私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼下がりのひととき、ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げたりした。
私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【 樹木希林起用 死を考える広告 】と明記されていた。
私は過ぎし日に偶然にテレビを視聴して、樹木希林さんの「死ぬときぐらい好きにさせてよ」の広告を知り、
衝撃を受けて、やがて現代誰しも思索していることであり、
まして樹木希林さんは、2013年に癌ができやすい体質を指す「全身がん」であることを告白された人である。
そして2025年には団塊の世代が75歳以上に、
2038年には推計約170万人もの人が亡くなる“多死社会”のピークが来るといわれる時代である。
私は昨年の2015年9月、『平穏死』を初めて学び、深く同意したひとりである。
『平穏死』に関しては、『女性セブン』の2014年10月23・30日号に掲載された記事のひとつで、
ネットに2014年10月13日に公開され、私は学んだりした。
《・・(略)・・「病院で死ぬ人が在宅死を上回ったのが1976年。
40年前までは家で死ぬ人のほうが多かった。
終末期を病院のベッドで過ごし、過剰な延命治療をすることが、果たして本当に幸せなのか考えてほしいのです」
医師の長尾和宏さんは、穏やかな最期を迎える「平穏死」という考え方を提唱する。
「人が死に向かうときには、体の機能が徐々に落ちて終末期を経てから、やがて死を迎えます。
終末期に食べ物を受け付けなくなるのは自然なこと。
しかし、点滴で無理に栄養を入れ過ぎてむくみ、もがき苦しみながら亡くなるというケースも。
医療の目的は命を延ばすこと。
終末期以降も過剰な延命治療を続ける医療機関も少なくありません。
最期をどこで、どのように迎えるか、選択権は患者本人にあります。
しかし認知症や意識不明で病院搬送された後など、意思表明が困難なことも多いのです。
延命治療をどこまで希望するか、終末期医療の選び方によって、
穏やかな最期を迎えられるということを知ってほしいと考えています」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は一昨年の7月下旬、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を読んでいる中、
竹井善昭・著【長生きすることは、本当に良いことなのか? 親の介護で未来を奪われる若者たち】
と題された見出しを見て、精読したりした。
要約すれば、昨今の若い世代の人が親の介護で、若い世代の自身の人生が大幅に狂い、
悲惨な実態を克明に描かれた後、
欧米の高齢者の終末期の治療の実態、そして竹井善昭氏ご自身の高度な病状に遭遇した時の真情、
氏の死生観を発露された内容であり、私は読み終わった後、頬に涙が流れていた・・。
こうした中で、特に欧米の高齢者の終末期の治療を教示されて、衝撃を受けた。
《・・日本は高齢者に対して、非常に優しい国である。「過剰に優しい」と言ってもよい。
そう言うと、反論したくなる人も多いことはよく分かる。
老人福祉はまだまだ足りていないと主張したい人もいるだろう。
もちろん、僕も日本の老人福祉が完璧だと言いたいわけではない。論じたいのはその「思想」だ。
日本は、ある意味で過剰に人を生きさせようとする。
そのことが、はたして高齢者にとっても若者にとってもよいことなのか、
それで人は幸福になるのか、ということだ。
あまり知られていないようだが、欧米にはいわゆる寝たきり老人はいない。
なぜなら、寝たきりになるような老人は延命処置をしない、つまり「殺してしまう」からだ。
たとえば、イギリスでは、自力で食事できなくなった老人は治療しないという。
福祉大国のイメージが強いスウェーデンやデンマークも同様だという。
また、これは聞いた話なので数字が不確かなのだが、
ニュージーランドではある年齢(75歳だったかと記憶している)を超えると、
病気になっても治療しないという。
モルヒネを打つなどの緩和処置はやるが、それ以上はやらないということだ。
実際に、スウェーデンの高齢者医療の現場を視察してきた医師のブログには、
下記のように紹介されている。
日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。
肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。
したがって両手を拘束する必要もありません。
つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。
寝たきり老人がいないのは当然でした。
(読売新聞の医療サイトyomi Dr.「今こそ考えよう高齢者の終末期医療」より)
日本の病院で同じことをやれば、確実に「人殺し」扱いされて、
マスメディアでもネットでも大炎上必至である。
しかし、欧米ではこのような考え方がスタンダードなのだ。
この差は一体何かと言うと、人の尊厳に対する考え方の違いだ。
つまり、何が何でも生かしておくことが正義なのか、
人の尊厳を守ることが正義なのか、という考え方の違いである。
人の尊厳をどう考えるかは、安楽死、つまり「死ぬ権利」を巡る議論の根幹となる問題だ。
安楽死は基本的に自らの意志で死を選ぶことだが、認知症など、自分の意志では死を選べない場合もある。
そのような場合は「殺される権利」というものも考える必要があるだろう。
人は自分の尊厳を守るために、死ぬことを選んだり、殺されることを選ぶ権利があるのかもしれない。・・》
こうした欧米の高齢者の終末期の治療の実態、欧米と日本の死生観の差異を学んだ後、
果たして・・と深く思案させられたひとりである。
このような思いを根底にあるので、過剰な延命治療を避け、穏やかな最期を迎える「平穏死」には、
私は望みます、と私は心の中で呟(つぶや)いたりしてきた。
こうした心情を秘めている私は、今回の【 樹木希林起用 死を考える広告 】と見出しされた記事をクリックすると、
【 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」 樹木希林さん起用した話題の広告、伝えたかったメッセージとは? 】と題された
【withnews】から2月27日に配信された記事であり、無断ながら大半を転載させて頂く。
《・・「死ぬときぐらい好きにさせてよ」。
そんな衝撃的なキャッチコピーの横には、仰向けになって水面に浮かんでいる樹木希林さん。
何かといえば、ジョン・エヴァレット・ミレイの名作「オフィーリア」をモチーフにした宝島社の企業広告の話です。
今年1月に新聞掲載され、話題になりました。
宝島社といえば、過去には「おじいちゃんにも、セックスを。」といった広告で世間を驚かせてきました。
例年発表される企業広告や、今年の樹木さんの広告には、どんな思いが込められているのか?
担当者に聞きました。
☆「オフィーリア」とは
シェークスピアの悲劇「ハムレット」に構想を得た「オフィーリア」。
恋人ハムレットに父を殺されて、気がふれたオフィーリアが、川に落ち沈んでいく場面を描いたとされています。
「死について考えることで、どう生きるかを考えるきっかけになれば」
というメッセージが込められた今回の広告に対し、樹木さんはこうコメントしています。
「宝島社の企業広告はこれまで目にしたことがあり、かなり記憶に残っています。
それはすごいことだと思い、お受けしようと思いました。
『生きるのも日常、死んでいくのも日常』 死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのも、ひとつの役目なのかなと思いました」
企業広告で伝えたいメッセージとは? 宝島社の担当者に話を聞きました。
――今年の広告について教えて下さい
「日本の平均寿命は年々更新され、今や世界一。
いかに長く生きるかばかり考え、いかに死ぬかという視点が、抜け落ちていると感じ、今回のテーマとしました。
いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じこと。
それなら個人の考え方や死生観がもっと尊重されていいのではないか、という視点から問いかけています」
――苦労した点や工夫した点は
「ビジュアル面では、絵画的な世界観を表現するため撮影のしかたを工夫しました。
スタジオに、オフィーリアの絵画と同じ景色を作り、8X10(エイトバイテン)という大判のフィルムカメラを使って撮影しています」
「もともと『人は死ねば宇宙の塵芥(ちりあくた)。せめて美しく輝く“星”になりたい。』だったフレーズも、
樹木さん自身と話し合いを重ね、最終的に『“塵”になりたい』に決まりました」
(ここでいうフレーズとは『死ぬときぐらい好きにさせてよ』というキャッチコピーの下にある文面)
広告への反響は
――構図は原画に忠実なように見えますが、違いは
「ミレイの絵の花には、すべて意味があるといわれています。
今回の広告でも同じものを用意していますが、一部に現代的・日本的エッセンスを加えています。
