私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
午前中のひととき、いつもように家内から依頼された品を求めに、独りでスーパーで買物した後、
本日も帰宅後、独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。
午後のひととき、ネットでニュースを見ようとしたら、
【 林真理子「ネットでは主語が削られ、文脈が変えられ…」】
と題された記事に、どのようなことなかしら、思いながら記事を精読した。
まもなく記事を読み終えた後、やがて私は微苦笑させられたりした・・。
この記事は、『週刊朝日』2016年2月12日号に於いて、《・・作家の林真理子さんは、
谷崎潤一郎賞をはじめ数々の賞を受賞し、社会問題についても積極的に発言をしている作家の高橋源一郎さんとの対談で、
活字の人間とネットの違いをこう語った。・・》記事であり、
【dot.】2月8日に配信され、この中の一部を無断ながら転載させて頂く。
☆掲載した写真すべて、本日の散策の時に撮った☆
《・・(略)・・
林真理子さん
アメリカでも、共和党のドナルド・トランプの支持率がどんどん上がってますよね。
まさか大統領にはならないと思いますが……。
高橋源一郎さん
アメリカの新聞では最初はキワモノ候補扱いだったけど、ここ最近はさすがに普通に批判するようになってきましたね。
「イスラム教徒の入国禁止」とか、常識で考えたらあり得ない主張をする人が、多数派の一歩手前まで来ちゃった。
ヘイトスピーチだって……。
林真理子さん
私、ああいうことを平気で言う人たちって、信じられませんよ。
高橋源一郎さん
ねえ。昔、親が、「人を口汚くののしってはいけません」
「“死ね”とか“バカ”とか言っちゃいけません」って教えてたよね。
右とか左の問題じゃなくて。
林真理子さん
いまはネットに匿名で書かれた悪口があふれてますから。
私たち活字の人間は、人を批判するときには、非常に注意深く言葉を選びますが、
それがネットでは主語が削られ、文脈が変えられ、「なるほど、こうなるのか」と思いますよ。
高橋源一郎さん
タガが緩んできたというか。僕や林さんみたいに言葉で生活してる者から見ると、怖いよね。
(略)・・》
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。
そしてネットの世界は、殆ど無知な癖に、ホームページの開設を思案したりしていた。
自身のこれからの日々の思い、或いは過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文で綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。
この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、
雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年が過ぎて、早や12年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした私の投稿文の中に於いては、政治にも疎(うと)い私でも、余りにも心の節度が欠けた時の政治家には、
いたたまれず投稿文に認(したた)めたことがあったりした。
国際主要国は、歴史観、それぞれ国益に基づいて言動をされるが、
民主党政権下で鳩山首相が、いずれも欠如して、園児のようなふるまいだ、と非難文を投稿したりした。
或いは管首相の時代となったが、党内の権力闘争で、唐突な言動が多く、もとより肝要な閣僚の方たちに戸惑いをさせたりし、
私は無力ながら非難文を3通ぐらい書き、発信したりしてきた。
しかしながら、うすぎたない文章は私の人格を問われるので避け、たとえ痛烈な内容であっても、
義務教育で習った日本文を認(したた)めてきた。
こうした中で、私が体験してきたことは、コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきた。
たとえば2005年(平成17年)の当時に、
あるブログに準じた簡易サイトに加入していた時、コメント欄に書き込みをして頂いた方があった。
《 タイトルは、《あいうえお》
内容は、ゲボリッチ
ゲボリッチャン
発信人は、f4rr
発信時間は、20.39 》
と綴られて、ご丁寧に8回連続されていた。
この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。
私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、たとえ大学、大学院などを卒業されても、
心の貧しい人と思っている。
或いは私の投稿文について、確か8年前の頃だったと思われるが、
文節が良くない、文法を無視することもある・・などと執拗に幾度かコメントされたことがあった。
私はつたないながら独創的な文体を目指(めざ)して、今でも悪戦苦闘しているが、
高等学校の国語の文法の先生のようなことをコメントするなよ、と私は無視したりした。
そして5年前に於いて、同一のお方からコメントを頂いたが、
私を精神XX病・・と書かれた上、ご丁寧にもある大学病院の10ぐらいの科を記載されていた。
そして私は、これには困ったなぁ、と苦笑しながら、コメントを削除した。
このようにネットの世界は、なんでもありの不思議な世界であるので、
林真理子さん、無念ながら主語も知らず、心の貧しい方が発信する人もいる、と笑い飛ばして下さい。
