私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして 雑木の多い小庭の中で、築後40数年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
自動車もない稀(まれ)な家となっている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして 雑木の多い小庭の中で、築後40数年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
自動車もない稀(まれ)な家となっている。
私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住んでいる。
ここ8年前の頃から、家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
やがて家内の母が『要介護2』となり、長女の家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に5泊6日前後で宿泊してきた。
そして 家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、
これも人生だよねぇ、と私は独り微苦笑したりしている。
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風が更に加速なる中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実である。
そして定年前の退社を余儀なくされた同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。
このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、
これも人生だよねぇ、と私は独り微苦笑したりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b1/64ae235b3f39d8fbbbfa483fe80b2c93.jpg)
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風が更に加速なる中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実である。
そして定年前の退社を余儀なくされた同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。
このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
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私が年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、
家内から依頼された品を求めて、 独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、
買物メール老ボーイとなっている。
この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。
例外として、家内のボディガード兼お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の丸15年を過ごしてきた。
そして散策する時には、殆どコンバクト・デジカメをネクタイのように首回りから下げて、颯爽と歩き、
歩いている中で瞬時に魅了された情景を、一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。
例外として、家内のボディガード兼お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の丸15年を過ごしてきた。
そして散策する時には、殆どコンバクト・デジカメをネクタイのように首回りから下げて、颯爽と歩き、
歩いている中で瞬時に魅了された情景を、一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
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私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
或いは雑木の多い小庭の中で、古ぼけた我が家に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、 ゆっくりと時を過ごし、
苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/25/aad9799d3f071350bd2bcd84ca82b606.jpg)
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、
無念ながら病死したりした。
まもなく、私と同世代の知人のひとりの奥様が病死されて、
まもなく、私と同世代の知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、
私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
ここ5年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の70歳が、
私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
ここ5年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の70歳が、
いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったりした。
或いは御近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/04/bb8c6933f3f8e8def58225605ec47344.jpg)
私たち夫婦は、3年前の年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきたが、
一昨年の2019年は予告もなく私は、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
私は震撼させられたりしてきた・・。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/04/bb8c6933f3f8e8def58225605ec47344.jpg)
私たち夫婦は、3年前の年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきたが、
一昨年の2019年は予告もなく私は、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/40/bf86bd629da73975cb4c8b53e3c70443.jpg)
この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。
やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。
そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をしたりした・・。
この後の経過状況、やがて回復状況も医師より順調と診断され、
19泊20日間を得て昨日に退院となり、我が家に生還してきた。
もとより、この間の私たち夫婦は、膵臓(すいぞう)がんは死別するケースが多いと学んできたので、
最悪の場合を想定することもあったりして、揺れ動いたりしたことは事実であった。
このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。
最悪の場合を想定することもあったりして、揺れ動いたりしたことは事実であった。
このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ca/38343c9fb7e232ff2e507e04279386bb.jpg)
この後、家内は指定された抗がん剤などの薬を服用しながら、
指定の検査日に通院したりし、
家内は家内の母の介護は、やむなく家内の妹にすべて依頼し、
家内は身辺整理を始めたりした。
そして茶道具、和服などを家内の妹に贈呈したり、
我が家の終活を具体的に私たち夫婦は始めたりした・・。
やがて退院後の半年の検査で、転移がない、と医師から伝えられるまで、
私はもしかしたら家内はこの世を去ってしまう・・と心の片隅に思いながら、
心痛な思いで過ごしてきた・・。
もとより膵臓(すいぞう)がんは、死につながるケースが多いが、
家内は身辺整理を始めたりした。
そして茶道具、和服などを家内の妹に贈呈したり、
我が家の終活を具体的に私たち夫婦は始めたりした・・。
やがて退院後の半年の検査で、転移がない、と医師から伝えられるまで、
私はもしかしたら家内はこの世を去ってしまう・・と心の片隅に思いながら、
心痛な思いで過ごしてきた・・。
もとより膵臓(すいぞう)がんは、死につながるケースが多いが、
第一段階の半年後の検査は、幸運にも転移がないと知り、安堵をしたりし、
いつの日にか転移して、手術か薬も効果なく、この世にお別れすることも、十二分に想定できる・・。
これ以降は私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
いつの日にか転移して、手術か薬も効果なく、この世にお別れすることも、十二分に想定できる・・。
これ以降は私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
ただ家内としては、私の兄妹には、当面として、病状に関して防ぎたく、
連絡もしていないので、こうした投稿文は、
私としては、ためらいながらなるべく記載しないできた・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/86/a65d888d0bae6e69404987fadb345f2c.jpg)
そして私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味で、
お互いの入院で中断していたが、昨年の新年に於いて、
今年の4月か11月に、沖縄に行けたら良いよねぇ・・、
と談笑したりした。
しかしながら2月初旬より、新コロナウィルスの烈風に伴い、
世の中は一変してしまった・・。
私は、家内が転移しないように祈願したりし、
家事をすこしつづ習得しながら、
そして新コロナウィルスの烈風に戸惑いながら、過ごして今日に至っている。
家事をすこしつづ習得しながら、
そして新コロナウィルスの烈風に戸惑いながら、過ごして今日に至っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/0f/2608403a037e9d4c0f8b981e2c567bdb.jpg)
私たち夫婦は年金生活を過ごして、早や17年目になっているが、
40数年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
ここ16年過ぎた年金生活は、定年退職するまで何かと悪銭苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽の日々を過ごしてきた。
世の中は少年時期から青年時期を過ごした後、やがて後年になって、
ボクの青春時代はあの時期だった、 と回想する走馬灯ように、
その時の出来事を思い馳せたりすることがある。
このようなことも人生に於いてあるので、
いつの日にか現在の生活を思い馳せた時、
今こうして過ごしている私たち夫婦は最良の日々かしら、
と私は感じたりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/e9/673c7b8a121f8d3bfdfe92f6e25e1eb5.jpg)
これからの日々は、体力の衰えを増すことを実感しながら、
やがていつの日にか、どちらかが不運にも大病になったり、
或いは死別して、おひとりさまとなったりする。
こうしたことは自助努力も必要であるが、 こればかりは神様か仏様か解らないが、
天上の采配に寄ること思ったりしている。
このように思案している私は、こうして過ごしている昨今こそが、 いつまで続くか解らないが、
私たち夫婦にとっては最良の日々、と私は感じ深めている。