夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

臼井幸彦・著の『駅画の中で出逢う「駅」』・・。

2008-07-23 19:24:26 | 読書、小説・随筆
私は、午後のひととき、
過日、偶然に本屋の棚で見かけた新書の一冊を読んだ。

臼井幸彦・著の『駅画の中で出逢う「駅」』(集英社新書)であるが、
私も映画の愛好者として、「駅」に対する思いは強いので、購読したのである・・。

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0341-f/index.html

著作者の経歴を拝見すると、
鉄道の専門技術畑の栄達のお方であり、
日本の駅はもとより、パリ、ロンドン、ローマ、ニューヨーク等の駅に関する歴史、
そして文化等も詳細に綴られ、私は多々に教示を受けたのである。

そして、著作者の映画を愛好されている方であり、
その上、読みながら著作者自身の心情が、かいま見られて、
私は共感したのである。


『昼下りの情事』(1957年)のラストシーン・・
【・・
男、女主人公の名場面・・
しかし私にはそれよりむしろ、
娘の幸せを願いながら、そっとホームの柱の陰から父親が微笑みを浮かべて、
去っていく列車を見送るシーンが心に残る。
・・


注)原文より、改行を多くした。

この原文5行の綴りを読んで、
私は著作者に対し信頼できる人、と直感したのである。


『アンタッチャブル』(1987年)
シカゴ駅の大階段の名場面に関し、くまなく表現されて折、
同調していたが、著作者の専門畑の英知に思わず脱帽したのがあった。

【・・
この階段は、線路が掘割で進入しているために生じた
駅舎内部の高低差をドラマチックな空間に変えている。
・・



著作者の基調として、
【・・
映画の中で自分の住む街の何代か前の駅舎に出会うと、
宝物でも見つけたかのように嬉しくなり、
当時の駅周辺の様子も窺えて感慨深い・・


私はこうした著作者のまなざし、心情に深く共感するのである。


映画の数多くの駅に関する名場面を披露して下さり、
こうした稀な本に出合えたことに、著作者に感謝したい。


あえて苦言を2点を綴れば、『逢びき』(1945年)に関し、
数多くの作品は丁重に論評している割合にしては、
少し短絡的過ぎる、と感じたのである。

汽車の通過された駅で、人妻が煤煙が眼に入り、
通りかけた医師が取り除く・・
こうした名場面から、この映画がはじまり、
待合室の情景なども加味されながら、ドラマの核心に導かされるのである。


そして、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)を
取り上げて欲しかったのである。

主人公が駅構内で出入りする時、
『イェスタディー』の名曲が流れ、過去と現在を的確に表現するシーン、

恋人がハリウッドに女優を目指し、列車の乗客となり、
それを見送る主人公・・等。


駅をとりまく情景は、それぞれの人の人生を集縮して表現できるので、
古今東西の名画に数多く使用されいる、と改めて感じたのである。


尚、私は拙(つたな)い映画の鑑賞暦であるが、
邦画としては『駅 STATION』(1981年)、
洋画としては『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)を最高位と、
かたくなに信じているひとりである。



にほんブログ村 本ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときには、独り住まいとなり・・♪

2008-07-23 10:05:47 | 定年後の思い
我家は家内と2人だりの家庭であるが、独り住まいの家内の母宅に、
家内が泊りがけで大掃除などで行っている。

今月は21日(月)~26日(土)となり、5泊6日で家内は孤軍奮闘しているのである。
高齢者の家内の母は、身の廻り程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて行っているのである。


私はこの間は、独り住まいとなるが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、食べたりしている。

年金生活の私は、日常はある程度は自在の生活を過ごしているが、
独り住まいとなれば、更に身勝手に過ごすことになる。


平素より音楽を大きめの音量で聴いたり、
映画のビデオ、DVDの劇映画も大音量で視聴したりしている。

そして、入浴時間も好きな時間となり、
我ながら呆れたりしているが、
こうして過ごせるのも、現役時代からの夢のひとときであるので、
私は微苦笑しているのである。


昨夕は、昼寝をしていなかったので、
入浴は6時前に終り、早目の独り宴会をし、
9時過ぎには布団にもぐり寝付いたのである。

今朝は4時過ぎに目覚め、
海江田万里・著の『団塊漂流~団塊世代は逃げ切ったか~』(角川ONEテーマ21)を読了し、
起きだしたりした。

そして、雨戸を開け放ち、外気を入れ、
洗面後、冷茶、アイス・コーヒーを呑みながら、
新聞を精読したりした。

そして、玄関庭の高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)、
移植した秋海棠(シュウカイドウ)に散水し、
主庭にある半夏生(ハンゲショウ)、唐糸草(カライトソウ)、
そしてアメリカ芙蓉(フヨウ)にも散水したりしている。

こうした初夏の花を眺め、煙草を喫いながら、
本日は何をテーマに投稿しょうかと、
思案したのは、7時頃であった。


尚、独り住まいは、いずれ私か家内か解からないけれど、
残された人の予行演習と思ったりしているのである。



にほんブログ村
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする