夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『朧(おぼろ)月夜』 、かぼそい声で高齢者の私が唄えば、学童に微笑まれ・・。

2012-04-18 18:03:55 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の67歳の身であるが、
今朝、我が家の小庭の草むしりを10時過ぎに始め、
玄関庭の花壇の付近、塀際の樹木の下にもぐり、草をむしり、
少し泥だらけになったりしたが、ときおり玄関の軒下に置いた簡易椅子で休息をしたりした。

雑木の多い小庭の常緑樹は新芽を伸ばし、落葉樹は芽吹きが終わり、幼葉を広げはじめ、
みずみずしい新緑の情景となっている。
陽春の陽射しを受けても、初夏のように汗を流すこともなく、
ときおり、微風が吹くと、新緑の葉は揺らいで、心身心地よく、一年で一番快適な時節かしら、
と私は微笑んだりした。

その後、主庭の草むしりに専念したりすると、昼下がりの時間となったが、
昼食も無視し専念した。
少し疲れを感じたりしたが、歩道に面した側の樹木の下の草むしりをしていた時、、、
昨日、自宅の近くの野川の遊歩道から観えた川沿いに菜の花が、
黄色い帯のように長く続いていた情景を思いだし、ひとつの歌を私は唄いながら草むしりをした。

♪菜の花畠(ばたけ)に、入り日薄れ
 見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし
 春風そよふく、空を見れば
 夕月(ゆうづき)かかりて、におい淡(あわ)し
【『朧(おぼろ)月夜』 作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一/文部省唱歌 】

そして、二番はなんだっけ、と思っていた時、
歩道に小学生の三年生ぐらい女の子が二人並んで、私を眺めていたことに気付いた。

そして私は、近所の女の子と解った後、かぼそい声で唄っていたので、
恥ずかしさを秘めながら、
『学校の帰りなの?』
と私は照れながら大きな声で言った。

『はい。学校の帰りです・・
小父さんが唄っていた歌・・うちのお兄ちゃんが家で唄っているわょ』
とひとりの女の子は微笑みながら私に言った。

『そぉ・・小父さんは昔・・小学6年生頃に学校で習ったの・・
今でも学校で教えるのかしら?』
と私はひとりの女の子に言った。

『解らないわ・・あたしたち・・小学4年生だもん』
とひとりの女の子は困ったように私に言った。

『気を付けて帰ったねぇ』
と私は二人の女の子を眺めながら言った。

『寄り道しないで帰ります。小父さん、さようなら』
と二人の女の子は唱和するように私に言った。

私は女の子を後ろ姿を視(み)ながら、
この中のひとりのご両親は知っているが、
ここ数10年、子供たちも言葉が乱れているが、親御さんの情操教育は確かだ、
と私は心の中で呟きながら、嬉しげに微笑んだりした。


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風光る中、ぐうだらな私でも、今年初めての庭の草むしりに挑戦・・。

2012-04-18 08:53:00 | 小庭の情景を眺めながら
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の67歳の身であるが、
この時節は、常緑樹は新芽を伸ばし、落葉樹は芽吹きが終わり、幼葉を広げはじめ、
みずみずしい新緑の情景となっている。
ときおり、微風が吹くと、新緑の葉は揺らいで、心身心地よく、
私は心の中でスキップしながら、付近の遊歩道、公園をほぼ毎日のように歩き廻ったりしている。

我が家の小庭も大きな莟〈つぼみ〉の紫木蓮(し・モクレン)は満開となり、
陽当たりの少ない所にある藪椿(ヤブ・ツバキ)の朱紅色、紅色、濃い紅色の花びらが、
彩(いろど)っている。

私の住む地域は節分を迎えた2月は平年より寒い日が続いた為に、
3月中旬に遅ればせながら白梅、紅梅は満開となる中、純白の日本水仙も咲いたりしていた。
そして茶花のひとつとして愛されている白玉椿(シラタマ・ツバキ)も咲き始め、
私は春到来ねぇ、と喜びをかみしめたりしてきた。

そして5本ばかりのモミジ、花梨(カリン)、無花果(イチジク)などの雑木は芽吹きを迎え、
やがて日増しごとに成長し、幼き葉から葉を広げ、新た若葉となっている。
この間、常緑樹の金木犀(キンモクセイ)の新芽も伸びだし、
垣根がわりのアカネモチは、朱紅色の新芽が勢いよく伸び、
その後は眩(まぱゆ)く朱紅色の若葉に変貌し、彩(いろど)りとなっている。

こうした中、日本水仙は終わりを告げると、黄色と純白のラッパ水仙が咲き、
可憐な純白した花びらの鈴蘭水仙(ススラン・スイセン)が、主庭、玄関庭に数多く咲き始めている。
そして稲穂のような小判草(コバンソウ)が地表から芽をだいして、
日増し毎に成長し、今や20センチばかりとなっている。

このような情景となっているが、黒土には草が所々生え、中には5センチぐらいが伸び、
ぐうだらな私は、眺めてきた。


今朝、まばゆい朝の陽射しを受け、庭の草むしりを日中の10時頃から、
体力の続く限り、挑戦しょうと決意している。

我家は原則として、庭の手入れは私の責務の範疇であり、
ときおり草むしりをしているが、落葉樹が圧倒的に多いので、樹木の剪定(せんてい)は、
春、入梅の合間、初秋、晩秋、年末の近く、樹木の剪定(せんてい)を行っている。

そして年に数回ぐらい家内の支援があるが、
家内は陽焼け、そして夏の時節は蚊(か)が発生するので苦手となり、
年末の近くは年末年始の準備に忙しく、対象外となっているのが実情である。

今朝、朝の6時は8度、昼下がりは19度前後、そして夜の始めの6時は15度前後が予測され、
日中はこの時節に相応しく陽春の快晴と報じられているので、
今後の一週間は晴れマークがなく曇りの日が多くなっている。

私は風光る中、庭の草むしに絶好日と思いながら、
樹木の下に生えている草を抜いたりするので、泥まみれになったり、
或いは陽射しを受けながら、汗まみれになったりして、孤軍奮闘する予定である。

そして私は、時折かぼそい声で
♪菜の花畠(ばたけ)に、入り日薄れ
 見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし
 春風そよふく、空を見れば
 夕月(ゆうづき)かかりて、におい淡(あわ)し
【『朧(おぼろ)月夜』 作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一/文部省唱歌 】
唄うと思われる。

この思いは、昨日近くの野川の遊歩道を歩いていた時、
川沿いに菜の花が黄色い帯のように長く続いていた情景に見惚れていたので、
私の心に残影しているので、単細胞の私は唄うと思われる。

そして草をむしりながら、過ぎ去った日々を思い出したりして愛惜を感じたり、
或いはこれからめぐる日々のことに思いめぐらしながら、
働くことなく、のんびりと草むしりをできることは年金生活の特権のひとつかしら、
と思い、定年退職後の日々を過ごしたりしてきた。

ときには、ぐうだな私は汗まみれ、泥まみれとなり、
小奇麗になるかどうかは、私の労働の成果にかかっているよなぁ、と微苦笑したりしている。

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