夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

昨今、1代限りの「樹木葬」に人気が集中すると知り、私は深く共感を深めて・・。

2015-09-14 07:08:38 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、生家も近く、
結婚前後の5年を除き、私自身としては、この地域に65年ばかり住んでいる。

私の生家は長兄が実家として継いで、確か18代目となって、祖先代々からの位牌などのある仏壇を守り、
お墓は実家から徒歩で20分ばかり小田急線の『狛江』駅から
数分歩いた所の寺院の広い墓地の一角にある。

私たち夫婦も、母の命日、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸に、
長兄宅に寄って仏壇にお線香を捧げた後、長兄夫婦、来宅している叔母、親戚の方たちと談笑したりした後、
お墓参りに行ったりしている。

私は農家の三男坊として生を受け、分家のような形で実家の近くに住んでいるが、
生家のお墓の近くに墓地を買い求めることは、私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、私たち夫婦が亡くなった後のことを配慮し、躊躇(ためら)ってきた・・。

何よりも長兄の子ども、私にとっては甥っ子となるが、後々も迷惑、負担をかけたくない、
と漠然と思ったりしていた・・。
                                                  

私が40歳を過ぎた頃の1985年(昭和60年)の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は1泊2日で訪ねた。

私がこの当時何かと愛用していた国鉄(現在・JR東日本)『L特急』で、上野駅から上田駅まで利用した後、
上田電鉄の別所線に乗り換え、かぼそい2両連結の電車で終点の別所温泉駅に行ったりした。

もとより別所温泉地域は、鎌倉時代には周辺の塩田平地域を本拠とした塩田北条氏が、
建立による国宝八角三重塔を有する安楽寺や北向観音が創建され、
やがて近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が点在する塩田平・別所界隈の様子を鎌倉になぞらえ、
「信州の鎌倉」と称せられるようになった地である。

私たち夫婦は、秘かに木造建築の美の結晶のひとつであると私が深く感じた旅館『花屋』に宿泊し、
周辺の名所を散策したりした。

あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。

その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。
人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。

こうした無縁の墓地に、木漏れ陽が地上を彩(いろど)っていた。

私は、人が土に還える、とはこのような事だろう、と思案したりした。

こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
                  

その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と納得しながら、家内に言った。

『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』

お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。
          

このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
確か7年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。

或いは我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。

そして永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
いつの年か片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしてきた。
          

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身の為か、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花を中核に洋花も配し音楽に包まれて、
出来うる限り質素にして貰いたい、とここ10数年言ったりしている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。
その後、四十九日の納骨が終われば、
何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された人は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。
          

こうした心情を秘めた私たち夫婦は、樹木葬の墓地を漠然と思案してきたが、
私はまもなく71歳、家内は65歳となっている今、お互いにボケないうちに、
今年こそ墓地を確定しておこう、と決意したりした。

そして現在も、墓地を探し求めて検討しているのが、家内の母の病状が悪化し、
少し延期になっているが、私たち夫婦の昨今の実情となっている。
          

昨夜のひととき、週に2回ぐらい愛読しているビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の基幹サイトで、
【なぜ、1代限りの「自然葬」に人気が集中するのか】と見出しされた記事を偶然に見て、
改めて謙虚に学ぼうと思い、クリックして読んだりした。

この記事の原文は、『PRESIDENT 』の2014年10月13日号に掲載された記事のひとつで、
『PRESIDENT 』の基幹サイトに2015年9月13日に配信され、
葬儀相談員の市川 愛さんの助言を受けて、久保田正志さんが寄稿文され、無断てあるが転載させて頂く。

《・・亡くなる人は増えるが、後継ぎは減る。
社会の急速な変化にあわせて、介護、葬式、墓の常識は今、ここまで激変した! 

【QUESTION】
1代限りの「自然葬」になぜ人気が集中するか? 

墓石の代わりに樹木を墓碑として遺骨を埋葬するのが「樹木葬」。
岩手県一関市の祥雲寺が1999年(平成11年)に始めた樹木葬墓地が、日本で最初とされている。
その樹木葬が、このところブームといえるほどの人気を博している。

同じ自然葬の一種に、粉末化した遺骨を海上や山林に撒く「散骨」がある。
散骨は1990年代からぽつぽつと行われるようになったが、こちらは一般化しているとは言い難い。
樹木葬との違いは、「手を合わせて拝む対象がない」(葬儀相談員 市川さん)ということだ。

また、墓地以外の区域に遺骨を埋めてはいけないとする「墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)」に照らせば、
散骨という行為はグレーゾーンにある。

一方、樹木葬の場合は、自然の山林に散骨するのではなく、
法律上の許可を得た墓地に遺骨を埋葬する形である。
          

樹木葬のやり方はいくつかのパターンに分かれる。
大別すると、
(1)遺骨を埋葬するたびに1本の苗木を植えるスタイル、
(2)墓地の中央に樹木を植え、その周辺に多くの遺骨を埋葬するスタイル、
の2つである。

(2)に関しては、樹下のプレートに名前を刻む「個が残る」形の埋葬のほか、
散骨と同様に遺骨を粉末化したうえで、一人ひとりの名前は出さずに
木の下の地面に埋める「個が残らない」形の埋葬がある。

場所もさまざまだ。
地方のお寺などが、自寺で所有する山林を墓地として登録し、そこを樹木葬の場とするのが里山型。
都市近郊の墓地で、敷地の一部または全部を樹木葬の区画にあてるのが都市型である。

最近開発された墓地には、必ずと言っていいほど、樹木葬のための区域が設定されている。
公営墓地も例外ではない。
          

2012年(平成24年)、東京都立小平霊園の樹林墓地が埋葬希望者を募ったところ、
第1回募集の倍率が平均で16倍を上回った。
人気が高いと言われる都立霊園だが、一般墓地の倍率は7~5倍ほど。
それと比べても樹木葬の人気は破格である。

また、小平霊園の一般の墓地は、1区画145万~484万円とかなり高額なのに対し、
樹木葬では、遺骨を粉末化した場合で4万3000円、粉末化していない場合で13万1000円。
この低価格も魅力である。

市川さんによると「散骨や樹木葬に関心が強いのは、主に後継ぎがいないシニア層。
お墓を建てても自分の死後に管理してくれる人がいないので、
1代限りでなくなってしまう埋葬のやり方に関心が向くのでは」という。

それだけではない。
「夫や姑と同じ墓に入るのはイヤ」と言い切る女性は少なくない。
「家」単位で葬られる伝統的な墓ではなく、樹木葬や散骨によって、
安らぎを得たいという人は今後ますます増えるのではないか。

【ANSWER】
熱望する奥様族の本音は「一緒のお墓に入りたくない!」・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くし、和暦を付加した。
          

今回の記事を読ませて頂きながら、
やはり《・・散骨や樹木葬に関心が強いのは、主に後継ぎがいないシニア層。
お墓を建てても自分の死後に管理してくれる人がいないので、
1代限りでなくなってしまう埋葬のやり方に関心が向くのでは・・》
瞬時に、そうですよねぇ、と私は深く同意されられたりした。

しかしながら、《・・熱望する奥様族の本音は「一緒のお墓に入りたくない!」・・》
ご夫婦で幾歳月に及び寝食を共にされた奥様と思われるが、とうしてなょ、と私は苦笑したりした。

そして夫婦だけが語り合える、信頼できる会話が少なかったかしら、と余計なことを思い、
微苦笑させられたりした。


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