私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
過ぎし20日、図書館を出た後、余りの熱さで、
ある古びた喫茶店に入ったりした・・。
こうした中、アイスコーヒーを飲んでいた時、店内からシャンソンの名曲が聴こえ、
あれぇ・・ピアフの『水に流して』だ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
まもなく私は、シャンソンを熱愛した時期を思い馳せたりした・・。
過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、明日が見えないような生活をしたが、
やがて4年が過ぎる頃に、はかなくも敗退した。
そして止(や)むえず何とかして民間会社に中途入社したい為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校のソフト科に、
1年間ばかり学んだりした。
やがて1970年(昭和45年)4月、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
何とか中途入社が出来たのは、25歳の時だった。
まもなく音楽事業本部の中の大手レーベルが、
外資元の要請で、レコード会社として新設され、
私も移籍の辞令を受けて、音楽を直接に制作する部門でない管理畑で奮闘していた。
そして26歳を迎えた頃、それまでのシャンソンの知識としては、
越路吹雪さん、岸洋子さんぐらいは知っていた。
本場のシャンソンとしては、ダミアの『暗い日曜日』は、私の先代の人たちが夢中になったり、
ジュリエット・グレコとか、やはりエディット・ピアフに尽きる、
とかはあくまで知識としての範囲であった。
この当時、たまたまバルバラのアルバムの『私自身のためのシャンソン』のレコードで、
この中の『ナントに雨が降る』の歌を知り、
私の屈折の多い青春と私の父親を小学2年生に死去された想いが加味され、
瞬時に魅了されたりした。
そして、私はバルバラの魔力にとりつかれて、
アルバムを買い求めたりし、この当時12枚のアルバムから、盛んに聴いたりした。
この間、銀座の外れにシャンソンの殿堂として名高い『銀巴里』に勤務後に通ったりし、
日本のそれぞれシャンソン歌手が唄われるのを、聴き惚れたりした・・。
そして、この行き帰りに、ヤマハの銀座店に寄ったりして、
数多くのシャンソンを唄われる方たちのレコードを購入したりしていた・・。
数年過ぎると、私の自宅のレコード棚は、シャンソンのアルバムだけでも、
少なくとも100枚は超えていた。
やがて、バルバラ自身が『黒いワシ』の異色作品を携え、日本に来日した。
そして日比谷にある日生ホールで公演され、私は駆けつれて、鑑賞したりした・・。
いずれにしても、このバルバラの『ナントに雨が降る』が
シャンソンに傾倒する10年の始まりで、熱愛した時期もあったりした・・。
この間、私は銀座の一角にある『銀巴里』に定期便のように行き、
数多くのシャンソン歌手が近くで唄われるのを、
私はコーヒーを飲みながら、名曲の数々を聴いたりしていた。
そして、近くにあるカフェ・バー形式のような『蛙たち』にも行き、
私は濃いめ水割りのウィスキーを呑みながら、数多くのシャンソン歌手が唄われるのを、
聴き惚れ、心酔していた時期であった。
このした中で、フランスはもとより、日本の方の唄ったシャンソンのアルバムを購入し、
シャンソンに無我夢中の時期であった。
アルバムの中で、日本人の中では、特に金子由香里さんに熱中していた。
『時は過ぎていく』、『ミラボー橋』、『スカーフ』、『愛の砂漠』等の50数曲に、
まぎれなく時を忘れたくらいに熱愛し、聴いたりした・・。
こうした時に、東芝レコードから、戸川昌子さんの『失くした愛』と題されたアルバムを知り、
購入して聴いたのであるが、動顛した。
私は戸川昌子さんに関しては、推理分野を書く小説家であり、数作品は読んでいたぐらいであり、
以前に『銀巴里』で唄っていた、この程度しか知らない私であったが、
桁外れに上手いのである。
『失くした愛』と題されたアルバムの中に、B面の一曲目に『リリー・マルレーン』があるが、
この曲はもとより、『私はひとり片隅で』、『金曜日の晩に』、『暗い日曜日』、
『人の気も知らないで』、『ボンボヤージュ』等12曲であるが、
深く魅了されて、人生の姉貴・・、と敬意したりした。
こうして、『失くした愛』と題されたアルバムを少なくとも100回前後、
レコード・プレイヤーで聴いたりした・・。
そして私は、レコード会社の本社でコンピュータの専任者で管理畑の身であったが、
洋楽の編成者、責任者に、
『東芝(レコード)で・・発売された戸川昌子さんのアルバム・・凄いですよ・・
私はシャンソンが好きなので良く聴きますが・・桁外れに上手いです・・』
と他社のアーティストであったが絶賛し、友人にも話したりしていた。
私は35歳を過ぎた頃、他の分野の音楽に夢中になったが、
ほぼ10年間にシャンソンに熱中し、アルバムとして150枚ばかり残った時、
私にとってはピアフ、バルバラはもとより最上の神であるが、
日本語で唄われたシャンソンは、戸川昌子さんの『失くした愛』が傑作であり、
私はつたない観賞歴であるが、これ以上のアルバムは知らない。
齢を重ねた今、改めて振り返れば、これまでの私の人生に於いては、
シャンソンの限りなく深い100数10曲が
確かに心の片隅に残って折、心の宝物かしら、と微笑んだりしている。