私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
今朝、目覚めたのは8時であり、齢を重ねるとよく眠れるよなぁ、と微苦笑したりした。
昨日の朝、家内は独り住まいの家内の母宅に介護に行く日であったので、
私は深夜まで読書していて寝不足であったが、人生は気合だ、と自身を叱咤激励して起きたりした。
そして私たち夫婦は居間で朝食を頂き、
やがて家内は、我が家の近くにある路線バスの始発に乗車する為に、
我が家を出たのは6時少し前であった。
私は門扉の近い道路に降り立って、家内を見送りながら、
『お義母(かあ)さんに・・よろしく・・』
と明るく大きな声で家内に言ったりした。
やがて私は、8時半過ぎに自宅を出て、歩いて45分ばかりある都立・『神代植物園』を訪れた。
過ぎし1月28日にも訪れたが、18日に初雪が降った影響もあり、福寿草(フクジュソウ)、クリスマスローズ、
椿(ツバキ)の花の大半にも、めぐり逢えなかった。
しかしながら蠟梅(ロウバイ)は最良期であり、幾種類かの早咲き白梅、紅梅、黄梅(オウバイ)が咲き、
私は見惚(みと)れながら、心は充分に充たされた。
そして昨日は、冬晴れの3月中旬のような暖かさに恵まれて、
福寿草(フクジュソウ)、クリスマスローズも咲き、殆どすべての梅、椿(ツバキ)の花が咲き、
こんなに恵まれて良いかしら、と熱中しながら鑑賞したりした、
そして老ボーイの私でも、知恵熱がでるかしら、と無我夢中になる中で、
デジカメで、記憶かたみ、として生まれて初めて100枚ぐらい撮ったりした。
やがて帰宅後、デジカメの写真を整理した後、日に一通のブログの投稿文を送信できたのは、
午後5時過ぎであった。
まもなく家内は帰宅し、いつものように談笑しながら過ごし、
私は午後9時半過ぎに、疲れと眠気を感じて、布団にもぐったの10時半過ぎであった。
今朝、8時過ぎに洗面した後、9時間は熟睡してよく眠ったよなぁ、と微苦笑したりした。
やがて私は現役サラリーマン時代、多くの男性諸氏と同様に、
何かと睡眠不足で奮戦していた時代が思いだされたりした・・。
私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く奮闘し、何とか2004年(平成16年)秋に定年退職をできた身である。
この間、コンピュータを活用した情報畑を20数年従事したりした。
こうした部署にいると、社内の幾たびかのシステム開発をしていると、
ビークを迎えると深夜2時過ぎに退社したり、或いは徹夜をしたりして、
日曜日以外は殆ど出勤し、奮闘する時もあったりした。
そして運営に安定すれば、数年後にはシステム部分改定をしたりしてきたので、
睡眠不足で奮戦し、過重労働などは死語だょねぇ、と互いに苦笑したりしてきた。
やがて最後の5年半は、リストラ烈風の中、無念ながら出向となった。
出向先は各レコード会社が、音楽商品のCD、DVD等を委託している物流センターであったが、
少し遠方の勤務地で、私の通勤時間は少なくとも1時間半は要していた。
それまでの私は、殆ど30年近く都心の本社勤めで、
9時半が始業時であり、私は8時過ぎに自宅を出て、45分前後の通勤時間で出社していた。
物流センターは暗黙のような規約として8時から始業時であるが、
その前の事前準備などを配慮すると、7時半過ぎとなっていた。
この当時の私は、朝の4時45分に起床して、自宅近くの路線バスの始発6時過ぎに乗車し、
通勤の最寄り駅は、小田急線の『成城学園前』駅で、
この駅から下りの電車で『本厚木』駅まで利用した後、
そして路線バスに乗り継いで、各諸業界の物流倉庫が建ち並ぶ場所のある中、通ったりした。
このように12月の頃からの2月の頃まで、自宅近くのバス停は薄暗く、
冬至の頃には、小田急線の『新百合丘』駅付近の車内で、日の出を迎えたりした。
帰宅も夜の9時半過ぎが多く、帰宅後の最優先として風呂に入った後、10時過ぎに遅い夕食を頂きながら、
家内と一日の出来事などを談笑したりした。
やがて12時になると、やむなく布団にもぐったりした。
そして平日は睡眠不足であり、日曜日に昼寝で補(おぎな)ったりしていた。
睡眠不足で奮闘していた。
2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた・・。
こうした中で、午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
そして深夜まで読書に夢中になったりした時は、昼寝をしたりして、
年金生活の何より特権だねぇ、と微笑んだりしている。
私は年金生活を丸11年が過ぎ、12年生となっているが、
セカンドライフを健康で過ごすのは、適度の睡眠、運動、食事が肝要と思っている。
余談であるが、女性が心身はつらつと顔立ちが美しくなる根源は、
どのような高価な化粧品よりも、熟睡が大切ですょ、
と私は若き日に映画青年の真似事をしていた時、撮影所である高名な女優さんから教えられたことがあった。
