夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

サライの大特集『日本の作家 百年の歩み』、読書好きな私は悦び勇(いさ)んで・・。

2012-04-13 18:31:24 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であるが、
ここ20数年、女優だった高峰秀子さんの数多くの随筆の本を読んだりしてきた。

そして一昨年の年末に高峰秀子さんの死去を知り、私も落胆したひとりであり、
もとより天上の花のひとつとなった高峰秀子さんにお逢いできるひとがないので、
せめて私は高峰秀子さんが上梓された数多くの随筆を読んだり、再読したり、
或いは出演された名画を自宅の居間でVT、DVDで鑑賞したりして、愛惜を重ねたりしている。

昨今、《 高峰秀子没後一年 おしどり夫婦の名シリーズ 》として中公文庫より、
三部作が復刊された。

私は見逃していた作品なので、
第一弾の高峰秀子・松山善三 共著『旅は道づれ アロハ・ハワイ』を読み、
そして第三弾の高峰秀子・松山善三 共著『旅は道づれ ツタンカーメン』を読んだりしたが、
第二弾の高峰秀子・松山善三 共著『旅は道づれ ガンダーラ』に遅ればせながら気づき、
本屋で、母を訪ねて三千里のように探し求めても、無念ながら品切れであった。

もとよりネットでアマゾンなどに注文し、入手するのは簡単であるが、
これでは益々街から本屋が消えてしまうと思い、
齢ばかり重ねた私でも、本屋は街の文化のひとつである、と確信しているので、
待ち焦(こが)がれ、どうして欲しい本がないの、と思ったりしていた。

そして私は、出版社か出版卸社の基で、今日あたり書店に置かれるかしら、
と思いながら、京王線の仙川駅前の本屋に徒歩15分ばかり歩いて出かけた。

そして駅ビル内にある本屋のチェーン店の『啓文堂書店』の仙川店には無く、
私は落胆をしたりした後、
もう一軒の商店街にある本屋のチェーン店の『書原』の仙川店を思い浮かべた。

この『書原』は、つつじが丘店もあり、私は愛用している一軒であるが、
文藝関係の本が独創的に配列され、私が店員さんに問い合わせをした時、
今時めずらしい有識のある方で、私は感銘さえ感じたりした店であった。

過日、幾たびか私は、『書原』の仙川店も利用し、
独創的に配列、そして昨今めずらしい有識のある店員さんもいるので、
利用してきた一軒である。

そして私は『書原』の仙川店に入店し、文庫本の数多くの配列の中、
中公文庫の列で高峰秀子・松山善三 共著『旅は道づれ ガンダーラ』を探したが、
やはり品切れのようだった。
店員さんに訊ねると、ございますよ、と私は言われた。

本屋の中央部の一角に、何かしら高峰秀子さんに関する本が並び、
その片隅に文庫本が積み上げられ、この『旅は道づれ』の三部作品があった。
私はこの中の一冊『旅は道づれ ガンダーラ』を店員さんより、手渡しされた。

この後、この文庫本の横に作家・斎藤明美さんの著作『高峰秀子の捨てられない荷物』が置かれていたので、
買い求めることにした。

確か8年前頃に、作家・斎藤明美さんの著作『高峰秀子の捨てられない荷物』(文春文庫)を読み、
感銘したりし、その後は松山善三、高峰秀子ご夫妻の養女になられたと知り、
最近の私は、高峰秀子さんに関する本を再読したり、未読の本を買い求めたりしてきた。
そして改めて、斎藤明美・著作の『高峰秀子の捨てられない荷物』の本を再読したいと思い、
自宅の本棚を探したりしたのである・・。

私の本の整理の悪さか、一時間ぐらい探しても見つからなく、
もしかして、あの大幅に本の整理をした時に、捨ててしまったのかしら、と思いめぐらしたりし、
無念ながら探して見つけることが出来なく、
やむなく過日、新潮文庫より発売された文庫本を買い求めようか、と思っていた本であった。

そして私はこの上の単行本の本棚を見ると、
作家・斎藤明美さんの著作『最後の日本人』(清流出版社)があり、
読んで見たい本のひとつであったので、買い求めることにした。


そして私は単行本一冊、文庫本2冊に大いに心を充たされながら、
レジで精算している時であった。
何気なしに店の入り口に近い雑誌コーナーで、
《 日本の作家 百年の歩み 》と大きく明記された雑誌に見惚れて、
思わず近くに寄り、手に取った。

大人の生活誌して名高い月刊誌の『サライ』の5月号で、
大特集として《 日本の作家 百年の歩み 》であり、
私は瞬時に魅了されて、読んで見たい、と悦び勇(いさ)んで帰宅後買い求めることにした。

そして何故かしら、昨今の女性専門月刊誌のように、
この『サライ』の縦横に紐が結ばれて、盛り上がるようになり、
何かしら小さな玉手箱のような縦長の箱があった。

もとより私は大特集の《 日本の作家 百年の歩み 》をどうてもよい、
と思いながら、『サライ』の5月号を追加購入とした。


私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。

そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりし、
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。

この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、三回ばかり敗退し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970(昭和45)年の春であった。

その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、
浅田次郎の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、阿川弘之、各氏の作品に深く魅了され、
この著作された人たちを主軸に精読している。


このように年金生活の今でも、大半は読書をしたりしているが、
帰宅後、早速この『サライ』の大特集の《 日本の作家 百年の歩み 》を読んだりし、
遥か45年前頃に、愛読した数多くの作家の記事、掲載されて写真などを見つめたりした。

余談であるが、『サライ』に関しては、私の50年代は定期購読してきた雑誌のひとつであり、
定年後は特集に魅了された時は、購読しているので、
今回の特集は、知らなくて、思いがけないプレゼントを頂いた、と私は微笑んでいる。

そして小さな玉手箱のような縦長の箱は、《「SERAI」オリジナル萬年筆》であり、
私は25歳の頃までは万年筆を愛用したので、42年ぶりかしら、と思いながら、
どのような時に使うか、少しばかり戸惑ったりしている。


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