夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

敬愛する医師の和田秀樹さんより、「老いとの向き合い方」、私は学び、やがて瞬時に共感を深めて・・。

2023-08-25 14:27:38 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されたニュースを見ていたら、
『 "加齢を受け入れる、若づくりで闘う"はどっちがいいか・・・
      医師・和田秀樹「老いとの向き合い方」の最終結論 』、
と題された見出しを見たりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、私より5歳若い家内と2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。



こうした中で、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を19年近く過ごしてきた。


そして好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

 
こうした中で、70歳の頃から体力の衰えを実感し、
ときおり物忘れもあり、独り微苦笑をしたりしている。
 
このような私でも、あと1年少しで・・80歳の誕生日を迎える時に、
何とか健康寿命で迎えたい、と念願している。
 


このような深情を深めている私は、
今回の《・・老いとの向き合い方・・》、改めて学びたく、記事を読んでしまった。

 

"加齢を受け入れる、若づくりで闘う"はどっちがいいか…医師・和田秀樹「老いとの向き合い方」の最終結論(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

老いとはどのように向き合うべきか。医師の和田秀樹さんは「外見を若々しくすることは、気持ちまで明るくし、心の老化のスピードを緩める。『老いと闘うこと』と『老いを受...

Yahoo!ニュース

 

 

老いとは、どのように向き合うべきか。

医師の和田秀樹さんは「外見を若々しくすることは、気持ちまで明るくし、
心の老化のスピードを緩める。

『老いと闘うこと』と『老いを受け入れること』は、
対立関係にあるのではなく、移行するものだ。
闘える間は闘ったほうがいい」という・・・。



■定年退職は自分の居場所も人間関係も失う最悪な制度

「定年後にうつになる人が、多いんだよなぁ」、というのは、精神科医なら、誰もがする話です。

もともと、セロトニンの分泌量が低下しているところに、
定年退職がきっかけとなって、老人性うつを発症する人たちは、非常に多く見られます。  

それほど定年制とは、心の健康において、最悪の制度です。
まるで理にかなっていない、おかしな制度なのです。  

まだ能力があって会社に貢献できる人材でも、65歳、もしくは70歳になると、
一律に解雇する会社がいまだに多いのは、年齢による差別制度といえます。
こんな前時代的な制度が、日本という国にはまだあるのです。

「人の心を無用に苦しめる制度なんぞ、なくしてしまえ!」
と、精神科医として日々叫んでいますが、残念ながら、社会はどうにも変わっていきません。  

ではなぜ、定年が老人性うつのきっかけに、なりやすいのでしょうか。  
それは、長年、仕事で積み上げてきたものを一日で喪失するからです。  

古典的な精神分析の考え方では、うつ病の最大の原因は、「対象喪失」とされています。
愛する対象を失ったときに、人間は心理的に不安定になり、うつ状態に陥ります。
その状態が2週間以上続いたとき、「うつ病」と診断されます。  

定年後にうつになる人が多いのは、
会社を離れることが、対象喪失になるからです。  

熱い想いを持って長年勤めてきた会社を去ることになるため、
居場所も人間関係も一気に失い、それが心に大きなダメージを与えてしまいます。  

一方、現代的な精神分析では、「自己愛喪失」が、
心の健康に最も悪影響を及ぼす、としています。

自己愛喪失とは、自己愛が満たされないこと、
あるいは自己愛を満たしてくれる対象を失うことです。  

具体的には、自分の働きを認めてくれる人、自分を尊敬してくれる人、
自分の心の支えになる人、自分が同じ仲間と思える人などを失うことが、
自己愛喪失になります。  

定年退職を迎えると、これらを一気に失うことになります。  
このように、定年退職は、対象喪失と自己愛喪失がダブルで押し寄せてくる、
心の健康において、最悪の状況を生み出しやすいのです。



私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして
この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

                         

私が年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、
家内から依頼された品を求めて、 独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、
買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

このような午前中の過ごし方を、4年前の春に新コロナウィルスの烈風のまでは、
定例事項のように過ごしてきた・・。

例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、過ごしてきた。

そして散策する時には、殆どデジカメをネクタイのように首回りから下げて、颯爽と歩き、
歩いている中で瞬時に魅了された情景を、一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。      

私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。





私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、

無念ながら病死したりした。

まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、 この知人は『おひとりさま』となり、
私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。                                                                      

ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、
この世を去ったり、 ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、

数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、 
私は震撼させられたりしてきた・・。





私たち夫婦は、過ぎし年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきたが、
やがて2019年は予告もなく私は、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。


更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。



この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の都立の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。


やがて手術後、4年3カ月が過ぎた今年の8月10日、

定例の精密検査をし、幸運にも転移がなく、私たち夫婦は安堵をしたりした・・。

しかしながら、こうした病状はやはり5年過ぎるまで、どのような変貌するか、
判らない・・。

このようこの当時、私は入院生活を2回も体験し、
そして家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑をしたりした・・。

こうした中、家内の母のお世話は、近くにいる家内の妹に依頼して、
やがて家内の母は『要介護・3』となり、やむなく介護施設に入所し、
月に数日だけ、家内の母は自宅に帰還し、家内の妹がお世話しているのが、
実態なっている。

このようなに体験を私たち夫婦をしながら、
一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。


このように私たち夫婦は、お互いに大病する4年前まで、
行きたい処に行こうょ、とお互いの共通趣味の国内旅行に幾たびも重ねてきた・・。

しかしながら私たち夫婦も齢を重ね、体力も衰えてきた上、
家内の体調も万全ではなく、その上、新コロナの烈風も3年間も自粛され、
国内旅行も遠ざかっている・・。


今回、《・・「老いと闘うこと」と「老いを受け入れる」ことは、対立関係にあるのではなく、
“移行するもの”だということ・・》、敬愛する医師の和田秀樹さん学び、
やがて私は、そうですよねぇ・・と瞬時に共感を深めたりしている。

そして何事も出来なくなったことを悲しみより、これも出来るよなぁ・・、
とプラス思考の私は、微苦笑をしたりしている。

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