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今朝、目覚めたのは8時であり、齢を重ねるとよく眠れるよなぁ、と微苦笑したりした。
昨日の朝、家内は独り住まいの家内の母宅に介護に行く日であったので、
私は深夜まで読書していて寝不足であったが、人生は気合だ、と自身を叱咤激励して起きたりした。
そして私たち夫婦は居間で朝食を頂き、
やがて家内は、我が家の近くにある路線バスの始発に乗車する為に、
我が家を出たのは6時少し前であった。
私は門扉の近い道路に降り立って、家内を見送りながら、
『お義母(かあ)さんに・・よろしく・・』
と明るく大きな声で家内に言ったりした。
やがて私は、8時半過ぎに自宅を出て、歩いて45分ばかりある都立・『神代植物園』を訪れた。
過ぎし1月28日にも訪れたが、18日に初雪が降った影響もあり、福寿草(フクジュソウ)、クリスマスローズ、
椿(ツバキ)の花の大半にも、めぐり逢えなかった。
しかしながら蠟梅(ロウバイ)は最良期であり、幾種類かの早咲き白梅、紅梅、黄梅(オウバイ)が咲き、
私は見惚(みと)れながら、心は充分に充たされた。
そして昨日は、冬晴れの3月中旬のような暖かさに恵まれて、
福寿草(フクジュソウ)、クリスマスローズも咲き、殆どすべての梅、椿(ツバキ)の花が咲き、
こんなに恵まれて良いかしら、と熱中しながら鑑賞したりした、
そして老ボーイの私でも、知恵熱がでるかしら、と無我夢中になる中で、
デジカメで、記憶かたみ、として生まれて初めて100枚ぐらい撮ったりした。
やがて帰宅後、デジカメの写真を整理した後、日に一通のブログの投稿文を送信できたのは、
午後5時過ぎであった。
まもなく家内は帰宅し、いつものように談笑しながら過ごし、
私は午後9時半過ぎに、疲れと眠気を感じて、布団にもぐったの10時半過ぎであった。
今朝、8時過ぎに洗面した後、9時間は熟睡してよく眠ったよなぁ、と微苦笑したりした。
やがて私は現役サラリーマン時代、多くの男性諸氏と同様に、
何かと睡眠不足で奮戦していた時代が思いだされたりした・・。
私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く奮闘し、何とか2004年(平成16年)秋に定年退職をできた身である。
この間、コンピュータを活用した情報畑を20数年従事したりした。
こうした部署にいると、社内の幾たびかのシステム開発をしていると、
ビークを迎えると深夜2時過ぎに退社したり、或いは徹夜をしたりして、
日曜日以外は殆ど出勤し、奮闘する時もあったりした。
そして運営に安定すれば、数年後にはシステム部分改定をしたりしてきたので、
睡眠不足で奮戦し、過重労働などは死語だょねぇ、と互いに苦笑したりしてきた。
やがて最後の5年半は、リストラ烈風の中、無念ながら出向となった。
出向先は各レコード会社が、音楽商品のCD、DVD等を委託している物流センターであったが、
少し遠方の勤務地で、私の通勤時間は少なくとも1時間半は要していた。
それまでの私は、殆ど30年近く都心の本社勤めで、
9時半が始業時であり、私は8時過ぎに自宅を出て、45分前後の通勤時間で出社していた。
物流センターは暗黙のような規約として8時から始業時であるが、
その前の事前準備などを配慮すると、7時半過ぎとなっていた。
この当時の私は、朝の4時45分に起床して、自宅近くの路線バスの始発6時過ぎに乗車し、
通勤の最寄り駅は、小田急線の『成城学園前』駅で、
この駅から下りの電車で『本厚木』駅まで利用した後、
そして路線バスに乗り継いで、各諸業界の物流倉庫が建ち並ぶ場所のある中、通ったりした。
このように12月の頃からの2月の頃まで、自宅近くのバス停は薄暗く、
冬至の頃には、小田急線の『新百合丘』駅付近の車内で、日の出を迎えたりした。
帰宅も夜の9時半過ぎが多く、帰宅後の最優先として風呂に入った後、10時過ぎに遅い夕食を頂きながら、
家内と一日の出来事などを談笑したりした。
やがて12時になると、やむなく布団にもぐったりした。
そして平日は睡眠不足であり、日曜日に昼寝で補(おぎな)ったりしていた。
睡眠不足で奮闘していた。
2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた・・。
こうした中で、午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
そして深夜まで読書に夢中になったりした時は、昼寝をしたりして、
年金生活の何より特権だねぇ、と微笑んだりしている。
私は年金生活を丸11年が過ぎ、12年生となっているが、
セカンドライフを健康で過ごすのは、適度の睡眠、運動、食事が肝要と思っている。
余談であるが、女性が心身はつらつと顔立ちが美しくなる根源は、
どのような高価な化粧品よりも、熟睡が大切ですょ、
と私は若き日に映画青年の真似事をしていた時、撮影所である高名な女優さんから教えられたことがあった。
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