昨夜、私はある本を居間のソファーに座りながら読んでいた・・。
《・・
有名無名を問わず、世間様から見れば、世紀のカップル、
これぞ夫婦の鑑と拍手をうける男女でも、裏にまわれば、われらと大差がない。
同じく、陣地の取り合いである。
最後は、老いには勝てず、勲一等、関白亭主の勇者でも、
主権、生活権を女房殿に握られて、あわれな最期を遂げる。
僕など、まだ、還暦前だというのに、
早くも「耳が遠くなったわね。ボケて来たのね」と、
じりじり、主権を冒されはじめている。
おおむね、威張る亭主の最期は、屈辱の日記で終る。
昔は、主権は己の手に、しっかりと握ったまま、大往生で果てた男子が多いが、
この頃、長寿の罪で、大往生などという死にざまは、とんと見られなくなった。
みんな、周囲へ手をあわせて、恨みがましく死んでゆく。
・・》
この一章を読んだ時、私はソファーから、転げ落ちそうになった。
この本は高峰秀子、松山善三の両氏に寄る共作の『旅は道づれツタンカーメン』(中公文庫)であり、
おしどり夫婦として名高いご夫婦が、50代の時にエジプトに旅行をされた時の紀行文であるが、
この中に時折、それぞれの人生の思い、ご夫婦の日常の思いを綴られている。
私が驚き、ソファーから、転げ落ちそうになった引用した部分は、
松山善三さんが25年ぐらい高峰秀子さんと結婚生活を過ぎた頃のさりげない発露であるが、
作家や画家の長老をはじめ、多くの方から、お似合いのカップル、と賞賛されてきたご夫婦でも、
このように感じられている、と私は動顚したのであった。
もとより松山善三さんは、当時としては映画の脚本、監督を数多くされ、随筆も多く、
今回の思いはユーモアを含めながらリップサービスのように綴られたとしても、
本心かしら、と私は苦笑させられた・・。
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私たち夫婦は、遠い昔の1976〈昭和51〉年3月下旬に結婚し、
人生の大波、小波に揺られながらも、36年が過ぎて、過日に37年目の春を迎えた。
結婚して賃貸マンションで新婚生活を2年ばかり過ごした時は、
新妻らしく従順で可愛らしい容貌、しぐさをしていた家内は、
人生の節目の我が家の一軒家を構えた時、私が40代の時にギックリ腰で28泊29日で入院した時、
勤めていた会社がリストラ烈風で私も出向となった時・・何かと私は叱咤激励を受けたりし、
家内は変貌してきた。
そして私なりに奮闘して、何とか定年退職を迎えることができた。
しかしながら私がサラリーマン現役時代は、何かと私の意見も尊重してくれた。
2004(平成16)年の秋に定年退職後、念願の年金生活を始めた。
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官の専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除、憩(いこ)いの時などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなったのである。
そして私は、定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
それでも少し引け目を感じて、家内の茶坊主に専念したりした。
私は定年後は、日の出と共に起床するのをモットーとして、
殆ど起きだして、煎茶を飲みながら新聞の朝刊を読んだり、NHKのニュースを視聴したりしている。
そして家内が目覚める頃になれば、
コーヒーを指定されたマグカップを2階の寝室まで運び、
布団の枕元に置いたりし、
『今日は良いお天気になりそう・・』
と私は朝の挨拶代わりに家内に言ったりしている。
そして日中のひととき、コーヒーを5回ぐらい入れたりしている。
我が家の生活費の実態は、程ほどのお金を幾つかの銀行に分散したり、郵便局などに貯金をして、
2ヵ月毎に厚生年金を頂き、生活費の基盤としている。
そして、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行、冠婚葬祭、そして思いがけない出費の時は、
貯金から取り崩して過ごしている。
そして月が変わるたびに、月次決算のように家計簿に準じた幾つかの表で、
お互いに確認しあって、今月も赤字かょ、と私は微苦笑しながら、家内に言ったりしている。
こうした中で、ときおり私たち夫婦が外出したりする時、
ご近所の奥様のふたりから、仲良し恋しで羨ましいわ、と言われたりしている。
こうした後、私は微苦笑することが多いのである・・。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
年金生活を始めてまもない頃、私は買物を終えて帰宅後、
