著の『男性自身 木槿の花』(新潮文庫)を平成6年夏に読み、
亡くなわれた作家・向田邦子・女史への鎮魂曲のような随筆であった。

この随筆を読んでから、白の花の木槿、と綴られていたのであるが、
向田邦子・女史であったなら、宗旦木槿が相応しい、と私は勝手に連想したのである。

この時以来、私は宗旦木槿を見るたびに、山口 瞳の随筆に導かれて、
向田邦子・女史の顔立ちを思い浮かべながら、
数多くの遺(の)こされた作品を甦(よみがえ)ったりしているのである。


いつの日だっか、都立公園で五種類ばかりの色とりどりの木槿を観たが、
どこかのお宅で、さりげなく咲いている宗旦木槿の方に、
遥かに魅了される。


私は初夏に咲く花の中で、宗旦木槿は好きな花のひとつなので、
私なりに数多く、このサイトに綴っている。

例えば、3年前の夏、
【 初夏、木槿(ムクゲ)の咲く頃・・♪】
と題して、投稿している。

【・・
   
茶花として、夏は木槿(むくげ)、冬は椿が代表される
と古来から伝えられている。

初夏のひととき、部屋の中に、宗旦木槿を一輪挿すのも、清々しい・・。

私は、高砂木槿は嫌いである。
宗旦木槿に似た底紅であるが、花びらが白でなく、淡紅色である。

或いは、宗旦木槿は和室に良く、
ホテルのロビーの外れには、高砂木槿は引き立つ。

このようなことを思い立っていたら、
山口瞳・氏の随筆を通して、
向田邦子・女史の顔立ちがほんのりと浮んできた。

初夏の朝のひととき、庭先を見詰め、このようなことを考えていた・・。

・・


このように、少し幼稚な気負いで綴っているが、
我家では残念ながら宗旦木槿を植える機会を逃している。

昨年、旅先で簡易な売店で買い求めた淡紫色した高砂木槿が成長し、
昼下りから咲きはじめ、つたない私は、
主(あるじ)に似て相応しい、と微苦笑している。


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我家は、夏の陽射しに備えて・・♪

2008-07-15 10:20:46 | 定年後の思い
今朝、我家では家内の指導の下で、簾(すだれ)を納戸から、取り出して、
先程まで取り付けていた・・。

毎年、我家の梅雨明けからの夏の陽射しに備えて、
恒例となっている。

この後、私は冷茶を呑みながら、昨年の今頃は・・、
と過ぎ去った日の投稿文を読んだし時、
7月28日に於いて、

【 簾(すだれ)越しに、庭を眺めれば・・♪  】
と題して、私は綴っていた・・。


【・・

東京の郊外は、雲ひとつない快晴の朝を迎えている。

日中は昨日と同様に31度前後の真夏日となる。

この時節、我が家では、簾を各部屋に掛けている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸越しのカーテンを外して、簾とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾としている。

朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾にして、風を通したりしている。

私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
ソファーに座り庭を眺めたりする時、ほのかな暗さがあり、
樹木、草花が涼しげに見えるのである。

先程、朝の庭を眺めていた時、ひとつの句が甦(よみがえ)ってきた・・。


世の中を 美しと見し 簾かな

     作者・上野 泰


この句は、長谷川 櫂・氏に導かれて知ったひとつである。

氏の解説に寄れば、下記のように綴られている。

陽はさえぎるが風を通す簾は、蒸し暑い日本の夏には重宝なもの。
王朝の昔、高貴な女性の中には、そのかげで一生を送る人もいた。
簾を透(とお)すと何もかも涼しげに見える。
古き世も人も過ぎ去り、今は簾だけが風に揺れている。


詠(よ)まれた俳人は、大正7年に生を受け、
昭和48年に亡くなわれた人であるが、
私は昭和のよき情感をとおして、
遥か彼方の古人の人たちへの愛惜を感じたりしている。

私は庭の樹木、初夏の草花を眺めながら、
とりとめなく千年前の女人のしぐさに思いを馳(は)せたりしている。


・・


このように私は綴っているが、
一年前の私の思いに懐かしげに読んだりしている・・。
そして、余り変わらない思いでいるので、
進歩なく一年が過ぎてきたのか、と私は独り苦笑している。



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