胸元の赤い花は、日本の象徴的な花・椿(つばき)です。
1月の季節の花でもあり、花言葉の『気取らない美しさ』『慎み深い』。
また、左上の青い鳥は、日本の水辺でもよく見る日本、三鳴鳥のひとつのオオルリになっています」
――今回の広告への反響を教えて下さい
「掲載当日から、1カ月以上たった今も、老若男女、多くの方々から反響が届いています。
特に50~70代からの反響が大きく、『とても共感できた。もっと掘り下げた特集が見たい』
『自分の生き方や終活について、考えるきっかけとなった』と好意的な意見が寄せられています。
SNSでは若い世代の間でインパクトあるビジュアルが話題となり、
テレビや雑誌でも今回の広告をきっかけに、現代人の死生観を問う特集が、いくつも組まれています」(略)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
樹木希林さんは、過ぎし日2月9日のNHK「クローズアップ現代」に於いて、
「がんで残された時間をどう生きるか」をテーマで、ゲスト出演されて、ご自身の癌についてられた・・。
これに関しては【報知新聞】が記事にされ、要約させて頂く。
「平成24年で(病気が)一応済んだんですけど、またここへ来て治療が必要になりました。来週にはまた治療に入ります」と報告。
再発したがんに、ピンポイントで放射線を当てるもので「非常に楽なもの」だという。
最新の治療は、すぐに治してしくれると話し「がんは自分への気づきだから、あんまりすぐに治らない方がいい」とも。
自身は乳がんなども経験し「自分を見つめられた」
「死に対して謙虚で、ジタバタしてもみっともなくても、子供に受け継がせる(子供に死を見せる)」と涙ながらに持論を展開。
自分を気楽ながん患者と話すも、最後は希望があると語り「自宅でみんなに囲まれて、夫にはどちら様ですか?って言いたい」と話した。
「命がないんだ」と客観的に見てしまうと、仕事では感じることのないほど落ち込んでしまうこともあると告白。
解消法は笑いやうれしいことで気分を上げることで、この番組の出演依頼を即答されたりした。
私は記事を要約した後、私は幸いにも癌に遭遇したことはないが、いざこうした病(やまい)に遭遇した時、
樹木希林さんのように身も心も御強く、ふるまえるか、と思案させられたことも事実である。
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トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【 樹木希林起用 死を考える広告 】と明記されていた。
私は過ぎし日に偶然にテレビを視聴して、樹木希林さんの「死ぬときぐらい好きにさせてよ」の広告を知り、
衝撃を受けて、やがて現代誰しも思索していることであり、
まして樹木希林さんは、2013年に癌ができやすい体質を指す「全身がん」であることを告白された人である。
そして2025年には団塊の世代が75歳以上に、
2038年には推計約170万人もの人が亡くなる“多死社会”のピークが来るといわれる時代である。
私は昨年の2015年9月、『平穏死』を初めて学び、深く同意したひとりである。
『平穏死』に関しては、『女性セブン』の2014年10月23・30日号に掲載された記事のひとつで、
ネットに2014年10月13日に公開され、私は学んだりした。
《・・(略)・・「病院で死ぬ人が在宅死を上回ったのが1976年。
40年前までは家で死ぬ人のほうが多かった。
終末期を病院のベッドで過ごし、過剰な延命治療をすることが、果たして本当に幸せなのか考えてほしいのです」
医師の長尾和宏さんは、穏やかな最期を迎える「平穏死」という考え方を提唱する。
「人が死に向かうときには、体の機能が徐々に落ちて終末期を経てから、やがて死を迎えます。
終末期に食べ物を受け付けなくなるのは自然なこと。
しかし、点滴で無理に栄養を入れ過ぎてむくみ、もがき苦しみながら亡くなるというケースも。
医療の目的は命を延ばすこと。
終末期以降も過剰な延命治療を続ける医療機関も少なくありません。
最期をどこで、どのように迎えるか、選択権は患者本人にあります。
しかし認知症や意識不明で病院搬送された後など、意思表明が困難なことも多いのです。
延命治療をどこまで希望するか、終末期医療の選び方によって、
穏やかな最期を迎えられるということを知ってほしいと考えています」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は一昨年の7月下旬、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を読んでいる中、