台所にいた家内に手渡したのである。
まもなく、家内は冷蔵庫に収納したりした後、
『あらぁ・・お願いした品がないわ・・』
と家内は呟(つぶや)くように、私に言った。
『本当ぉ・・』
と私は言いながら、スーパーのチラシで、
家内が赤丸の印を付けたりのを、見ながら再確認した。
『本当だぁ・・買わなかったょ・・次から気をつけるょ』
と私は明るく大きな声で家内に言った。
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に言ったりしている。
我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました』
と私は家内に報告したりする。
『ご苦労であった』
と家内は言うのである。
私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
確か一カ月前の頃、いつものように洗濯の合間でテレビを視聴している家内に、
私はコーヒーを淹れて、居間のテーブルに置いたりした。
『最近・・コーヒーとブライト(粉末ミルク)・・バランスが欠けているわ・・
一定の量じゃないでしょう・・ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は苦笑しながら、私に言った。
『ダメオ(駄目夫)クン・・かょ』
と私は心の中で呟(つぶや)きながら、新語だょね、と苦笑したりした。
私たちの共通の趣味のひとつとして国内旅行であるが、
私が魅せられたコースを三つぐらい選定して、家内に相談すると、
『あたしが、この中から決めます!』
と家内は高らかに私に言うことが多くなっている。
私はサラリーマンの長年の勤務を終え、
一家の主(あるじ)としての収入の重責を終えた年金生活になると、
緊張感が失くした為か、体力の衰えを感じたりしている。
家内は更年期も無事に過ぎて、益々元気溌剌であるので、
『女は元気で良いよねぇ』
と私は家内を見たりしながら、心の中で呟(つぶや)く時もある。
このように新婚時代は従順で可愛らしい容貌、しぐさをしていた家内は、
幾数10年過ぎれば大いに変貌してきたので、今回の松山善三さんの思いを読みながら、
つたない私でも、大いに感じることが多いです、と思ったりしている。
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《・・
有名無名を問わず、世間様から見れば、世紀のカップル、
これぞ夫婦の鑑と拍手をうける男女でも、裏にまわれば、われらと大差がない。
同じく、陣地の取り合いである。
最後は、老いには勝てず、勲一等、関白亭主の勇者でも、
主権、生活権を女房殿に握られて、あわれな最期を遂げる。
僕など、まだ、還暦前だというのに、
早くも「耳が遠くなったわね。ボケて来たのね」と、
じりじり、主権を冒されはじめている。
おおむね、威張る亭主の最期は、屈辱の日記で終る。
昔は、主権は己の手に、しっかりと握ったまま、大往生で果てた男子が多いが、
この頃、長寿の罪で、大往生などという死にざまは、とんと見られなくなった。
みんな、周囲へ手をあわせて、恨みがましく死んでゆく。
・・》
この一章を読んだ時、私はソファーから、転げ落ちそうになった。
この本は高峰秀子、松山善三の両氏に寄る共作の『旅は道づれツタンカーメン』(中公文庫)であり、
おしどり夫婦として名高いご夫婦が、50代の時にエジプトに旅行をされた時の紀行文であるが、
この中に時折、それぞれの人生の思い、ご夫婦の日常の思いを綴られている。
私が驚き、ソファーから、転げ落ちそうになった引用した部分は、
松山善三さんが25年ぐらい高峰秀子さんと結婚生活を過ぎた頃のさりげない発露であるが、
作家や画家の長老をはじめ、多くの方から、お似合いのカップル、と賞賛されてきたご夫婦でも、
このように感じられている、と私は動顚したのであった。
もとより松山善三さんは、当時としては映画の脚本、監督を数多くされ、随筆も多く、
今回の思いはユーモアを含めながらリップサービスのように綴られたとしても、
本心かしら、と私は苦笑させられた・・。
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私たち夫婦は、遠い昔の1976〈昭和51〉年3月下旬に結婚し、
人生の大波、小波に揺られながらも、36年が過ぎて、過日に37年目の春を迎えた。
結婚して賃貸マンションで新婚生活を2年ばかり過ごした時は、
新妻らしく従順で可愛らしい容貌、しぐさをしていた家内は、
人生の節目の我が家の一軒家を構えた時、私が40代の時にギックリ腰で28泊29日で入院した時、
勤めていた会社がリストラ烈風で私も出向となった時・・何かと私は叱咤激励を受けたりし、
