私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であるが、
午前の10時過ぎに散髪屋(理容店)に行く為に出かけたが、
その前に少し遠回りし、遊歩道を散策した後にしょうと、と思ったりした。
私の住む地域は、過ぎし6日の金曜日から、染井吉野(ソメイヨシノ)の櫻が満開となり、
私は自宅の付近にある野川の遊歩道を幾たびか散策して、櫻花を愛(め)でてきた。
そして染井吉野(ソメイヨシノ)の櫻が最初に咲き始めると、
その後に山櫻(ヤマザクラ)、最後に八重櫻(ヤエザクラ)が咲くのが、平年の慣(なわら)わしである。
昨日、どんよりと小雨まじりの曇り空となり、夜に本降りの雨となったので、
櫻花は散り始めたのかしらと気になり、野川の遊歩道を下流に向かい歩いた・・。
雲ひとつない青空の中、陽春の陽射しを受けながら歩き、
まもなく幾たびも訪れてきた櫻並木が観え、上部はピンク色に染まる情景を観て、
私は微笑みながら足を止めたりした。
平日の為か人影も少なく、そして歩きだすと、ときおり微風が吹き、心地よく感じたりしたが、
早くも遊歩道には花びらが散乱して、歩道の脇には絨毯のように花びらが重なっていた。
私は立ち止まり、数多くの櫻花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり微風が吹くと、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
やがて地上に落下している。
古来より、櫻の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきた・・。
私は櫻花に関しては、3分咲きに魅了されるひとりであるが、
やはり花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散る光景に美を感じてきた。
このような情景に私は見惚(みと)れてたりしていたが、
遥か1000年前の人たちも、私のように感じる人が多いかしら、と思わず微笑んだりしてしまった。
冬の季節が過ぎて、早春の梅の花、そして桃の花、
やがて春本来の暖かさの中で、待ち焦(こ)がれた櫻花を愛(め)でる。
そして短かき日々の中、櫻花は散り去る・・。
私は櫻花を観る時、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も余生の中で、天上の神々の采配で生かしてもらっている、と思いが強く、
毎年、花衣(はなごろも)の情景を眺めていると、過ぎし日々に愛惜を重ねたりしている。
このように思ったりした後、野川の水の流れを見たりした。
川面は陽春の陽射しを受け、光を帯びながら清き流れとなっていた・・。
そして川辺に枯れた薄(すすき)の群生に、櫻花が重なっていて、
やがて水の流れに巻き込まれ、花筏(はないかだ)のように下流に向かい、ゆっくと流れていた。
この後、私は散髪屋(理容店)に行く為に野川の遊歩道を離れ、小路を歩くと、
ある旧家の農家だった家の植木を数多く植えている敷地の中、
青空の中に聳(そび)えるように淡き色合いの大きな山櫻(ヤマザクラ)に出あった。
そして、このようなところに山櫻があったことは知らなかったよ、と思いながら私は足を止めた。
私は現役時代は中小業の民間会社に勤め、
結婚して3年目に生家の近くに一軒家を構えたのは33歳であった。
若気の至りで、家屋の中に茶室などを設けたりしたので、当初の予算以上の経費となり、
我が家としては多大なローン返済の中、専業主婦だった家内はパート、契約社員に働きに出たりし、
私は強力な援軍を受けたりしていた時であった。
私の次兄は自営業し、結婚もしていたが子供に恵まれない時、
資金繰りを苦に、次兄は自宅の布団の中で、毒物を飲み自裁されたのは、
私が34歳の時であった。
私は次兄が突然に自裁し、葬儀を終えた後、
会社から帰宅するたびに、深夜になると、
居間の外れのテラスの前で腰かけて、日本酒の一升瓶を横に置き、茶碗酒を呑みながら、
どうしてそこまで踏み切ったの、と戸惑いながら、ため息をしたりし、
前方のモミジの樹木に問いかけは、涙ぐんだりした・・。
こうした中、私は日曜日の時、近くの公園で偶然に山櫻を観て、次兄の言葉、しぐさを思い浮かべたりし、
この山櫻に心を託したりした。
そして10日ばかり過ぎた頃、私なりに次兄の追い詰められた心情を
遅ればせながら私になりに了解したりした。
このように私にとっては、山櫻の咲く時、何かとお世話になった次兄を思い馳せたりし、
30数年過ぎている。