竹井善昭・著【長生きすることは、本当に良いことなのか? 親の介護で未来を奪われる若者たち】
と題された見出しを見て、精読したりした。
要約すれば、昨今の若い世代の人が親の介護で、若い世代の自身の人生が大幅に狂い、
悲惨な実態を克明に描かれた後、
欧米の高齢者の終末期の治療の実態、そして竹井善昭氏ご自身の高度な病状に遭遇した時の真情、
氏の死生観を発露された内容であり、私は読み終わった後、頬に涙が流れていた・・。
こうした中で、特に欧米の高齢者の終末期の治療を教示されて、衝撃を受けた。
《・・日本は高齢者に対して、非常に優しい国である。「過剰に優しい」と言ってもよい。
そう言うと、反論したくなる人も多いことはよく分かる。
老人福祉はまだまだ足りていないと主張したい人もいるだろう。
もちろん、僕も日本の老人福祉が完璧だと言いたいわけではない。論じたいのはその「思想」だ。
日本は、ある意味で過剰に人を生きさせようとする。
そのことが、はたして高齢者にとっても若者にとってもよいことなのか、
それで人は幸福になるのか、ということだ。
あまり知られていないようだが、欧米にはいわゆる寝たきり老人はいない。
なぜなら、寝たきりになるような老人は延命処置をしない、つまり「殺してしまう」からだ。
たとえば、イギリスでは、自力で食事できなくなった老人は治療しないという。
福祉大国のイメージが強いスウェーデンやデンマークも同様だという。
また、これは聞いた話なので数字が不確かなのだが、
ニュージーランドではある年齢(75歳だったかと記憶している)を超えると、
病気になっても治療しないという。
モルヒネを打つなどの緩和処置はやるが、それ以上はやらないということだ。
実際に、スウェーデンの高齢者医療の現場を視察してきた医師のブログには、
下記のように紹介されている。
日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。
肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。
したがって両手を拘束する必要もありません。
つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。
寝たきり老人がいないのは当然でした。
(読売新聞の医療サイトyomi Dr.「今こそ考えよう高齢者の終末期医療」より)
日本の病院で同じことをやれば、確実に「人殺し」扱いされて、
マスメディアでもネットでも大炎上必至である。
しかし、欧米ではこのような考え方がスタンダードなのだ。
この差は一体何かと言うと、人の尊厳に対する考え方の違いだ。
つまり、何が何でも生かしておくことが正義なのか、
人の尊厳を守ることが正義なのか、という考え方の違いである。
人の尊厳をどう考えるかは、安楽死、つまり「死ぬ権利」を巡る議論の根幹となる問題だ。
安楽死は基本的に自らの意志で死を選ぶことだが、認知症など、自分の意志では死を選べない場合もある。
そのような場合は「殺される権利」というものも考える必要があるだろう。
人は自分の尊厳を守るために、死ぬことを選んだり、殺されることを選ぶ権利があるのかもしれない。・・》
こうした欧米の高齢者の終末期の治療の実態、欧米と日本の死生観の差異を学んだ後、
果たして・・と深く思案させられたひとりである。
このような思いを根底にあるので、過剰な延命治療を避け、穏やかな最期を迎える「平穏死」には、
私は望みます、と私は心の中で呟(つぶや)いたりしてきた。
こうした心情を秘めている私は、今回の【 樹木希林起用 死を考える広告 】と見出しされた記事をクリックすると、
【 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」 樹木希林さん起用した話題の広告、伝えたかったメッセージとは? 】と題された
【withnews】から2月27日に配信された記事であり、無断ながら大半を転載させて頂く。
《・・「死ぬときぐらい好きにさせてよ」。
そんな衝撃的なキャッチコピーの横には、仰向けになって水面に浮かんでいる樹木希林さん。
何かといえば、ジョン・エヴァレット・ミレイの名作「オフィーリア」をモチーフにした宝島社の企業広告の話です。
今年1月に新聞掲載され、話題になりました。
宝島社といえば、過去には「おじいちゃんにも、セックスを。」といった広告で世間を驚かせてきました。
例年発表される企業広告や、今年の樹木さんの広告には、どんな思いが込められているのか?
