夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『2012年はブログの年だ』と佐藤尚之さんから学び、つたない私でも、叱咤激励されたと思いながら・・。

2012-04-01 18:31:32 | 定年後の思い
私は先ほど、【Yahoo! JAPAN】の『雑誌』コーナーを見て、
ひとつの記事のタイトルに思わず興味されて、最後まで読んでしまった・・。

『人脈10倍! Twitter、facebook達人への道』と題された記事であり、
ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』に於いて、
《それぞれのやり方で精力的に「ソーシャルメディア」を活用する達人たち。
 ブログやSNSなどのソーシャルメディアは、「インフラ」になりつつある。
 近い将来、電話やメールと同じく、使って当たり前のものになる。
 使うリスクより、使わないリスクのほうが大きい。達人たちはそう話した──。》
 これらの達人をインタビューされ、綴られた大山貴弘さんの文である。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120401-00000001-president-bus_all
☆【Yahoo! JAPAN】<==『プレジデント』
            『人脈10倍! Twitter、facebook達人への道』☆

私は民間会社を定年退職した年金生活をしている8年生の身であるが、
昨今のビジネスの最先端として、ブログやSNSなどのソーシャルメディアは、
欠かせないものだ、と多々教示をされた。

この中で私としては、圧倒的に衝撃を受けたのは、佐藤尚之さんの発言である。
《・・
佐藤尚之さんは、常にネットの最先端を走ってきた人だ。
(略)
昨年3月末に電通を退職したが、独立は震災以前から決めていたことだった。
きっかけはソーシャルメディアの登場だった。
「これまで会社員は、組織のために機能する歯車の役割しか担えなかった。
でも、ソーシャルメディアの時代になると『電通の佐藤』では、もう古い。
『佐藤がいる電通』として動くべき時代になっています」

佐藤さんは、著書『明日のコミュニケーション』の中で
「ソーシャルメディアの本当の楽しさ・便利さは実名登録してから始まる」と書いている。

「個の時代」を迎えるうえで、発信のできない人は「割を食うようになる」と話す。

「その昔、馬車が発明されたときにも、
『馬車は速すぎて、人間の生理に合わない』という意見があったといいます。
自動車や電話と同じで、環境が変わってしまえば、もう戻れない。
ソーシャルメディアを『苦手だから使わない』というのは個人の自由。
でも、それは電話番号を持たずに生きていくようなものでしょう」

佐藤さんは「2012年はブログの年だ」という。
ツイッターやFBは情報が流れるフロー型。
一方、ブログは情報を貯めるストック型だ。
ストック型の利点は、情報のコンテクスト(文脈)を見せられるところにある。

1995年からほぼ毎日更新されてきたブログには、4200件を超える記事がある。
この蓄積は「個」を際立たせる。
なかなか真似できそうにないが、佐藤さんは「書くと決めればネタはできる」と話す。

「更新を続けることは、自分の考えをまとめるうえで、とても役に立ちます。
仕事のことでも、具体的な内容に触れずに書くことはいくらでもできる。
アウトプットのないインプットは意味がありません。
発信が止まらないように、長続きさせることを考えながら始めるといいですよ」
・・》

この佐藤尚之さんの発言を私は勝手に解釈して、ブログの有効性を確信した後、
匿名で綴っている私は、文章修行を終えて、実名で公表できるくらいの人になれ、
と叱咤激励のように感じたのである。

私は2004〈平成16〉年の秋に民間会社を定年退職するまでは、
何かと屈折と劣等感の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。

あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のひとつのように、
と思ったりした・・。

私はこれといって、特技はなく、かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、
といった楽観にもなれず、いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。

文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意した・・。

私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章の表現力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。

そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったりした。


私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明(かもの・ちょうめい)が遺され随筆の『方丈記』等があるが、
この方の数多くの遺された中のひとつに準じる随筆を綴れれば、本望と思っている。

そして私の死後の数百年を過ぎた頃、文愛人の一部の方から、
あの時代に短かな随筆をたったひとつ遺(のこ)した人もいた、
と思って頂ただければ幸いという思いがある。

このような思いが、私としては拙(つたな)いなりに秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、
原則として国内旅行で自宅を留守にしない限り、毎日少なくとも一通は投稿している。

そして、何より肝要なことは、人それぞれ誰しも光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影を余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。

このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
私にとっての年金生活は暇、安楽というのは死語である。


私は確固たる根拠もないが、私なりの拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、
できうる限り随筆形式で綴ってみようと、投稿文としている。
そして若き頃に小説の習作を少し体験し、幾たびか校正したりしてきたが、
ブログの投稿文と甘え、一気呵成〈かせい〉に書き上げてしまうことも多い。

