30年間風邪知らずで最近『1日1分からはじめる65歳からのらくらく呼吸法&気功』を上梓した帯津医師が、
「元気と健康の秘訣」を明かす。

☆日々忙しく過ごす、87歳現役医師
私は今年87歳になりました。
おかげさまで気力・体力とも衰え知らずで、現役医師として日々、大変忙しく過ごしています。
まず平日は、2カ所の病院で診察をこなし、合間に院内で気功や太極拳教室の指導を行います。
週末は、講演のために、地方に出かけることがほとんどです。
月に4~5回、土日のどちらかは出張となります。
これとは別に雑誌の連載や書籍の執筆があり、
これは平日の早朝や週末の講演のない日にまとめて書きます。
要するに1週間、ほぼ休みなし。
帯津三敬病院を開院して40年来、ずっとこのスタイルを続けています。
高血圧や痛風の薬は、飲んでいるものの、
この年まで大病をしたことはなく、足腰ともにいたって元気です。
ことさら長生きをしたいとは思っていないけれど、
生涯現役で日銭を稼ぎ、夜になったら晩酌を楽しむ、これが私の生きがいそのものです。
そのために私が実行している健康法が3つあります。
今回はそれを紹介したいと思います。
呼吸は、誰もが無意識に行っていることですが、
私は「意識して行う呼吸法」を健康法のひとつとして大変重視しています。
なぜなら、呼吸法だけが、自力で自律神経のバランスを整えることができる唯一の方法だからです。
自律神経は、活動的な昼間に働く「交感神経」と
夜、リラックスしているときに働く「副交感神経」があります。
交感神経が優位なときは、心拍数が上がり、血圧も上昇し、呼吸は浅く短くなります。
一方、副交感神経が優位になると、心拍数・血圧は下がり、呼吸はゆっくり長くなります。
☆現代人は「自律神経のバランス」が崩れがち
現代人は、ストレスや過労などから、
交感神経ばかりが優位になってしまい、バランスが崩れがちです。
自律神経のバランスが崩れると、
不眠、偏頭痛、動悸・息切れ、便秘、疲れやすい、肩こり、イライラ、
やる気が起きない、集中力の低下などさまざまな不調の原因となります。
そこで普段から意識して「呼吸法」を行うことで、自律神経のバランスを整えることが必要なのです。
その際、吸う息より、吐く息が大事です。
吐くときに副交感神経が働き、自律神経が整っていくのです。
本稿の最後に「歩きながらできる呼吸法」を紹介していますから、ぜひ参考にしてみてください。
☆☆【帯津医師が毎日欠かさない3つのこと】②気功
気功というと、手を触れずに、相手を倒したりはじきとばしたりする派手なパフォーマンスが
思い浮かぶかもしれませんが、それは「外気功」と呼ばれるもの。
私が日々行う気功は「内気功」といって、
体内の気の流れをよくすることを目的とした自己鍛錬法です。
呼吸をしながら、ゆっくり体を動かすことで、血行が良くなり、自然治癒力も高まります。
また体幹、とくに足腰が鍛えられます。
何歳になっても、自分の足で歩ける体づくりのためには、
下半身の筋力を保つことは非常に重要です。
私も日々の気功で下半身が鍛えられていることを実感しています。
☆40年以上前に中国で出会った気功
私が気功に出会ったのは、今から40年以上前のこと。
研修で行った北京の肺がん研究所でした。
当時日本では、気功は広がっておらず、私も目にするのは初めてでした。
病院の中庭で行われていた気功を一目見た私は、
「これはすばらしい健康法だ!」と思い、北京の書店で、
気功に関する本をすべて買い込んで持ち帰り、勉強を始めました。
その日から今日まで、気功を1日も欠かしたことがありません。
私の今の元気と健康は、まぎれもなく気功のおかげだと信じています。
呼吸法、気功とともに私の人生に欠かせないのが、お酒です。
晩酌のスタートは、夕方6時と決まっています。
「それだけ忙しいのによく6時に晩酌ができますね」と言われますが、
6時の晩酌のために毎日必死です(笑)。
まず朝は3時半起き。
というのも病院の仕事のほかに、原稿執筆や校正、講演会の打ち合わせや取材依頼のやり取りなど、
やることがたくさんあるからです。
これらを病院の開院時間までに、こなさなければなりません。
だからいきおい、朝が早くなってしまうのです。
朝の仕事を済ませた後は、回診、外来、気功教室など、息つく暇もなく忙しく立ち働きます。
こうして1日汗水流して働いた後の晩酌は、格別です。
まずはビールを1杯、グイッとやる、この瞬間がたまりません。
ビールの後は、ウイスキーをダブルで2~3杯。
私の生命が大いに躍動し、命のエネルギーが高まるひとときです。
「朝の気功に夜の酒」、これは私の健康法のすべてが詰まった言葉です。
以上、私が日々欠かさない3つの健康法について述べてきました。
私の最新刊『1日1分からはじめる 65歳からのらくらく呼吸法&気功』では、
誰でも簡単にできる呼吸法、気功を紹介するとともに、
私の日々の食事、心の持ち方などについても述べています。
興味のある方は、ぜひ参考にしてみてください。
どんな健康法でも、大事なことは続けることです。
ゆるく楽しく、ときめきながら、「生涯現役」を保てる元気な身体を作り上げていきましょう。
最後に、私が実践している「歩きながらできる呼吸法」を紹介しましょう。
☆「歩きながらできる呼吸法」を紹介!
難しいものは何もなく、3回鼻から息を吐いて、1回鼻から大きく息を吸うだけ。
ウォーキングや散歩、通勤時などにぜひ取り入れてみてください。
「フッ、フッ、フッ」と3回連続して、鼻から息を吐き出します。


「フッ、フッ、フッ、フーッ」のリズムで歩行を続けます。

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
私の父は、私が小学2年の時に、肝臓が悪化して、やがて42歳の若さで肝臓ガンで死去した。
そして母は、私が54歳の時に病死したが、数年前から入退院を繰り返して、
婦人系のガンで喜寿(きじゅ)と称される77歳を迎えて、まもなく亡くなった。
家内の父は、私が定年退職する直前に病死されたが、やはり4年前から入退院を繰り返して、
腎臓ガンで77歳で死去した。
家内の母は独り住まいとなり、11年前の80歳前後に膝(ひざ)と腰を悪化して、
やがて要介護3となり、やむなく介護施設にお世話になっている。
私の父の兄弟は、父、妹4人、弟であったが、
弟は二十歳を過ぎてまもなく病死し、父も42歳で病死したが、
妹ふたりは90代で亡くなり、下の姉妹は91歳、87歳で健在である。
このように父の兄弟は、男性は若くして死去し、女性は長寿となっているので、
過ぎし日に私は長兄に向かって、
『兄貴さぁ・・お父さんの代は男は短命だったが、
と私は微苦笑しながら長兄に言ったりした。
しかしながら、この世はまさか出来事に遭遇することもある。

つたない人生航路を歩んできた私は、ささやかな死生観を秘めている。
過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。
《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。
年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。
しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。
ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。
これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。
つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》

このような深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動に注視して、信愛を重ねている。
私は70代入門した当時は、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
ときおり願いながら歩いたりしてきた。
こうした中で、私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

こうした中、天上の神々か仏(ほとけ)様の采配か解らないが、
生かしてもらっている、と思いが強く、
亡くなわれた友人、知人のしぐさ、表情が走馬灯の思い浮かび、
過ぎし日々に愛惜を重ねたりしている。