担当者に聞きました。
☆「オフィーリア」とは
シェークスピアの悲劇「ハムレット」に構想を得た「オフィーリア」。
恋人ハムレットに父を殺されて、気がふれたオフィーリアが、川に落ち沈んでいく場面を描いたとされています。
「死について考えることで、どう生きるかを考えるきっかけになれば」
というメッセージが込められた今回の広告に対し、樹木さんはこうコメントしています。
「宝島社の企業広告はこれまで目にしたことがあり、かなり記憶に残っています。
それはすごいことだと思い、お受けしようと思いました。
『生きるのも日常、死んでいくのも日常』 死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのも、ひとつの役目なのかなと思いました」
企業広告で伝えたいメッセージとは? 宝島社の担当者に話を聞きました。
――今年の広告について教えて下さい
「日本の平均寿命は年々更新され、今や世界一。
いかに長く生きるかばかり考え、いかに死ぬかという視点が、抜け落ちていると感じ、今回のテーマとしました。
いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じこと。
それなら個人の考え方や死生観がもっと尊重されていいのではないか、という視点から問いかけています」
――苦労した点や工夫した点は
「ビジュアル面では、絵画的な世界観を表現するため撮影のしかたを工夫しました。
スタジオに、オフィーリアの絵画と同じ景色を作り、8X10(エイトバイテン)という大判のフィルムカメラを使って撮影しています」
「もともと『人は死ねば宇宙の塵芥(ちりあくた)。せめて美しく輝く“星”になりたい。』だったフレーズも、
樹木さん自身と話し合いを重ね、最終的に『“塵”になりたい』に決まりました」
(ここでいうフレーズとは『死ぬときぐらい好きにさせてよ』というキャッチコピーの下にある文面)
広告への反響は
――構図は原画に忠実なように見えますが、違いは
「ミレイの絵の花には、すべて意味があるといわれています。
今回の広告でも同じものを用意していますが、一部に現代的・日本的エッセンスを加えています。
胸元の赤い花は、日本の象徴的な花・椿(つばき)です。
1月の季節の花でもあり、花言葉の『気取らない美しさ』『慎み深い』。
また、左上の青い鳥は、日本の水辺でもよく見る日本、三鳴鳥のひとつのオオルリになっています」
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「掲載当日から、1カ月以上たった今も、老若男女、多くの方々から反響が届いています。
特に50~70代からの反響が大きく、『とても共感できた。もっと掘り下げた特集が見たい』
『自分の生き方や終活について、考えるきっかけとなった』と好意的な意見が寄せられています。
SNSでは若い世代の間でインパクトあるビジュアルが話題となり、
テレビや雑誌でも今回の広告をきっかけに、現代人の死生観を問う特集が、いくつも組まれています」(略)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
樹木希林さんは、過ぎし日2月9日のNHK「クローズアップ現代」に於いて、
「がんで残された時間をどう生きるか」をテーマで、ゲスト出演されて、ご自身の癌についてられた・・。
これに関しては【報知新聞】が記事にされ、要約させて頂く。
「平成24年で(病気が)一応済んだんですけど、またここへ来て治療が必要になりました。来週にはまた治療に入ります」と報告。
再発したがんに、ピンポイントで放射線を当てるもので「非常に楽なもの」だという。
最新の治療は、すぐに治してしくれると話し「がんは自分への気づきだから、あんまりすぐに治らない方がいい」とも。
自身は乳がんなども経験し「自分を見つめられた」
「死に対して謙虚で、ジタバタしてもみっともなくても、子供に受け継がせる(子供に死を見せる)」と涙ながらに持論を展開。
自分を気楽ながん患者と話すも、最後は希望があると語り「自宅でみんなに囲まれて、夫にはどちら様ですか?って言いたい」と話した。
「命がないんだ」と客観的に見てしまうと、仕事では感じることのないほど落ち込んでしまうこともあると告白。
解消法は笑いやうれしいことで気分を上げることで、この番組の出演依頼を即答されたりした。
私は記事を要約した後、私は幸いにも癌に遭遇したことはないが、いざこうした病(やまい)に遭遇した時、
樹木希林さんのように身も心も御強く、ふるまえるか、と思案させられたことも事実である。
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