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午前中のひととき、いつもように家内から依頼された品を求めに、独りでスーパーで買物した後、
本日も帰宅後、独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。
午後のひととき、ネットでニュースを見ようとしたら、
【 林真理子「ネットでは主語が削られ、文脈が変えられ…」】
と題された記事に、どのようなことなかしら、思いながら記事を精読した。
まもなく記事を読み終えた後、やがて私は微苦笑させられたりした・・。
この記事は、『週刊朝日』2016年2月12日号に於いて、《・・作家の林真理子さんは、
谷崎潤一郎賞をはじめ数々の賞を受賞し、社会問題についても積極的に発言をしている作家の高橋源一郎さんとの対談で、
活字の人間とネットの違いをこう語った。・・》記事であり、
【dot.】2月8日に配信され、この中の一部を無断ながら転載させて頂く。
☆掲載した写真すべて、本日の散策の時に撮った☆
《・・(略)・・
林真理子さん
アメリカでも、共和党のドナルド・トランプの支持率がどんどん上がってますよね。
まさか大統領にはならないと思いますが……。
高橋源一郎さん
アメリカの新聞では最初はキワモノ候補扱いだったけど、ここ最近はさすがに普通に批判するようになってきましたね。
「イスラム教徒の入国禁止」とか、常識で考えたらあり得ない主張をする人が、多数派の一歩手前まで来ちゃった。
ヘイトスピーチだって……。
林真理子さん
私、ああいうことを平気で言う人たちって、信じられませんよ。
高橋源一郎さん
ねえ。昔、親が、「人を口汚くののしってはいけません」
「“死ね”とか“バカ”とか言っちゃいけません」って教えてたよね。
右とか左の問題じゃなくて。
林真理子さん
いまはネットに匿名で書かれた悪口があふれてますから。
私たち活字の人間は、人を批判するときには、非常に注意深く言葉を選びますが、
それがネットでは主語が削られ、文脈が変えられ、「なるほど、こうなるのか」と思いますよ。
高橋源一郎さん
タガが緩んできたというか。僕や林さんみたいに言葉で生活してる者から見ると、怖いよね。
(略)・・》
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。
そしてネットの世界は、殆ど無知な癖に、ホームページの開設を思案したりしていた。
自身のこれからの日々の思い、或いは過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文で綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。
この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、
雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年が過ぎて、早や12年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした私の投稿文の中に於いては、政治にも疎(うと)い私でも、余りにも心の節度が欠けた時の政治家には、
いたたまれず投稿文に認(したた)めたことがあったりした。
国際主要国は、歴史観、それぞれ国益に基づいて言動をされるが、
民主党政権下で鳩山首相が、いずれも欠如して、園児のようなふるまいだ、と非難文を投稿したりした。
或いは管首相の時代となったが、党内の権力闘争で、唐突な言動が多く、もとより肝要な閣僚の方たちに戸惑いをさせたりし、
私は無力ながら非難文を3通ぐらい書き、発信したりしてきた。
しかしながら、うすぎたない文章は私の人格を問われるので避け、たとえ痛烈な内容であっても、
義務教育で習った日本文を認(したた)めてきた。
こうした中で、私が体験してきたことは、コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきた。
たとえば2005年(平成17年)の当時に、
あるブログに準じた簡易サイトに加入していた時、コメント欄に書き込みをして頂いた方があった。
《 タイトルは、《あいうえお》
内容は、ゲボリッチ
ゲボリッチャン
発信人は、f4rr
発信時間は、20.39 》
と綴られて、ご丁寧に8回連続されていた。
この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。
私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、たとえ大学、大学院などを卒業されても、
心の貧しい人と思っている。
或いは私の投稿文について、確か8年前の頃だったと思われるが、
文節が良くない、文法を無視することもある・・などと執拗に幾度かコメントされたことがあった。
私はつたないながら独創的な文体を目指(めざ)して、今でも悪戦苦闘しているが、
高等学校の国語の文法の先生のようなことをコメントするなよ、と私は無視したりした。
そして5年前に於いて、同一のお方からコメントを頂いたが、
私を精神XX病・・と書かれた上、ご丁寧にもある大学病院の10ぐらいの科を記載されていた。
そして私は、これには困ったなぁ、と苦笑しながら、コメントを削除した。
このようにネットの世界は、なんでもありの不思議な世界であるので、
林真理子さん、無念ながら主語も知らず、心の貧しい方が発信する人もいる、と笑い飛ばして下さい。
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