家内は変貌してきた。
そして私なりに奮闘して、何とか定年退職を迎えることができた。
しかしながら私がサラリーマン現役時代は、何かと私の意見も尊重してくれた。
2004(平成16)年の秋に定年退職後、念願の年金生活を始めた。
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官の専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除、憩(いこ)いの時などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなったのである。
そして私は、定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
それでも少し引け目を感じて、家内の茶坊主に専念したりした。
私は定年後は、日の出と共に起床するのをモットーとして、
殆ど起きだして、煎茶を飲みながら新聞の朝刊を読んだり、NHKのニュースを視聴したりしている。
そして家内が目覚める頃になれば、
コーヒーを指定されたマグカップを2階の寝室まで運び、
布団の枕元に置いたりし、
『今日は良いお天気になりそう・・』
と私は朝の挨拶代わりに家内に言ったりしている。
そして日中のひととき、コーヒーを5回ぐらい入れたりしている。
我が家の生活費の実態は、程ほどのお金を幾つかの銀行に分散したり、郵便局などに貯金をして、
2ヵ月毎に厚生年金を頂き、生活費の基盤としている。
そして、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行、冠婚葬祭、そして思いがけない出費の時は、
貯金から取り崩して過ごしている。
そして月が変わるたびに、月次決算のように家計簿に準じた幾つかの表で、
お互いに確認しあって、今月も赤字かょ、と私は微苦笑しながら、家内に言ったりしている。
こうした中で、ときおり私たち夫婦が外出したりする時、
ご近所の奥様のふたりから、仲良し恋しで羨ましいわ、と言われたりしている。
こうした後、私は微苦笑することが多いのである・・。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
年金生活を始めてまもない頃、私は買物を終えて帰宅後、
台所にいた家内に手渡したのである。
まもなく、家内は冷蔵庫に収納したりした後、
『あらぁ・・お願いした品がないわ・・』
と家内は呟(つぶや)くように、私に言った。
『本当ぉ・・』
と私は言いながら、スーパーのチラシで、
家内が赤丸の印を付けたりのを、見ながら再確認した。
『本当だぁ・・買わなかったょ・・次から気をつけるょ』
と私は明るく大きな声で家内に言った。
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に言ったりしている。
我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました』
と私は家内に報告したりする。
『ご苦労であった』
と家内は言うのである。
私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
確か一カ月前の頃、いつものように洗濯の合間でテレビを視聴している家内に、
私はコーヒーを淹れて、居間のテーブルに置いたりした。
『最近・・コーヒーとブライト(粉末ミルク)・・バランスが欠けているわ・・
一定の量じゃないでしょう・・ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は苦笑しながら、私に言った。
『ダメオ(駄目夫)クン・・かょ』
と私は心の中で呟(つぶや)きながら、新語だょね、と苦笑したりした。
私たちの共通の趣味のひとつとして国内旅行であるが、
私が魅せられたコースを三つぐらい選定して、家内に相談すると、
『あたしが、この中から決めます!』
と家内は高らかに私に言うことが多くなっている。
私はサラリーマンの長年の勤務を終え、
一家の主(あるじ)としての収入の重責を終えた年金生活になると、
緊張感が失くした為か、体力の衰えを感じたりしている。
家内は更年期も無事に過ぎて、益々元気溌剌であるので、
『女は元気で良いよねぇ』
と私は家内を見たりしながら、心の中で呟(つぶや)く時もある。
このように新婚時代は従順で可愛らしい容貌、しぐさをしていた家内は、
幾数10年過ぎれば大いに変貌してきたので、今回の松山善三さんの思いを読みながら、
つたない私でも、大いに感じることが多いです、と思ったりしている。
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