私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイであるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は一昨日の24日より3泊4日の予定で、独り住まいの家内の母宅に行っている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や11年目となっている・・。
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ10年の恒例となっている。
そして家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となっている。
こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
ここ3か月ぐらいは少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わり、
やがて通院を幾たびかして折、家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなっている。
そして家内の母は気力も衰えた為か、家内は介護、料理、掃除、洗濯などを孤軍奮戦し、
最終日には家内の母が食事に困苦しないように、果物、保存ができる料理などをして、
我が家に帰館する状況となっている。
このような結果として、4泊5日、11泊12日、或いは3泊4日とか、
幾たびか飛び石ように行ったりしている。
この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。
お茶の世界では、茶庭には飛び石があり、お客様に庭をゆっくりと鑑賞して頂くために、
遠回りさせたり、飛び石の配置も狭くしたり、或いは適度にしたりして優雅な世界であるが、
何かと愚図の私としては、『おひとりさま』の生活は、落ち着かなく過ごしている・・。
私は家内より先に、あの世に行くことは漠然としながらも深めているが、
この世の中は予期せぬ出来事に遭遇することがあり、私を残して家内が先き立たつことも考えられるので、
『おひとりさま』の特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしている。
平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行っている。
朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりした。
そして、台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりする。
やがて前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
或いはミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。
この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰か
シャケの瓶づめとしてきた。
私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。
この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
やがて朝食後、台所で皿洗いなどをして、水遊びをした。

昼食はフランスパンを三分の一、ときにはアンパンを頂いたりしている。
そして夕食は、私の場合は、朝食と同様な前菜を盛大に食べた後、
2日に1回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、冷茶を飲みながら食べたりしてきた。
しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、缶ビール500mlを2本だけ呑んだり、
ときにはウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、テレビのニュース、
或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って呟(つぶや)いたりした。
そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、孤軍奮闘したりした。

夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
或いは私たち夫婦が外出する時は、玄関などの鍵は二か所にしている。
平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。
私たち夫婦は何かと二人で一人前と思ったりする時がある。
このような思いから、私は家内の留守の間に、空き巣、放火に遭遇したりすると、
もとより私たち夫婦の残された人生に困苦するし、
まして私の不手際で火災を発生させたら、我が家の老後の人生設計は根底から悲惨になる。

このような『おひとりさま』の生活を過ごしていると、
陸上競技の障害走の一種で、110メートルを走る間に10台ぐらいのハードルを跳び越えながら、
走る競技に思い重ねてしまうこともある。
私が1951年(昭和26年)小学校一年の秋、 初めて運動会で50メートル競争に出場した・・。
この当時は、6人で同時に走ったが、そのうちに頑張れば、
と私は思っているうちにゴールに着いた。
結果は、後ろから2人目の5位だった・・。
この頃は、走り終えると、1位の旗から6位まで並列されていたので、
もとより私は『5』の旗の後に並ばされた。
そして私は何故かしら、小学校を卒業するまで、
6人で走るといつも5位が続き、勉強の成績と同様に劣等生であった。
やがて中学の体育の授業で、50メートルぐらい間に幾つかハードルを置き、
私は走りながら跳び越えていたら、最後のハードルに足が残ってしまい、
よろけてしまったことがあったりした。

こうした苦手な障害走であるので、『おひとりさま』の生活は緊張感と気楽な複雑の思いで、
過ごしているが実態となっている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は一昨日の24日より3泊4日の予定で、独り住まいの家内の母宅に行っている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や11年目となっている・・。
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ10年の恒例となっている。
そして家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。

家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となっている。
こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
ここ3か月ぐらいは少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わり、
やがて通院を幾たびかして折、家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなっている。
そして家内の母は気力も衰えた為か、家内は介護、料理、掃除、洗濯などを孤軍奮戦し、
最終日には家内の母が食事に困苦しないように、果物、保存ができる料理などをして、
我が家に帰館する状況となっている。
このような結果として、4泊5日、11泊12日、或いは3泊4日とか、
幾たびか飛び石ように行ったりしている。
この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。
お茶の世界では、茶庭には飛び石があり、お客様に庭をゆっくりと鑑賞して頂くために、
遠回りさせたり、飛び石の配置も狭くしたり、或いは適度にしたりして優雅な世界であるが、
何かと愚図の私としては、『おひとりさま』の生活は、落ち着かなく過ごしている・・。
私は家内より先に、あの世に行くことは漠然としながらも深めているが、
この世の中は予期せぬ出来事に遭遇することがあり、私を残して家内が先き立たつことも考えられるので、
『おひとりさま』の特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしている。

平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行っている。
朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりした。
そして、台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりする。
やがて前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
或いはミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。
この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰か
シャケの瓶づめとしてきた。
私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。
この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
やがて朝食後、台所で皿洗いなどをして、水遊びをした。

昼食はフランスパンを三分の一、ときにはアンパンを頂いたりしている。
そして夕食は、私の場合は、朝食と同様な前菜を盛大に食べた後、
2日に1回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、冷茶を飲みながら食べたりしてきた。
しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、缶ビール500mlを2本だけ呑んだり、
ときにはウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、テレビのニュース、
或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って呟(つぶや)いたりした。
そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、孤軍奮闘したりした。

夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
或いは私たち夫婦が外出する時は、玄関などの鍵は二か所にしている。
平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。
私たち夫婦は何かと二人で一人前と思ったりする時がある。
このような思いから、私は家内の留守の間に、空き巣、放火に遭遇したりすると、
もとより私たち夫婦の残された人生に困苦するし、
まして私の不手際で火災を発生させたら、我が家の老後の人生設計は根底から悲惨になる。

このような『おひとりさま』の生活を過ごしていると、
陸上競技の障害走の一種で、110メートルを走る間に10台ぐらいのハードルを跳び越えながら、
走る競技に思い重ねてしまうこともある。
私が1951年(昭和26年)小学校一年の秋、 初めて運動会で50メートル競争に出場した・・。
この当時は、6人で同時に走ったが、そのうちに頑張れば、
と私は思っているうちにゴールに着いた。
結果は、後ろから2人目の5位だった・・。
この頃は、走り終えると、1位の旗から6位まで並列されていたので、
もとより私は『5』の旗の後に並ばされた。
そして私は何故かしら、小学校を卒業するまで、
6人で走るといつも5位が続き、勉強の成績と同様に劣等生であった。
やがて中学の体育の授業で、50メートルぐらい間に幾つかハードルを置き、
私は走りながら跳び越えていたら、最後のハードルに足が残ってしまい、
よろけてしまったことがあったりした。

こうした苦手な障害走であるので、『おひとりさま』の生活は緊張感と気楽な複雑の思いで、
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