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午前の10時過ぎに散髪屋(理容店)に行く為に出かけたが、
その前に少し遠回りし、遊歩道を散策した後にしょうと、と思ったりした。
私の住む地域は、過ぎし6日の金曜日から、染井吉野(ソメイヨシノ)の櫻が満開となり、
私は自宅の付近にある野川の遊歩道を幾たびか散策して、櫻花を愛(め)でてきた。
そして染井吉野(ソメイヨシノ)の櫻が最初に咲き始めると、
その後に山櫻(ヤマザクラ)、最後に八重櫻(ヤエザクラ)が咲くのが、平年の慣(なわら)わしである。
昨日、どんよりと小雨まじりの曇り空となり、夜に本降りの雨となったので、
櫻花は散り始めたのかしらと気になり、野川の遊歩道を下流に向かい歩いた・・。
雲ひとつない青空の中、陽春の陽射しを受けながら歩き、
まもなく幾たびも訪れてきた櫻並木が観え、上部はピンク色に染まる情景を観て、
私は微笑みながら足を止めたりした。
平日の為か人影も少なく、そして歩きだすと、ときおり微風が吹き、心地よく感じたりしたが、
早くも遊歩道には花びらが散乱して、歩道の脇には絨毯のように花びらが重なっていた。
私は立ち止まり、数多くの櫻花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり微風が吹くと、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
やがて地上に落下している。
古来より、櫻の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきた・・。
私は櫻花に関しては、3分咲きに魅了されるひとりであるが、
やはり花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散る光景に美を感じてきた。
このような情景に私は見惚(みと)れてたりしていたが、
遥か1000年前の人たちも、私のように感じる人が多いかしら、と思わず微笑んだりしてしまった。
冬の季節が過ぎて、早春の梅の花、そして桃の花、
やがて春本来の暖かさの中で、待ち焦(こ)がれた櫻花を愛(め)でる。
そして短かき日々の中、櫻花は散り去る・・。
私は櫻花を観る時、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も余生の中で、天上の神々の采配で生かしてもらっている、と思いが強く、
毎年、花衣(はなごろも)の情景を眺めていると、過ぎし日々に愛惜を重ねたりしている。
このように思ったりした後、野川の水の流れを見たりした。
川面は陽春の陽射しを受け、光を帯びながら清き流れとなっていた・・。
そして川辺に枯れた薄(すすき)の群生に、櫻花が重なっていて、
やがて水の流れに巻き込まれ、花筏(はないかだ)のように下流に向かい、ゆっくと流れていた。
この後、私は散髪屋(理容店)に行く為に野川の遊歩道を離れ、小路を歩くと、
ある旧家の農家だった家の植木を数多く植えている敷地の中、
青空の中に聳(そび)えるように淡き色合いの大きな山櫻(ヤマザクラ)に出あった。
そして、このようなところに山櫻があったことは知らなかったよ、と思いながら私は足を止めた。
私は現役時代は中小業の民間会社に勤め、
結婚して3年目に生家の近くに一軒家を構えたのは33歳であった。
若気の至りで、家屋の中に茶室などを設けたりしたので、当初の予算以上の経費となり、
我が家としては多大なローン返済の中、専業主婦だった家内はパート、契約社員に働きに出たりし、
私は強力な援軍を受けたりしていた時であった。
私の次兄は自営業し、結婚もしていたが子供に恵まれない時、
資金繰りを苦に、次兄は自宅の布団の中で、毒物を飲み自裁されたのは、
私が34歳の時であった。
私は次兄が突然に自裁し、葬儀を終えた後、
会社から帰宅するたびに、深夜になると、
居間の外れのテラスの前で腰かけて、日本酒の一升瓶を横に置き、茶碗酒を呑みながら、
どうしてそこまで踏み切ったの、と戸惑いながら、ため息をしたりし、
前方のモミジの樹木に問いかけは、涙ぐんだりした・・。
こうした中、私は日曜日の時、近くの公園で偶然に山櫻を観て、次兄の言葉、しぐさを思い浮かべたりし、
この山櫻に心を託したりした。
そして10日ばかり過ぎた頃、私なりに次兄の追い詰められた心情を
遅ればせながら私になりに了解したりした。
このように私にとっては、山櫻の咲く時、何かとお世話になった次兄を思い馳せたりし、
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