しかしながら、その日に応じて、簡単に言葉を紡(つむ)ぐ時もあれば、
言葉がなかなか舞い降りてこなくて、苦心惨憺とすることも多いのが実情でもある・・。

このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
或いは幼年期からの何かと甘さの多い人生を過ごしてきたから、
このような拙〈つたな〉い文章を綴るしか表現が出来ない、
と深刻に考えたりすることがある。

こうした私なりに、秘かな野望が挫折した時、
数多くの拙〈つたな〉い投稿文が残して、涙を浮かべて振り返った時、
のちの想いになることは確かだ、と思いながらも日々投稿文を認(したた)めている。


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『弥生』の3月に別れを告げて、新たな『清浄明潔』の4月にようこそ、と心の中で・・。

2012-04-01 09:45:45 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、『弥生』の3月のカレンダーにさよならすると、
新たな『卯月』の4月のカレンダーを見ながら、ようこ~そ、と心の中で呟(つぶや)いたりした後、
主庭のテラスに下り立ち、白梅の純白な花びらが音もなく散っているのを見つめたりしていた。

そして昨年の今頃を思い馳せたりしていた・・。
昨年の3月11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
大津波が発生して壊滅的な大惨事を、テレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに驚嘆したりしていた・・。

その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の方まで注視された。
そして、私は恐れていた周辺の一時避難、その上に農作物、水の汚染などに影響をもたらした。

この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。

こうした中、もとより被災された方たちの前に於いては言葉もないが、
私の住む地域さえ、幾たびか余震におびえたり、
電力不足が予測されるので、東京電力による『計画停電』が実施され、
対象地域、時間による停電が行われ、平常心こそ何よりも肝要であると思いながら、
落ち着かなくうつろな日々を過ごすことが多かったである・・。

平年であるならば、社会は3月に卒園式、卒業式などあり、
私も落葉樹の芽吹き、桜花の大きな莟(つぼみ)を観かけると、やはり見惚(みと)れて過ごしてきた。
そして、4月には、小学生の入学するピカピカの一年生・・
企業などに入社し、緊張感の中で新社会人となった入社式の光景が見られたりしてきた。

震災後、社会は大きく変貌し、卒業式は縮小されたようになったり、
入社式も中止、延期が相次ぐ、と報じられたりしている。
そして製造業も被災されたり、節電の中、部品、完成品メーカーの生産が低下し、
こうした中で、世の中は自粛の風潮となり、消費が激減してきた。

日本経済の低下に、復興・復旧こそが何よりも肝要であると無力な私は思いながら、
夜明けの来ない日はない、と思ったりしてきた。
そして、この世に100%安全・安心などはない、と改めて実感されてきた。


今年は私の住む地域でも、平年より寒波が多く、白梅、桃の咲く時期も3週間程遅れ、
櫻花も莟〈つぼみ〉の状況で今日を迎えている。

私は雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、過ぎし数週間は、
玄関庭の門扉の近くに朱紅色した藪椿(ヤブ・ツバキ)が咲き、
清麗な純白の白梅は、満開となり、やがて散りまで眺めたりしてきた。
こうした中で花梨(カリン)、ミミジも芽吹き始めて、早くも幼い葉も見られてきた。

主庭は日本水仙が咲き、白梅は満開となり、やがて散り始めて、
紅梅は満開となっている。
そして庭の片隅みには、白玉椿(シラタマ・ツバキ)が秘っそりと咲き、
紫木蓮(シモクレンと)が大きな莟〈つぼみ〉に見惚れたりしてきた。

そして私は近くの公園、野川の遊歩道を散策したりとすると、
雑木の芽吹きが始まっていた。
モミジ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)等の季節のうつろいを観せてくれる雑木に、
圧倒的に魅了させられてきた・・。
そして芽吹き、その後の幼い葉が見られる木の芽時(このめどき)の時節の情景に、
齢を重ねる毎に私の心は深まってきている。


こうした情景に心を寄せたりしてきたが、ぼんやりと小庭を眺めたりしていると、
『清浄明潔』という言葉を思い重ねたりした・・。

古人からの伝えとして、樹木は芽吹き、草花は花を咲かせ、
春の明るい陽射しの光につつまれて、清らかに生きている万物に恵みの時、
と私は解釈している・・。

これからの日々、櫻花は莟〈つぼみ〉から三分咲き、やがて満開の時節を迎える。
私の住む地域は、染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが、
平年の慣(なわら)わしである。

私は山桜(ヤマザクラ)が最も好感しているが、
櫻花の美景としては、三分咲き、散り始めの情景に圧倒的に魅了されている。

やがて八重桜(ヤエザクラ)が散る頃に、4月に別れを告げながら、
新たなる5月の『皐月(さつき)』を迎える。

このようなことを思い馳せたりし、『清浄明潔』の4月に於いて、
幾たびか櫻花を愛でることに散策を重ねるかしら、
と無力な私はぼんやりと思ったりしている。


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