夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

つたない私でも熱愛すれば、物狂いのように夢中になり、やがて心酔時期が過ぎれば・・。

2012-04-06 13:25:17 | 定年後の思い
私は民間会社に35年近く勤め、2004(平成16)年の秋に定年退職となり、
その後は年金生活を始め、買物、散策などの時、四季折々のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりして過ごしている。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。


本に関しては、小説、随筆、歴史書、現代史が圧倒的に多く、
昨年の東日本大震災後、心変わりとなり5000冊前後あった本を大半処分した結果、
居間と書庫だけ本棚となった今、2000冊ぐらいかしら、と思ったりしている。

映画の場合は、VCT、DVDを専用棚に於いて1000本前後あり、
ときおり選定し、居間で観賞している。

音楽については、たまたま私は音楽業界のあるレコード会社に勤めた影響で、
レコード、カセット、CD、DVDが、過日に処分もしたが、
やはり専用棚として1000枚ぐらい残し、
ステレオセットを定年7年前の頃に処分し、やむなくCDラジカセで聴いたりしている。

幾たびか友人、知人などに上げたりしてきたが、
若き青年時代に映画、文学青年の真似事をした時代もあり、
倹約したり、一食を抜いて購入した本、レコード、そして映画を観たりしたので、
中々捨てきれないのである。
しかし、本と映画は、これからの老後を配慮し、昨年の4月に断腸の思いで処分した。


古ぼけた築後34年の一軒屋で、このような生活をしていると、
ときおり過ぎし日々のことを思い馳せたりすることもある。
そして、誰しも同じような体験があると思われるが、
これまでの人生で、私は熱病のように無我夢中となったりする時があった。

一時的な3ケ月前後で終わることが多いが、
少なくとも1年以上続いたのを振り返った時、私なりに微苦笑したりする。


音楽の場合は、1971(昭和46)年にシャンソンのバルバラに瞬時に魅了され、
その後は金子由香里を盛んに聴いていた。
この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
アルバムを買い求めて、擦り切れる程度の少なくとも百回以上聴き惚れていた・・。

1964(平成元)年の少し前の頃には、
シンガー・ソング・ライターの中島みゆきを偶然に聴き、
カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生のいく度かの苦境の時に、3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。

そして1997(平成9)年の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。


映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。
この間、映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
一年後には500冊ぐらいなったりした。

そして、脚本家として橋本 忍を神様のように信愛した。
映画監督の場合だとデビット・リーン、セルジオ・レオーネに夢中になったりしていた。
アルバイトをしながら、映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。
この間、専門養成所に入り、やがて講師の知人から、
映画は衰退するばかりで、同じ創作分野だったら小説を書けば、と強く勧められたりした。


私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。

そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりし、
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。

この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、三回ばかり敗退し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970(昭和45)年の春であった。

その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、
浅田次郎の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、阿川弘之、各氏の作品に深く魅了され、
この著作された人たちを主軸に精読している。


私は幼少の頃から根は単細胞の性格のためか、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。
若き頃の私は、失恋も多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、恋い焦がれて時もあった。

私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ときには食事も忘れ、寝る間もほしんで物狂いになったりしてきた。

恥ずかしながら、齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることが多い。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人にいつになったらなれるの、と思ったりすることがある。


いずれにしても私のつたない感性で、
この広い世の中で、偶然に目に留まったり、出逢えたり、聴いたりした人々の方たちである。
そして、私なりの人生の心の宝物と思ったりしている。

尚、このように綴ると、私自身の思想、信条、そして日常の心情が解かるので、
発露をするのは少し危険かしら、と微苦笑したりしている。

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コメント (3)
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